父と精霊の名の元に②

文字数 2,119文字

「……は?」

私の頼みに、彼は心底嫌そうな顔をした。
ここまで感情を隠そうとしない人がいる事がおかしくて、私は思わず漏れそうになった笑いを噛み殺した。

「ですから、僕の「お父さん」になって欲しいんです。」

営業スマイルを崩さず、もう一度告げる。
彼はケッと舌を打ち、煙草を取り出して火を付けた。
面倒そうに煙を燻らし、安っぽいダイナーの天井を見上げている。

「……設定は?」

そしてポツリとそう言った。

彼に断る道はない。
私はほくそ笑んだ。

私はルサルカの情報を得る為に、スパイ養成所の短期講習で得た知識と技術を使い、彼らに繋がりそうな人物や組織に接触していた。
そしてその中でやっとルサルカを販売する人物の情報にたどり着いた。
接点を作るには「モノを買う」のが手っ取り早い。

だが、自分用となると後々、組織に接触するのに面倒な事になる。
だから「何故、薬が必要が」の理由が必要になるのだ。
それはできるだけリアリティーがあった方がいい。

「……お前さぁ、馬鹿か?」

彼は私の設定を聞いて、呆れたようにため息をついた。
それに動じず、私は笑みを絶やさない。

「どうでしょう?お互いメリットはあると思うのですが?」

「……どんな?」

「ジャンキーな父親なら、その場にいても気にせず向こうも話をするかもしれません。あなたも話が聞けるなら、わざわざ僕から情報を買う必要がなくなるでしょう?」

「どうだか。」

「やってくれるなら、今後、よほどの事がない限り、貴方から情報提供料を取りません。」

「……断ったら?」

「それは困りますね。こちらの秘密を貴方が握っている事になりますからね。」

私はにっこりと彼に微笑む。
それにハッと呆れたように彼は声を立てた。

「……現役警察関係者を、浮浪者同然のジャンキーな父親に仕立てるって、イカれてんな、お前。」

「そうですか?僕の知り合いの中で、貴方が一番、適任だと思ったんですけど?」

「……どういう意味だよ?」

「言葉のままです。」

それを彼がどう取ったのかわからない。
彼はくすんだソファーの背もたれに両手を置いて、寂れた天井を見上げた。
ああぁ~と妙な奇声を小さく上げる。
その奇を衒う様子は設定にはぴったりだった。
無精髭の生えたくたびれた姿は、言ってはなんだが、彼を現役警察関係者と見る人はいないだろう。

「一つ、教えてくれ。」

彼はその奇妙な体制のまま呟いた。
そしてもぞりと体を起こし、テーブル越しに私に顔を寄せると言った。

「テメェは何故、ルサルカを追っている?」

キンッと耳鳴りがした。
急に気圧が変わったように、私は一瞬、動けなかった。

生活のだらしなさを絵に描いたような、ヨレヨレのスーツ姿の彼の中、その眼だけが凛とした鋭さを持って私を見ていた。

動けなかった。

何度となく危ない修羅場を見てきた。
それなりに危ない人物とも接触してきた。

なのに動けなかった。

彼の目の中にある、激しい怒り、憎しみ、絶望、それらを凌駕するほどの飢餓感。
それを目の当たりにして私は動けなかった。

口の中がカサカサする。
私の神であるドモヴォーイを前にしても、ここまで狼狽えた事などなかった。

しかし彼の眼は私を逃さない。
その答えを聞くまでは。

「……神の啓示です。」

そんな男を前に、私はそう言った。
何を馬鹿げた事をと言われるかもしれない。
他に挙げられる真っ当な理由だっていくつもあった。
けれど私の口からはその言葉が出た。

それは誰にも明かした事のない真実。

私が私である定義。
ドモヴォーイの駒である事が私が存在する理由。
私の行動原理だ。

そんな事は誰にも言った事はない。
「神」にだってそれを告げた事はない。

なのに、この男は私の真意を丸裸にした。
たった一言で、それを暴露させた。

時計の秒針の音が聞こえる。

その音を聞きながら、私は次第に冷静さを取り戻したり。
そしてゆっくり息をしながら思った。

大丈夫だ。
彼はきっと、馬鹿な事を言って誤魔化そうとしていると受け取る。
麻薬を追う理由に「神の啓示」だなどと答えたのだから……。

「……そうか。」

彼はそう言った。
そしてそれを質問した時間が嘘のように、見慣れた彼に戻っていた。
ダルそうに冷めたコーヒーを飲み、煙草に火をつける。

「……で?」

「え……?」

「いつだよ?」

「あ、ああ、決行日ですね?」

何もなかったように話を進める彼。
相変わらずダルそうに、全てがどうでも良さそうに。

そこから打ち合わせを済ませ、店を出る。
外はいつの間にか、しとしとと雨が振り始めていた。

「……雨。」

「んだよ、傘、ねぇのか?」

「天気予報も宛になりませんね。」

苦笑いする私に、彼がぶっきらぼうに何かを差し出した。

「ほらよ。」

「え?」

「遠慮すんな。んな綺麗な服装の奴が濡れてたらみっともねぇぞ。」

それは折り畳みの傘だった。
遠慮以前に、彼が折り畳み傘を持ち歩いていた事に、私は酷く驚いていた。
それを無理やり手渡される。

「……意外です。」

「一言余計なんだよ、ムカつくガキだな?」

そう言うと彼は、ヨレヨレのジャケットを脱いで頭に被った。

「……悪りぃな。」

「え?」

「俺、雨男つうか、水を呼ぶんだわ。」

そう言い残し、彼は足早に去って行った。
私は寂れて安っぽいダイナーの前で一人、折り畳みの傘を手にぼんやりと雨を見つめていた。
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