第1話 海辺のあばらや 1
文字数 1,768文字
海岸通りに1軒のあばらやがある。大きな家と小さなマンションの間にはさまれて。荒れ果てた家、やぶれや、破屋 。
到底、人は住めないだろうと思うが、時々、老人が家の前に座っている。植木がかなりある。狭い歩道の半分まで伸びている。荒れている。自転車のタイヤが放置されている。壊れた傘が投げてある。食べ物のビニール袋が投げ捨てられている。
その前を通ると……老人がブツブツ何か喋っている。時々嬌声をあげる。人の名前を呼んでいるようだ。よく聞き取れないが怖い。
老人は、隣のマンションの前でも座っていた。海岸やスーパーでも。人はホームレスという言葉を使った。
老人は、あばらやに住んでいるが水道も止められている。隣の人に貰うらしい。時々家の前で体を拭いている。ずっと以前からいるようだ。詳しくはわからない。
男はあばらやに住み付いていた。流れてきた。土地勘があった。妻の故郷だ。何度か訪れた。もう20年以上も前だが。結婚して子供が産まれた。待望の女の子だ。妻に似てかわいいだろう。名前は決めてあった。
現実から逃げ出した。男は弱い。いつでも逃げ出すのは男だ。ドラマにもあった。放浪して戻ると、子供は死んで、人知れず庭に埋められていた。
娘には手術が必要だった。考える時間はない。男は拒否した。このまま、死なせてやりたい。首を振る妻を説得しようとした。死なせてやるんだ。その方がいい……
しかし、女医の説得の方が勝った。妻は生かせる道を選んだ。
男は病院を逃げ出した。
男は勝手に堕ちていった。嘆き呪い堕ちていった。
堕ちた。堕ちた。この地の者は他所者を追い出しはしなかった。あばらやに住むことを黙認し、食料まで置いていってくれる。水は隣の者が分けてくれる。
墓地に行く。日課だ。御供物をいただく。もう、悪いとも思わない。放置すればカラスに突かれ散らかる。後始末が大変だ。寺の和尚も了解済みだ。掃除して少しばかりの駄賃をもらうようになった。男は丁寧に墓の掃除をする。そして、賞味期限の近い菓子や缶詰をもらう。
寺に、にぎやかな集団が来た。男ふたりに、女が5人。若い者も年配者も。
「お寺なのよ。はしゃいではダメ」
「大丈夫だよ。誰もいないし、ママは喜んでる」
若い男が言った。数のうちに入らないのだ。墓掃除の汚い年寄りの男は。
集団は掃除したばかりの墓の前に立ち、豪華な花を広げた。墓参りに薔薇の花か? 東京から来たのか? 垢抜けた集団だ。若い女の頬に傷があった。遠目でも目立つ傷だ。
……悩んだだろうか? 子供の頃からあるのか? いじめられたりしなかっただろうか?
頬に傷のある女は丁寧に掃除をし、サングラスの女が花を供えた。あとひとりの女は……いちばん背の高い女は男を見た。久作 を見ていた。
年配の男が線香を持って、すぐそばを通った。久作にお辞儀をした。こんな汚ない浮浪者のような男に。同年代くらいだろうか? 天と地の差だ。服も家族も。
背の高い娘は気がついたようだ。お供物泥棒……盗むのでは? と見張っているのだ。母親にだろうか、たしなめられている。事情があるのよ、とでも言っているのだろう。
居づらくなって寺を出た。海岸まで歩く。台風が近づいているのに波は穏やかだ。20年くらい前、こんな穏やかな海で死んだ女がいたという。溺れている子供を助けて女が死んだ。自分の子を残して。
生きている資格のない自分は、落ちるところまで落ちても、なお死ねずにいるのに……
久作は穏やかな波を見ていた。周りが騒がしくなった。また、あの集団だ。若い男が墓に備えたのと同じ薔薇の花束を持っていた。それを若い娘たちが1本ずつ分けて海に流した。まさか、この海で亡くなったという女の親族か?
背の高い娘が久作に気がついた。近づいてきて茶のボトルを差し出した。
「お墓をきれいにしてくれてありがとうございます」
きれいな娘だ。自分の娘も……思い出せない。思い出したくない。娘の顔。
「親戚のお墓なの。滅多に来られないから」
あの女は?
「友達のおかあさん。気になるの?」
誰かに似ている。誰だったか……女の子が欲しいな。君に似たかわいい娘……
あの子は? 髪の長いサングラスをした……
「台風が来るわ。気を付けてね」
娘は耳が遠いと思ったのだろう。大声を出し集団に戻っていった。
到底、人は住めないだろうと思うが、時々、老人が家の前に座っている。植木がかなりある。狭い歩道の半分まで伸びている。荒れている。自転車のタイヤが放置されている。壊れた傘が投げてある。食べ物のビニール袋が投げ捨てられている。
その前を通ると……老人がブツブツ何か喋っている。時々嬌声をあげる。人の名前を呼んでいるようだ。よく聞き取れないが怖い。
老人は、隣のマンションの前でも座っていた。海岸やスーパーでも。人はホームレスという言葉を使った。
老人は、あばらやに住んでいるが水道も止められている。隣の人に貰うらしい。時々家の前で体を拭いている。ずっと以前からいるようだ。詳しくはわからない。
男はあばらやに住み付いていた。流れてきた。土地勘があった。妻の故郷だ。何度か訪れた。もう20年以上も前だが。結婚して子供が産まれた。待望の女の子だ。妻に似てかわいいだろう。名前は決めてあった。
現実から逃げ出した。男は弱い。いつでも逃げ出すのは男だ。ドラマにもあった。放浪して戻ると、子供は死んで、人知れず庭に埋められていた。
娘には手術が必要だった。考える時間はない。男は拒否した。このまま、死なせてやりたい。首を振る妻を説得しようとした。死なせてやるんだ。その方がいい……
しかし、女医の説得の方が勝った。妻は生かせる道を選んだ。
男は病院を逃げ出した。
男は勝手に堕ちていった。嘆き呪い堕ちていった。
堕ちた。堕ちた。この地の者は他所者を追い出しはしなかった。あばらやに住むことを黙認し、食料まで置いていってくれる。水は隣の者が分けてくれる。
墓地に行く。日課だ。御供物をいただく。もう、悪いとも思わない。放置すればカラスに突かれ散らかる。後始末が大変だ。寺の和尚も了解済みだ。掃除して少しばかりの駄賃をもらうようになった。男は丁寧に墓の掃除をする。そして、賞味期限の近い菓子や缶詰をもらう。
寺に、にぎやかな集団が来た。男ふたりに、女が5人。若い者も年配者も。
「お寺なのよ。はしゃいではダメ」
「大丈夫だよ。誰もいないし、ママは喜んでる」
若い男が言った。数のうちに入らないのだ。墓掃除の汚い年寄りの男は。
集団は掃除したばかりの墓の前に立ち、豪華な花を広げた。墓参りに薔薇の花か? 東京から来たのか? 垢抜けた集団だ。若い女の頬に傷があった。遠目でも目立つ傷だ。
……悩んだだろうか? 子供の頃からあるのか? いじめられたりしなかっただろうか?
頬に傷のある女は丁寧に掃除をし、サングラスの女が花を供えた。あとひとりの女は……いちばん背の高い女は男を見た。
年配の男が線香を持って、すぐそばを通った。久作にお辞儀をした。こんな汚ない浮浪者のような男に。同年代くらいだろうか? 天と地の差だ。服も家族も。
背の高い娘は気がついたようだ。お供物泥棒……盗むのでは? と見張っているのだ。母親にだろうか、たしなめられている。事情があるのよ、とでも言っているのだろう。
居づらくなって寺を出た。海岸まで歩く。台風が近づいているのに波は穏やかだ。20年くらい前、こんな穏やかな海で死んだ女がいたという。溺れている子供を助けて女が死んだ。自分の子を残して。
生きている資格のない自分は、落ちるところまで落ちても、なお死ねずにいるのに……
久作は穏やかな波を見ていた。周りが騒がしくなった。また、あの集団だ。若い男が墓に備えたのと同じ薔薇の花束を持っていた。それを若い娘たちが1本ずつ分けて海に流した。まさか、この海で亡くなったという女の親族か?
背の高い娘が久作に気がついた。近づいてきて茶のボトルを差し出した。
「お墓をきれいにしてくれてありがとうございます」
きれいな娘だ。自分の娘も……思い出せない。思い出したくない。娘の顔。
「親戚のお墓なの。滅多に来られないから」
あの女は?
「友達のおかあさん。気になるの?」
誰かに似ている。誰だったか……女の子が欲しいな。君に似たかわいい娘……
あの子は? 髪の長いサングラスをした……
「台風が来るわ。気を付けてね」
娘は耳が遠いと思ったのだろう。大声を出し集団に戻っていった。
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