第十九話 白き女

文字数 6,714文字

ルドラの家は、やはり外から見た時に感じたように二階建ての作りのようであった。玄関に踏み入れると、突き当たりの壁に面して右手に階段が見え、それより手前に扉が二つ目に入った。
グリンデが玄関に近い方の扉を開け中へ入ると、オリビアもそれに続いた。いや続いたというより引かれたといったほうが適切かもしれない。足先は自然と魔女の背を追ってゆく。
踏み入れた先は調理場のようで、この家に入った時から微かに漂っていた、食欲をそそる芳香がより強く鼻を包んだ。
まだ作りたてなのだろう。壁に隣接している竈に置いてある鍋は、蓋が閉められておらず、中から少しの湯気を出している。竈の向かいに、小さなテーブルをはさんで木の棚が置かれており、包丁などの調理道具の他に、無数の瓶が置かれていた。
(この茸……たしかグリンデさんの家で見かけたような……)
流されるまま……とはいっても流石に意識までは失ってはいない。見上げた天井には様々な植物たちが紐で吊るされており、少女はその中につい先日見かけたばかりのものがあることに気がついた。
見覚えのあるその茸を眺めていると、すぐに背中を風が撫でた。家の主が帰宅したのである。彼女の手には木で出来た奇妙な箱が抱えられている。
「すみません、探し物に時間がかかってしまって。どうぞこちらへ」
ルドラは手にしていた箱を床に置き、調理場の左手奥にある扉を開けた。
調理場の奥の部屋には大きなテーブルがあり、壁にはレンガで造られた暖炉があった。ここは応接室として、郷の者達を招いている様が想像できる。
「……おかけになっていて下さい。少し準備をしてきますので」
既に魔女は椅子を引き、それに腰を下ろしている。これも前例通り。少女もそれに習った。
見た目は若いが、やはり族長と呼ばれるだけあってか、すこぶる品がある。微かな笑みまで交えていた。ルドラもそれに対し軽くお辞儀を返すと、再び調理場へと戻って行った。
(石板……?それになんだろう。神様の像?)
これは強い好奇心を持つ故か。それとも未知の空間に訪れた生き物の本能によるものか。どちらにせよ座っていられただけ、少しの理性は働いているようである。オリビアは椅子に腰かけながら辺りを見渡し、その部屋の壁際の棚に置かれてある、奇妙な物に興味を奪われていた。
立てかけるようにして置いてあるその石板は、綺麗な正方形をしており、鈍い光沢を放っている。なにやら文字が刻まれているようにも見える。その隣に置いてある像は女性のような姿をしているのだが、額に魚の鰭のような物があり、背中には蝶のような羽根をつけている。
しかし思考の猶予は与えてはくれなかった。沈黙もあってか、引き摺られる木扉の音がやけに重い。すぐにルドラが二人の元へ戻ってきた。手にしている木のトレイには、湯気を立たせた椀三つと、焼けた大きな骨付き肉、そして皿とフォークが乗っている。
「お二人ともお腹がすいたでしょう……。お口に合うかわかりませんが、どうぞお召し上がりください。そして……まずははじめましてですね。族長のルドラと申します」
「……オリビアと申します」
先程見上げたものを思い出す。決して恐ろしくはないが、間近で見ると威圧感がある。気品漂うルドラの眼差しは闇夜を照らす月光の様、全てを見透かしているかのようだ。それは少女の心を委縮させ、以前のものより深い一礼を促した。
勿論、伝説の魔女は動じてはいない。オリビアの緊張をよそに、既にナイフを肉に押しつけ丁寧に切り取り、フォークで口にそれを運んでいる。
思えばまともに食事をしていない。その様を見せつけられ、素直に誘惑には勝てない辺りが、この少女の経験の浅さを謳っている。頭の中は依然、深い霧に覆われたままなのだが、欲望は実に忠実であった。グリンデが先に手を掛けたのを見て、心を許せた部分も大きいのであろう。オリビアもスープの入ったカップに手をかけ、口元へと運んでいた。
少女のその様子を見て、ルドラも何か感じるものがあったようである。心なしか表情は崩れ、少しの柔さが顔を見せる口調であった。
「突然この郷に来て、驚いていることばかりでしょう。カシムから少しお話があったかと思いますが、やはり、まずはこの郷のことをお話しさせて頂くべきかと思います」

ルドラは、カシムが二人に語った事を含め、様々な事を話し始めた。
この郷の人口は約七十名ほどで、それぞれが役割を持って生活している事。中でも最近は、先人達が残した書物が劣化してきており、より未来へ確実に残す為に少しずつ森深くにあるランカ石にナイフを使って文字を残すことに力をいれている事が、ルドラが語った話の入口部分であった。
それは勿論、ルドラもカシムと同じ考えで、いきなり全てを知る必要、話す必要はないと思案した上のものである。少女の表情と相談しながら少しずつ。段階を踏まえながら語られた話は、少女の表情に大きな動きを促しはしなかった。
そしていよいよである。ルドラは大きな一歩を踏み出した。その内容は"魔法"の存在を知る者でしか知らない、このアヌーダの郷の中枢部に関わるものであった。族長は勿論"触り"の部分しか見せるつもりがないだが。
「……そしてこの郷の族長は代々、先代から交霊術を受け継いでいて、度々、森の奥にある泉へ向かいルルージャ様の声を聞くの。つい先日もその泉を訪れて『近々重要な客人が現れる』との預言を受け取ったのだけど……まさかグリンデ様とは思いもよりませんでした」
交霊術、預言……。この言葉を聞いて首を傾げない者はいない。オリビアも例外ではなく、首を傾ける寸前であった。少女のその反応を予測していたのか、或いは別の理由からか。動作をする前に族長は口を開いた。
「ルルージャ様は清き泉の中に棲んでいらっしゃる精霊様で、その泉の一つがこの森の奥にあるの。普段は目に見えないのだけれども、交霊術を身に付けた者がその泉の水面に触れると、ほんの少しの間、ルルージャ様とお話しが出来るのよ。ルルージャ様はこの地の水を伝って、この国の様子を知る事ができるの」
精霊……。オリビアは、古くに聞いたその響きを思い出した。
何でも、風や水といった自然現象には、目に見えない存在が力を及ぼしているそうで、その姿なき存在を精霊と呼んでいるのだとか。”大”精霊というだけあって、その者たちをまとめている神のような存在なのであろうか。先ほどみた石像は、そのルルージャ様とやらを模しているものなのであろうか。
その大精霊が住む泉に触れると話ができる……。以前であれば、まず理解は出来かねる話であろう。しかし触れると力を得る、この"魔法"という存在を知った上、その話を違和感なく受け入れることが出来てしまっているという事実。自身が、もはや激流に。いや禁域に片足を踏み入れてしまっているということに、少女は何処まで気付けているのであろうか。
「以前、我の家で、おんしに黄色いバラをやっただろう。あの薔薇は、その泉のほとりでルドラが摘んだものだ」
あぁ、この薔薇か。これまでの旅で、どれほどに勇気を与えてくれたか。少女の鞄から取り出された薔薇は未だ枯れることなどなく、この部屋の蠟燭の灯りを反射し、淡い表情を一同に見せつける。
この花はオリビアが、母の死の悲しみに暮れているところ、グリンデがそっと差し出してくれたものであった。
チェルネツの森から出て、自宅近くの母のお墓の周りに数本植えた後、再び森をくぐり、二人はドロネアの洞窟へ向かった。母への悲しみを忘れないため、そして母のぬくもりを感じるため、こうして一輪だけ瓶に入れて持ち運んでいたのであった。
(でもグリンデさんはずっと森を出ていなかったはずじゃ……どうやってこのバラを受け取ったのだろう)
薔薇を手に取り、ようやく少女に思考が宿った。
「あの……ルドラさんから受け取ったって……」
「……先ほど話した交霊術で、ルルージャ様を通して受け取ったお言葉から、世の中に変化が起きたと感じた時に、この郷の族長はチェルネツの森に向かい、その事をグリンデ様に伝えるのよ。この郷の役割のひとつ、『魔法が再びどこかであらわれていないかを見守る』というのはそういう意味があるの」
「でも、チェルネツの森では道に迷ってしまうのではないですか?」
実際に足を踏み入れている。先ほどの川辺の件もある。チェルネツの森に行く、という話を聞くに、あの濃霧を思い出さずにいられぬ程、少女の思考も浅くはない。
「えぇ……その通りよ。森の奥へは近づけないの。だからあの森に入ってすぐ、霧が深くないところに目印があって、その場所で、ある旋律を笛で吹くのよ。そして、グリンデ様自身からいらして頂くの」
そういうとルドラは口笛を奏でた。その旋律は森で矢を向けられた時に、グリンデが奏でたものと同じものであった。一六〇年前から伝わっていたものなのか。それは魔法の存在を知っている者だけがわかる秘密の旋律であったようだ。
ふと上品な手つきで扱われていた、ナイフとフォークが動きを止めた。その主は、苦虫を噛み潰したような表情である。
「……どうやら大昔にその噂が流れたのか、たまにチェルネツの森で訳の分からん、聴いた事のない下手くそな旋律を聴いたわ。そやつらを混乱させて、森の入口まで運ぶのが、ほんに大変だったわい」
(そういうことだったんだ……)
少女の記憶の引き出しが開かれた。オリビアは子供の頃に母から聞かされた、チェルネツの森でうかつに笛を吹くと、どこからともなくグリンデがあらわれて、こらしめられるという話を思い出さずにはいられなかった。伝承とは、やはりあやふや。不安定なものである。真実を隠し、形を変えて現代に伝わっていたのであろう。
自責の念からであった。もし自身が森を出ると争いを産みかねない。グリンデはかつて帝国から追われた身である事と、魔法を使える身である事から深い負い目を感じ、自らが森を出る事は控えなければならないと感じていたのである。よほどの事がない限り、と腹に括っていたのだが、実に百六十年ぶりに魔法の気配……コインを持ったオリビアが訪れた事が引き金となり、森の外へ出る決心をしたのであった。そしてもう一つ、森を出ようと思うきっかけがあった。
「つい最近も変化を感じていて、チェルネツの森に行ってグリンデ様にお会いしていたのよ」
隠すことは、もはや難しい。ルドラの表情、口調が、少し強張りを見せたことを少女も悟った。
「どうも各地で不自然な現象が起きているみたいなの。まだ魔法の存在は現れてはいないようだけれども、ルルージャ様も違和感を感じていらっしゃるようで……」
ルドラは交霊術によりその違和感を察し、オリビアがチェルネツの森を訪れる少し前に、あの森に足を踏み入れていたのであった。
オリビアの母の命を奪った、あの病の再来も怪しい。百年以上もの間、沈黙を続けていた魔法の気配を、何度も伺わせる事は異常である。これは何かが起きている、そう感じざるを得なかったのである。
魔女の手先は、もはやフォークとナイフを捉えてはいない。口だけが重々しく動きを見せる。
「……そう。ルドラが森に来てから、こちらでも大きな変化があっての。それで久しく森を出たのだ」
誰かの喉が大きく鳴ったような気がした。
大半はグリンデの言葉によるものであった。二人は、オリビアがチェルネツの森に足を踏み入れた理由である白き女の件、そしてドロネアの洞窟で起きた事をルドラに説明した。

「そんな!マリーですって?キメラの存在は母からも伝えられておりますが、まさか……。あの……私が言うのも失礼ですが、いくら年月が経っているとはいえ、よく戦えましたね……」
「……大昔の話だ。それにあやつは神でも何でもない。ただの気の狂った化け物よ。それよりルドラよ、白き女の話やコインに心当たりはあらんか」
「……そのコインに心当たりはないですが、白肌の女性……。少し心当たりがあります」
ルドラは立ち上がり、部屋の角に置いてあった机の引き出しを開けた。
やはりこの部屋にいた誰しもが、話の途中から手を止めてしまっていた。半端に残された料理が乗る皿達は、テーブルの端へと追いやられ、持ち出しだされた地図がその領地の大半を得た。
「グリンデ様はご存知の事かと思いますが、いま私たちがいる、このアヌーダの森の南西にあるエルビス山脈の中腹に、ラウラ聖堂院という聖堂院がございます。この聖堂院は傷を癒すとされている霊水の沸く泉があり、多くの傷を負った人々が、その霊水を求めて足を運んでいるそうです」
傷を癒す。その力を求める者はやはり尽きない。残念だがルドラの言う"人々"というのは、上流階級の人間のみであり、それを得れる者というのは限られる。いや限っているといった方が適切であろうが、その事実は今は必要ではない。まして少女に伝える必要性もない。
ルドラが指差した場所を見て、グリンデも確信したように口を開いた。
「……霊水。やはりか」
グリンデはオリビアの持つコインの発する、白い魔法に少し心当たりがあった。百六十年前に霊水に触れる機会があったのだが、その霊水が発する、魔法のような光に瓜二つであったのだ。
霊水の輝きは、魔法特有の動きのある光り方をせず、曇り硝子から覗く炭火のような瞬きを見せるのだが、コインの放つ白い光の色を見た時、どうもその霊水を思い出さずにはいられなかったのである。
霊水の白き光は、黒羽族の持つ、忌々しく渦巻くような魔法の光り方をせず、むしろ何処か懐かしく、思わず手を伸ばし、触れたくなるほどに優しい光を放っていた。そもそも百六十年前の争いの中、様々な種の魔法の光を見てきたが、黒羽族も含め、白き光に出会った事は、この霊水の輝きの一度きりであった。
グリンデは魔力を身に宿してから、数度、自然の中で魔法の光のような輝きを目にした事があったが、エルビス山脈も、まさに神が創ったかのごとく芸術的で、星の力を感じざるを得ない場所であった。もしかしたらその霊水は、星の力の影響を強く受けて、魔法のように白く光っているのかもしれない、と魔女は推測していたのである。
ルドラが示す、霊水の沸く地、ラウラ聖堂院。グリンデも、その地に何か手掛かりがあるのではないだろうか、と睨んでいたのであった。
「このラウラ聖堂院ですが、やはり聖堂院ということもあって、多くの孤児が集まっているのですが、その孤児の中に変わった子がいるそうなのです。髪や肌が雪のように白く、何より治癒の力を持っているそうです」
「治癒の力って!」
「そう、まさに、オリビアさんが手にしたコインのように、その女性が願いを込めると、たちまち病が治るそうなの」
グリンデはオリビアと出会い、白き魔法を見た際に、直感的に危険なものではないと感じていた。が故に、オリビアにそのコインを渡して欲しいと頼まれた時、何の抵抗もなく彼女に差し出していたのであった。
グリンデの感が正しければ、コインを預けたその白き女性は、周囲を傷つけるような危険な存在ではないのかもしれない。しかし危険な香りのしないものとはいえ、魔法の再来。そしてやはり、その白き女性が発した、自分にコインを渡して欲しいと強く頼んだ事が、深く気がかりであった。ラウラ聖堂院にいる者は、オリビアの知る者なのであろうか。
(……しかし名が知れているとはな)
魔女にとってそれは頗る分が悪い話なのだが、彼女の表情には一切現れてはいない。長年生きてくると、感情論より現実が勝る。暇はない。すぐに別の案を練らなければ、少しずつ理想の未来は遠のいてしまうのだ。
沈黙をルドラが切り裂いた。
「グリンデ様、そういえば秘薬を作るために薬草を探していると仰ってましたが、その次の薬草はこのエルビス山脈に生えているのではないですか?」
ルドラは亡き祖父から聞いた、グリンデが百六十年前に伝説の秘薬を作りだした話を覚えていた。
「あぁ。ラウラ聖堂院がある、この雪山に生えておる」
テーブルに広げてある地図を指差しながら、魔女は告げる。
「次の目的地はこのエルビス山脈。ラウラ聖堂院に向かい、その白き女が小娘の知る者か確認する。そして、その先の雪深い森にて薬草を手に入れる」
少女の次の旅路が決まったように思われた。しかし、次に魔女が発した言葉はその予想を裏切った。
「だが小娘よ。ラウラ聖堂院でその者の顔を確認したのち、我と一度この郷に帰って来るぞ。そのあとは我一人で向かう」
魔女の言葉は、少女の心に鋭く突き刺さった。
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