◆03カナンへの選択-Ⅶ リベカ:夜明け
文字数 1,729文字
その人は語りました。
アブラハム大伯父さんのしもべだという老人です。
遠くカナンの地から、駱駝 に乗って砂漠を越え、イサクの妻を探すために、ここハランを訪ねたと。
そして、井戸のほとりで祈ったそうです。
「私がたどってきたこの旅の目的を、もしあなたが本当にかなえてくださるおつもりなら、私は今、御覧のように、泉の傍らに立っていますから、どうか、おとめが水を汲みにやって来るようになさってください。彼女に、水瓶 の水を少し飲ませてください、と頼んでみます。どうぞお飲みください、駱駝にも水を汲んであげましょう、と彼女が答えましたなら、その娘こそ、あなたが主人の息子のためにお決めになった方であるといたします」
けれども、その祈りが終わらないうちに、わたしが井戸に到着し、老人の期待どおり彼に水を飲ませてやり、頼まれてもいないのに自分から、駱駝にも水を飲ませてやろうと思い立ち、井戸の底と地上を何度も往復して、水を汲んでしまいました。
そこで老人たちは家に来て、この話を語ったというなりゆきです。
つまり、わたしをイサクの妻にする、と。
父と兄は承諾 しました。私の意思など関係ない。それはいつものとおりです。
まったく予想もしない出来事でした。
乳母 のデボラはしかし、たくましく事態を受け入れ、いまは忙しく荷造りをしています。
私は一人、屋上に出ました。日干し煉瓦 で建てた家の、泥で固めた屋根の上です。
美しい夜空が広がっています。無数の星が瞬 いているので、ランプはなくても心細くはありません。
この星空の彼方のどこかに、あなたはいらっしゃるのでしょう。
ついさっき、父と兄があの老人になんと言ったか、あなたはもちろんご存知でしょう。
「このことはあなたの御意志だから」と。「わたしどもが善し悪しを申すことはできません」などと言ったのですよ、父と兄は。
さらに、
「リベカはここにおります、どうぞお連れください」
老人へそう告げて、わたしの気持ちを確かめもせず、決めてしまったのですよ、縁談 を。ええそうです、はじめから女に決定権などありません、それはわかっているけれど、納得できるものではありません。
ほんとうに、あなたの御意志ですか?
「道をお示しください」と祈った私への、これがあなたの答えでしょうか。
男たちの言いなりになれと?
一人で夜空を見上げていると、日中に井戸の底で水を汲み、天を仰いでいるときの、ひんやりとした静けさが甦ります。そう、快い孤独です。
星が一つ、流れました。
イサクという男について、その名と、アブラハム大伯父さんの息子であるということのほかには、わたしはなにも知りません。
ではもし、父や兄から結婚の意思を問われたら、わたしはなんと答えたでしょうか。
しばらく考え、気づきました。
きっと、その場では「考えさせてください」などと言って返事を保留し、いまと同じに屋上へ来て、あなたに問いながら、わたしは悩んでいたでしょう。
わたしはどうしたい?
断る?
受ける?
答えはまだ出ていません。なんてこと!
父や兄に腹を立てる前に、わたし自信が決断を怠 っていたなんて。
夜風のなかに嗅 ぎなれない匂いがかすかにあります。カナンから来た一行 の駱駝や荷物の匂いです。
カ、ナ、ン。
まぶたを閉じ、わたしはその言葉を舌の上で転がしました。
そうです、わたしはカナンに行ってみたかった。ユーフラテス川をこの目で見たい、そう願っていたのです。
もしかすると……いいえ、確かに、これは夢をかなえるチャンスです。あなたが与えてくださった?
カナンに希望はあるのでしょうか。しかしいずれにしても、そこへ向かって進むのは、希望へ手をのばすことに違いない。
わたしはそう信じます。信じることにしたのです。
結局、信じるとは、賭 けること。いま賭けなくて、いつ賭けるというのでしょうか。
胸の底に、熱い力強さが満ちてきます。
東の空が、仄 かに白み始めました。
アブラハム大伯父さんのしもべだという老人です。
遠くカナンの地から、
そして、井戸のほとりで祈ったそうです。
「私がたどってきたこの旅の目的を、もしあなたが本当にかなえてくださるおつもりなら、私は今、御覧のように、泉の傍らに立っていますから、どうか、おとめが水を汲みにやって来るようになさってください。彼女に、
けれども、その祈りが終わらないうちに、わたしが井戸に到着し、老人の期待どおり彼に水を飲ませてやり、頼まれてもいないのに自分から、駱駝にも水を飲ませてやろうと思い立ち、井戸の底と地上を何度も往復して、水を汲んでしまいました。
そこで老人たちは家に来て、この話を語ったというなりゆきです。
つまり、わたしをイサクの妻にする、と。
父と兄は
まったく予想もしない出来事でした。
私は一人、屋上に出ました。日干し
美しい夜空が広がっています。無数の星が
この星空の彼方のどこかに、あなたはいらっしゃるのでしょう。
ついさっき、父と兄があの老人になんと言ったか、あなたはもちろんご存知でしょう。
「このことはあなたの御意志だから」と。「わたしどもが善し悪しを申すことはできません」などと言ったのですよ、父と兄は。
さらに、
「リベカはここにおります、どうぞお連れください」
老人へそう告げて、わたしの気持ちを確かめもせず、決めてしまったのですよ、
ほんとうに、あなたの御意志ですか?
「道をお示しください」と祈った私への、これがあなたの答えでしょうか。
男たちの言いなりになれと?
一人で夜空を見上げていると、日中に井戸の底で水を汲み、天を仰いでいるときの、ひんやりとした静けさが甦ります。そう、快い孤独です。
星が一つ、流れました。
イサクという男について、その名と、アブラハム大伯父さんの息子であるということのほかには、わたしはなにも知りません。
ではもし、父や兄から結婚の意思を問われたら、わたしはなんと答えたでしょうか。
しばらく考え、気づきました。
きっと、その場では「考えさせてください」などと言って返事を保留し、いまと同じに屋上へ来て、あなたに問いながら、わたしは悩んでいたでしょう。
わたしはどうしたい?
断る?
受ける?
答えはまだ出ていません。なんてこと!
父や兄に腹を立てる前に、わたし自信が決断を
夜風のなかに
カ、ナ、ン。
まぶたを閉じ、わたしはその言葉を舌の上で転がしました。
そうです、わたしはカナンに行ってみたかった。ユーフラテス川をこの目で見たい、そう願っていたのです。
もしかすると……いいえ、確かに、これは夢をかなえるチャンスです。あなたが与えてくださった?
カナンに希望はあるのでしょうか。しかしいずれにしても、そこへ向かって進むのは、希望へ手をのばすことに違いない。
わたしはそう信じます。信じることにしたのです。
結局、信じるとは、
胸の底に、熱い力強さが満ちてきます。
東の空が、