番外編 ミラベル・ハーボルト王妃 賢者の石

文字数 2,184文字

 ミラベル王妃は、執務室で書類の整理が終わり、少しのんびりした気分になっていた。
 普段執務室に詰めている臣下や使用人たちには退出してもらっている。
 自室に戻れば、また大勢の使用人がいるのだ、少しくらい一人の時間を持っても許されるだろう。

 戦争は終わった。
 世界的にはまだ戦国時代だが、しばらくはこの国に火の粉は飛んでこない。
 その程度には相手国を打ちのめした。
 勝利の遠征等の国上げてのお祝いの最中に、私は賢者の間に戻るつもりだった。
 本来、私がいるべき場所に。

 賢者の間には、成人男性の身長を超すほどの大きな賢者の石と、下界を見下ろす為の水晶が置いてある。
 数百年前に、賢者が己が能力(ちから)のほとんどをつぎ込んで創った自身の分身だ。
 エマという何の変哲もない女性を救うためだけに、賢者はその命を懸けた。

 まだ戦争に巻き込まれる前、賢者の間でまどろんでいると、水晶を通じて声が聞こえてきた。
『賢者様に、感謝しなくっちゃ』
『こんなに穏やかな気候を作ってくれてありがとうございます』

 水晶は賢者について言っていることや、感じていることは無条件に拾ってしまう。
 賢者を恨む言葉、感謝の言葉……その内容は様々だけど。
 珍しく幼い声で聞こえてきたその言葉に、つい耳を傾けてしまった。

『マリーお嬢様。その賢者様に選んで頂けなかったせいで、このような境遇に……』
『だって、賢者様の所為では無いでしょう? 私に足りないものがあったのよ』

 賢者の石は、水晶を覗いた。
 そこには、草原でおしゃべりをしている二人の幼い子ども。
 二人とも質素な服は着ているが、会話から推測するに片方は使用人なのだろう。
 
 マリー・ウィンゲートか、あの幼子は……。

 私の耳にも届いている。
『王妃候補のなり損ない、田舎に捨て置かれたご令嬢』
 ウィンゲート公爵家が、毎回王太子の誕生に合わせて正妻に女児を産ませていることは知っている。歴代当主のアピールを完全無視してきたのは、自分だ。
 まぁ、王太子の婚約者……時期王妃を選んでいるのは、自分ではないのだから、アピールされても困るのだが。

 選ばれなかった女児がどうなったのか、興味もなかった。今までは……。

『賢者様に、感謝を……』

 こんな祈りが届かなければ、今回も死のうが生きようが、人間の(ことわり)の中の事として処理していたはずだ。
 マリーの身辺を調べ、本当に放ったらかしにされていたマリーの元にアリシア・リンドを送った。王宮に出て来れるだけのマナーを身に着けさせるために。

 そして戦争に勝利して戻ってきたときにウィンゲートの当主を執務室に呼びつけた。
「マリーをですか?」
「そうよ。そなた王太子の婚約者選びの時に、女児が生まれたと陛下とわたくしにさんざんアピールしてきていたでしょう? 今回、英雄になった3名に報奨品として婚約者を選ばせようと思っているの。ずっと、戦場にいたせいで婚姻どころか婚約者を作る暇も無かったのですもの」
「それは、良い考えだと思いますが」
 この国において男女問わず、上位貴族が自分の婚姻相手を選べるというのは、破格の待遇だ。
 貴族間のバランス、国益に沿った婚姻以外認められていないから……だけど。

「私の娘を候補に入れてもよろしいのでしょうか」
 王室に敵対していないというだけで、黒い噂の絶えないウィンゲート公爵家を王室の方が疎んじてきたはずだ。
「そなたの家系の頭の良さは、わたくしも買っているのよ。だから、王太子の側近にあなたの息子エイベルを採用しているでしょう? それに、選ばれなければ、それまでの事だわ」
「かしこまりました」


 そういうやり取りをして、マリーは王宮で催される宴にやってきた。
 自分が報奨品になることなど気にもしていない様子で、英雄の一人に文句を言っている令嬢たちに苦言を呈している。
『あの方々のおかげで、わたくし達は平和に暮らせているのに。命を懸けて、わたくし達を守って下さった方になんという……』

 今まで、ずっと不遇な環境にいたとは思えないほど素直で、何にでも感謝ができるマリーを私はとても好ましいと感じた。
 まぁ、すぐに胃の痛みと共に後悔することになるのだけど、それを差っ引いても愛おしい娘。

 そして、予測はしていたのだけど、頭も良い。
 特に『トム・エフィンジャー』への対応は、賞賛に値する。
 だけど、王室として『トム・エフィンジャー』の対応に対しての報奨をマリーに公の場で渡すわけにはいかない。それだけの功績を残していても。

 王室としては、放っておいてよかった事件。
 ウィンゲート家のお家騒動を利用して、マリーに破格の待遇を与えることにした。
 王妃のお気に入りにして、王太子妃のご友人という立場は、マリーがどんな失態を演じてしまっても、貴族たちは笑ってすましてくれるだろう。

 私の胃もこれで安泰というものだ。

『トム・エフィンジャー』にも気に入られてしまったのは……まぁ、それはその時に考えれば良いか。

「さて、そろそろ自室に戻るか」
 今回、賢者の石に戻る暇はないらしい。
 たまには、王妃の生涯に付き合う……そんなことがあっても、悪くないのかもしれない。
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