第7話

文字数 5,930文字

 彼女は僕の方を見つめたまま、手元に置いてあった刀を取った。
 その動きには一部の隙も1mmの無駄もなく、美しかった。



 今日はホノルル観光に行った。
 ホノルルは楽しかったし、楽しんでいる彼女を見るのもまた楽しかった。
 美しい海を見るのは感動的だったし、それを眺めている彼女は扇情的なほど美しかった。

 もうすっかり夜になってしまった。
 ちなみに、夕飯はデパートのレストランで食べた。味については言わぬが花だろう。観光地料金が恐ろしかった。
 ホテルに着いたので、僕はカバンを置いて、今日買ったお土産の整理でもしようと思った。
 ホテルはネットで見たのと同じようにすごくでかかった。

 ふと手提げのカバンの奥にスティックシュガーが入っているのが目についた。
 僕は不思議なことになぜだかそのスティックシュガーが懐かしいと思った。僕にとって、今の僕にとって、彼女と過ごした時が全部大切なんだなと、改めて思った。
 ーーあれは、僕と彼女が初めて行ったスターバックス。
「......スタバですか? なんかスタバって、高いのに品質は別に良くない、悪徳な店ってイメージがあるんですけど」
「......ずいぶん一方的な印象だね」
「初めてのときのあの喫茶店にもう一度行くじゃ駄目ですかね? あそこのブラックすごい美味しかったから…...」
「......君さー、子供の分際でコーヒーをブラックで飲むなよ......かっこつけかよ」
「イイじゃないですか別に。人の趣味に口を出さないでください。」
「毎回同じじゃつまんないじゃない」
「毎回って言ったってまだ二回目じゃないですか」
「まーまー。さささ、行こーよ」
「今からですか?」
「もっちーろんーっ!」
 というわけで、僕の初スタバ。
「……ほら、やっぱりこの前の喫茶店のが美味しかったですよ」
「うるせぇよ。これだって充分美味いって」
「だって、あなたの飲んでるのキャラメルじゃないですか……コーヒー本来のポテンシャル活かせてませんよ」
「るっせえんだよ」
「キャラ崩壊してません?」
「じゃーーさらさらさら」
「…………ま、まさか」
「いぇーい」
「元々甘いドリンクに、砂糖を足す、だなんて」
「ふっふっふ」
「…………」太りますよ、と言おうとして思い留まる。
「太りますよ、って言おうとした?」バレてた。
「もし私じゃなかったら君ぶっ殺されてたよ?」
「だから口に出さなかったんですよ」
「でも私は悪魔だから太らないんだけどねー」
「……チートじゃないですか」
「そんな細かいところをチートだなんて言う必要は無いでしょ……」
 じゃあ大きなチートも持ってんのだろうか?あ、ステルスの能力(存在を消せる)ってのはチートなのかな?
「シュガーと言って思い出すのは内藤内人よね」
「…………いや、やっぱり内輪ネタすぎますよ」
「いいや!都会トムは全員知ってるって!」
「偏見が酷すぎます」
「そうかな……」
「で? 内藤内人がなんですか?」
「シュガーがこんなに沢山あるのを見たら全部持って帰っちゃいそうだなーって。」
「……いくら『使えるもの・貰えるものは全部取ってく』内藤内人でも、全部はさすがにないでしょう」
「『』の中の『全部』と外の『全部はさすがにない』が矛盾してるわよ」
「……小説上でなければ絶対にできない会話になっちゃってますけど大丈夫ですかね……」

 って感じで、僕はそのスティックシュガーを貰って帰ってきたのだった。
 使わないのに。
 それで、そのなんだか古くなってヨレヨレになってるスティックシュガーは未だに僕のカバンに入っている。
 僕がまだそのエピソードをこんなにくっきり覚えてるってのは意外な事だ。
 僕は記憶力がいい方だと自負してるんだけど、でも興味が無いことは覚えられないから、彼女との会話は興味があったってことなんだな、と、再確認出来たような感じだ。
 ちなみに、この辺で僕達の小説の趣向が似てることが判明し、小説を紹介し合うことになったきっかけはこれだったりする。



 次の日。僕達の、ハワイ観光2日目。

 彼女の悲鳴を聞いたのはこれが初めてという訳では無い。
 1番最近に聞いたのはつい一昨日なわけだし。……あれ?ほんとに一昨日なのか自信はないけれど……もしかしたら一昨昨日かも。時差のせいで日付感覚がズレている。
 その時は飛行機だった。
 彼女は意外にも飛行機が苦手だった。
 飛行機が動き出した時、僕は彼女の顔が少し青くなったのを見逃していなかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。」
 そして、僕は特にそれを気に留めなかった。
 飛行機は地面に着いたまま、なかなか走り出す様子もなく、ノロノロと動いている。
 それが飛行機の重さを表しているんだとすれば、なぜ飛行機が飛ぶのかという疑問はますます深まるばかりだ。
 やがて飛行機は走り出した。
 ところが、飛行機はもう一度停止してしまう。
 隣で彼女が心配そうにキョロキョロとあたりを見回している。
「ほんとに、大丈夫なんですか?」
「君って、優しいのね」
 その言葉を聞いて、「大丈夫」という答えが帰ってこなかったことに却って不安を感じた。
「大丈夫ですよ」
「そうね」

 突然、飛行機は大きな音を出して動き出した。
「きゃっ」
 彼女は叫んだ。
 その声は、飛行機の中という密閉空間に合わせた小声だったはずなのだけれど、妙に静まり返っていた飛行機の中では一際大きく聞こえた。
 飛行機が走り出して、そして離陸した。
 離陸する時はタイヤが見えてなくても「離陸した」ってちゃんとわかるもんなんだな、と不思議と感心している自分が居たけれど、それは現実逃避だ。
 何からの……、というと、彼女が僕に抱きついている状況からの、だ。
 彼女はシートベルトをつけているはずなのに、器用に僕に抱きついていた。
「そ、そんな無理な体勢だとかえって危険じゃないですか」
「でも、......君に摑まってないと不安なの」
 彼女の声は震えていて、今にも壊れてしまいそうだ。
 だから、僕は彼女の言うことを聞いてあげる他無かった。
「じゃあ、良いですけど、......」
「ありがと」
 と、言って彼女は僕により強く抱きついてきた。
「ま、君の下心についてツッコむのはやめといてあげるよ」
 彼女の、その豊満な胸が僕の腕に当たっていて僕が幸せな気分であったりなど、断じてしていないのに、断じてしていないのに、なんでそんな誤解を招くような表現をするんだ。
 だいたい、「ツッコむのをやめる」と言っているけれど、口に出した時点でもうツッコんでいるわけだから言葉が自己矛盾しているよな?

 僕は彼女の言葉を無視して、彼女の背中に手を回した。
 強気な彼女の言葉とは裏腹に、彼女は体を震わせていて、彼女の儚さを感じた。



 そして今。彼女の、この旅行で2度目の悲鳴。
「きゃっ」

 屋外であること似合わせた大きな悲鳴は、でも周囲のざわめきにかき消されたようだった。
 今日、ハワイ旅行二日目、マウナロア火山に行った。

 ーーマウナロア火山は、噴火した。
 マウナロア火山って......世界一安全な火山って聞いたぞ......?
「Oh...!!!」
 英語の悲鳴もあちこちから聞こえる。
 音を立てて火山に亀裂が入って、そこから溶岩が見えた。でも思ったよりも爆発的というわけではない。
 火山灰が舞った。視界が悪くなった。

 今にも泣き出しそうになっている彼女の手を引いて、僕達はとりあえず、避難した。



「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ......」
「ほんとうですか?」
 彼女は弱々しい顔で、とても大丈夫なようには見えない。
 彼女のあの桃色の肌は青白くやつれていて、元の鮮やかだった彼女とは別人みたいだ。
「......それより......ごめんね......私がマウナロアに行きたいなんて言ったばかりに......」
「そんなの......謝る必要ないですよ」
「ありがと。そう言ってもらえるだけで気が楽になるわ」
「言うだけじゃなくて、心からですよ。僕はそんな心の狭い人間じゃあありません」
「......そんなことないよ、君は優しいと思うよ?」
「ふふっ」
 いつもの彼女みたいに、僕は彼女の言葉に答えずに、微笑んだ。
 それは彼女のようにうまく行っていなかったかもしれないけど、でもたとえ気持ち悪い笑顔でも、彼女が僕に笑い返してくれたことが嬉しかった。
「これから暇になっちゃいますね......」
「うーん......」
「......どっか、行きたいとこあります?」
「じゃあ、ちょっと予定を繰り上げて展望台?」
「いいですね......」

 展望台というのは、ハワイ島の有名な展望台だ。ハワイ島は美しい景観を維持するために光を制限していて、それによってとても美しい夜空が見れるのだという。
 その展望台も、天体観測が盛んだというが、僕たちが行ったのは夕方で、星が見えるのにはまだ早いようだった。
 展望台の眺めについては、筆舌に尽くしがたいとしか言いようがない。僕なんかの拙い感想では、どうやったってその眺めを劣化させてしまうのだろうから、僕はその眺めについてこれ以上描写しないことにする。
 だから代わりに、隣の彼女の吐息は熱を持っていて、甘い香りがした、ということだけ言っておこう。

 僕達はひとしきりその眺めに感嘆した後、コンビニで夕飯を買い、ホテルで食べた。



 すっかり書くのを忘れていた。
 それは一日目の夜。ホノルルからハワイ島まで飛行機に乗って移動して、彼女の飛行機アレルギーは加速して。
 僕達は初めての海外かつ初めての2人旅に、とても疲労を感じながら、早く眠りたいと喋りながら、ホテルに着いた。

 ホテルの部屋に入って、まず気づいたこと。

「………………ベッドが…………1つしか……無い!」
「え、今気付いたの?」
 入出国のことばかり考えていて、ホテルのことを彼女に任せっきりだった。
 ベッドを割けてもらうのを忘れるだなんて……
「じゃあ僕がソファで寝ることになるね」
「いーやいーや、そうじゃないでしょ」
「……いや、でもあなたにソファで寝ろなんて言えませんよ。僕がソファを使います」
「いやいや、もうひとつ選択肢があるでしょ?」
「……?僕がソファか、あなたがソファか、以外に?」
「だって、ほら。枕が2セットあるじゃない?」
「……」
 彼女が何を言いたいのかようやく見えてきた。
 でも、それはなんだか超えてはいけない男女の一線というような気がする…………!
「いや、いいですよ。僕はソファの方が寝慣れているんです」
「何を言っているの。君の家にソファなんて無いじゃない」
 彼女の僕の家の間取りの把握は完璧だった。
「い、いや、僕は誰かと一緒に寝るの苦手なんです」
「私は、君が3年前まで君の妹と同じベッドで寝ていたという情報を耳にしているのだが」
「デマですよ、デマ」
「デマなら、じゃあ拡散しても良いんだな?」
「すいませんでした!一緒に寝ます!」
 っていうか、デマだからって拡散しちゃ駄目だろ。むしろデマだからこそ拡散しちゃダメなんだよ。だいたい、拡散するってどこにだよ。僕の友達と接点無いでしょ。とか、心の中でツッコんでいたのだが彼女は悪びれる風もない。
「そういえばさ、君と君の妹ってどういう関係なの?」
「どういう、って?」
 僕はベッドの縁に腰かけていて、彼女はその反対側に倒れ込んで伸びをしている。まだシャワーを浴びていないのに、大胆だ。それとも、何か香水的なもので匂いを既に消しているのだろうか。
 彼女のその無防備な格好に、僕の言葉もつい無防備になってしまった。
「あれ、タメ口? 君がタメ口を撤回しないなんて珍しいね。初めてかな?」
「……そうですね。」
「別に敬語に戻らなくてもいいのにいー。もう一年も付き合ってきたのに。タメで話そーよ」
「今更、喋り方を変えられませんよ。」
「変えられない、か。」
「……」
「あ、ちょっと待てよ。今、君と妹さんの関係から話をそらしただろ」
「いいえ、話をそらしたのはあなたの方です」
「あれ? そうだっけ。」
「そうです」
「で、君と妹さんの関係はどんな感じなのさ」
「だから、僕はどういう趣旨の質問なのか分からなかったから聞き返したんですよ。」
「あ、確かに君、私に聞き返してたわ。えーっと、趣旨? だから、全般的にどういう感じだったの? って。」
「……漠然と聞きますね……まあ、でも僕と妹の関係はあくまで普通の兄妹ですよ?」
「普通の兄妹が三年前まで添い寝するの?」
「添い寝だなんて……ただ、同じベッドで寝てただけですよ?」
「いや、それを添い寝っていうんじゃないの?」
「ただ、妹がそうしないと寝れないと言うので……」
「……妹さん、変わった娘なんだね」
「そんなことありませんよ。僕の妹は至って真面目な普通の女子です」
「至って真面目、とかちょっと褒める表現を入れるあたり、怪しいなあ。もしかして、君の初恋の人って君の妹だったりするかな?」
「それは普通に気持ち悪いです。そんな事、僕でも流石にしません。」
「建前はわかった。本音は?」
「ま、まあ、多少は、って、言うかあ!」
「おっ。ノリツッコミ良いねえ。……今、多少は、て言った?」
「……あくまで乗らされただけです」
「ふぅぅぅん? 疑わしいなあ」
「……シャワー……先使ってもいいですか?」
「逃げる気か? まあ、いいけど」
「ありがとうございます」



 風呂から上がった僕は、彼女が風呂に入っている間現地のテレビを見ていた。
 英語とハワイ語が混ざったテレビは、初めて見る分には楽しいけれど、意味が全くわからないのでだんだん飽きてくる。

 彼女が風呂から上がった。
 僕と彼女は電気を消して、ダブルベッドに横になった。
 僕は彼女に背を向けて横になったけれど、彼女は僕の方に向いて寝ているみたいだ。
 彼女の息の音が聞こえる。それが展望台のときの吐息とダブって聞こえて、僕の頬は次第に緩んだ。っていうか、めっちゃニヤけた。
 
 彼女の息はいつの間にか変化していて、どうやら彼女は眠りについたらしい。

 僕はやっぱり彼女と一緒のベッドが辛いので、ソファで眠ることにした。

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登場人物紹介

「僕」


名前:非公開

年齢:非公開

経歴:非公開

職業:非公開

誕生日:非公開

血液型:非公開

属性:引きこもり

「彼女」


名前:非公開

年齢:非公開

経歴:非公開

職業:非公開

誕生日:非公開

血液型:非公開

属性:悪魔

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