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文字数 3,425文字

 鉄の格子で囲われた一室。カルロスは、小さなテーブルの前に腰を下ろし、頬杖をついて、俯いていた。



 静かに扉が開き、ロドリーゴが入ってきた。
「カルロス」
「おお! 来てくれたか、ロドリーゴ!」

青白い顔に、喜びの色が浮かんだ。

「よく来てくれた。お前も、辛かったろう? 僕は知っている。お前は、僕が母上に恋をしていることを、父上に告げたのだろう? 僕の秘密を手土産に、お前は父上の宰相になったのだ。だがそれは、このイスパニアの国の為だ。この国には、ぜひとも、お前のような器の大きな人間が必要だ。僕ではダメだ。不甲斐ない王子に代わって、お願いだ、ロドリーゴ。この国を頼む」

「ああ、俺は、お前の心が澄み切っていることを忘れていたよ。俺がどんなに計略を巡らせても、お前の心を曇らせることなどできぬということを」

「だが、たったひとつ、ロドリーゴ。せめて妃殿下を巻き込まないでいてくれたら! だが、お前の正義は、まっすぐだ。僕の妃殿下への心遣いなど、顧みるに足らないものだった。……愚かなことを言った。許してくれ、ロドリーゴ」

「何を言ってるのだ、カルロス。お前を(ここ)に閉じ込めたのは、まさしくお前の秘密を……王妃への恋心を……、エーボリ公女に口外させない為だ。お前がもう二度と、エーボリのような腹黒い女に、心の裡を明かすことのないようにだ」
「へ?」

 二人の友の耳に、重々しい足音が聞こえた。
 王の重臣が、牢の前に立った。

「カルロス殿下。殿下は自由の身におなりあそばしました」
胸に手を当て、恭しく重臣は言った。
「殿下は、誤って監禁されたのです。たった今、国王陛下は、偽宰相に騙されていたことをお気づきあそばされました」
じろりとロドリーゴを睨んだ。
 
 すぐにカルロスに向き直り、猫なで声で続ける。
「すぐにも、陛下のお前へ」

「いや、今しばらく、ここにいる」
カルロスは言った。重臣は敬礼して、立ち去っていった。


 「おい、ロドリーゴ。お前はもう、宰相じゃないのか」
重臣の姿が見えなくなると、カルロスは尋ねた。

 詰めていた息を、ロドリーゴが吐いた。
「聞いたとおりだ。俺はもう、宰相ではない」
「何があったのだ?」
「俺の計略の効果が出たのだ。お前は助かった。もう大丈夫。だが、俺は……」

 ゆっくりと、ロドリーゴは、カルロスに近づいた。
 至近距離まで来ると、友の目を、じっと見つめた。

 ロドリーゴの顔が、ふっと綻んだ。
 彼は長い腕を伸ばし、カルロスの体をしっかりと抱きしめた。

「ようやく……ようやく俺は、こうしてお前を抱くことができる! カルロス。俺は、自分の大事なものを全て捨てた。主義も、仲間も、己の命さえも。そうしてやっと、俺は、晴れ晴れとした気持ちで、お前を抱く資格を得たのだ!」
「ロドリーゴ」

友の胸の中で、カルロスは顔を上向けた。頭一つ高いロドリーゴの顔を見上げ、つぶやく。
「さっきまでのお前と、別人のように見えるぞ。目が輝き、胸の音が僕の耳に轟いて聞こえる」

なお強く、ぎゅっとカルロスの体を抱きしめ、ロドリーゴは囁いた。
「カルロス。お別れの時が来たようだ。……そんな目で、俺を見るな。この先どんなことがあっても、カルロス。いいか。泣くなよ。泣いてはダメだ」

 はっとしたように、カルロスは、身を引いた。無言で、友の顔を見守る。
 静かにロドリーゴは話し始めた。

「俺は、フランデルンの同志に、手紙を書いた。俺が、王妃に恋をしていること……黙って!」
なにか言いかけたカルロスを、ロドリーゴは遮った。さらに続ける。
「王妃への自分の恋慕を、うまくお前になすりつけ、陛下の疑いを免れていること。俺の秘密を知ったお前が、エーボリ公女を通して、内密に、王妃に警告を発しようとしたこと……」

「馬鹿な!」
カルロスは叫んだ。
「フランデルンとの手紙の行き来は、全て監視されてるんだぞ。お前の手紙は、確実に、王の手に落ちる……」

「それが、目的だった」
静かにロドリーゴは言った。
「そうして、どうやら、手紙の効果は出たようだ……」

「ロドリーゴ!」
唐突に、カルロスは立ち上がった。

「おい、どこへ行く?」
「王のところへ。お前の手紙は作り事だと、王に告げてくる。全ては僕のせいだ、と」
「気でも狂ったか!」
「いや。こうしている間にも、お前の死刑執行命令書に、王のサインがなされるかもしれない。そこをどけ、ロドリーゴ!」

「そうはいかん。どうか、聞き分けてくれ」
「ダメだ。お前を失うわけにはいかない」
「カルロス、お願いだから、そんな顔をするな」
「急がねば……」

駆け出そうとする友の肩を、ロドリーゴは捉えた。
「……カルロス。フランデルンの民を、よろしく頼む。お前の使命は、この国の上にある。お前に代わって死ぬのが、俺の役目なのだ」

 一発の銃声が轟いた。



「なんだ。どうしたというのだ!」
動転して、カルロスが叫ぶ。

「俺だ。どうやら俺は……ここまでだ」
 静かに、ロドリーゴの体がくずおれた。

 カルロスの顔が蒼白になった。彼は跪き、友の体を抱き起こした。
「しっかりしろ。ロドリーゴ!」

「……さすがは王だ。手早い。……だが、もう少し……時間がほしかった。もう少し、お前と……。頼むからお前は……かるろす……助かってくれ……」
「おい、ロドリーゴ! ロドリーゴ!」

 ロドリーゴの息はなかった。
 カルロスは、自分も死んだようになって、ぐったりと、友の傍らに打ち伏した。







 「殿下? 泣いておられるので?」
スパイが尋ねた。

「ああ、そうだよ」
プリンスは、濡れて青みの増した目を上げた。
「僕は、ここの……ロドリーゴが死ぬ場面を読むと。いつも、泣けてくるんだ。まったく、なんという偉大な人物を、イスパニアの国は失ってしまったことだろう……」

「王子がアホな恋をしたばかりにね」
「アホな恋? 王妃との恋のこと? それは、悪い臣下が、誤った情報を王の耳に入れただけなんだ。それなのに、どんどんどんどん、カルロスは窮地に追い込まれていった。ロドリーゴだって、王は、本当は、殺したくなんかなかったんだ……」

プリンスは本の一節を読み上げた。

とうとう死んでしもうたか。(おれ)が身も世もなく愛した男であったのに。……あれは己の初恋人であったのじゃ……


「なるほど。なるほどね……」
「違うぞ。王は、彼を、自分の子どものように思っていた、と言っているんだ」
「へえ。私はてっきり、ロドリーゴ・ボーサを挟んで、フェリペ二世とカルロス王子の三角関係だと……」

「ああ、僕も、ボーサ侯のような友がほしい!」
自分の胸を抱くようにして、彼は叫んだ。熱い吐息を吐き出す。
「ロドリーゴのように、大きく、寛容で、清廉潔白な、腹心の友が。僕は、その友に、己の全てを預ける。彼もきっと、僕に自分を捧げてくれるに違いないからだ。そして僕たちは……」

はっと、プリンスは口を閉ざした。

 静かにスパイが後を続けた。
「欧州の、世界の頂点に、立つことができる」

 プリンスは、スパイを見た。
 スパイも、プリンスを見返す。
 暫くの間、二人は無言で、お互いの目の中を覗き込んでいた。

 やがて、プリンスが宣した。
「僕は、父の過ちは引き継がない。僕は、己の欲に負け、平和を踏みにじったりはしない。僕は、民の幸せを、真っ先に考える。王は、民の下僕なのだ」

「あなたに、真の友を」
祈るような声で、スパイは言った。




le Prince









fin







・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 」
でくくられた部分は、『ドン・カルロス』(シルレル作、佐藤通次 訳 岩波文庫)からの引用です。




画像は以下より借用しました。

aleph.oto “the prisoner”
https://www.flickr.com/photos/alephoto/268642586/

Asique Alam Follow “Ahh the old guns..”
https://www.flickr.com/photos/kazechan/5329098038




NOVEL DAYS さんに、同じタイトルのチャットノベルがアップロードしてあります。プリンスとスパイの部分はなく、純粋に、カルロスとロドリーゴの物語になっています。画像やアイコンでめいっぱいデコれて、楽しかったです。もしよろしかったら。
https://novel.daysneo.com/works/45113c295485015f5618a52056601a59.html






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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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