ノブなしドアをノックして

文字数 14,041文字

ミノリッたら・・、どした?

三年D組の教室から人がドーーっと出てきて、私は、あわてた。廊下の壁際に身体をへばりつけ、人の波をよけた。
 D組は、理系のクラス。放課後に即塾に行く子が多いみたいで、いっつもこんなふう。皆急ぎ足で帰ってくから、ぶつかりそうになる。怖っ。
「あ、いた、いたー。ミノリー」
 私は、流れにさからい、D組の教室の中へ。
「マナ、お疲れー」
 ミノリは、私を見てニコッと笑い、左手に持ってた20センチくらいの定規を2,3回振ってみせた。
 ミノリとは、高一の時に同じクラスだったんだけど、二年になったとき、文系理系で分かれちゃって今に至る。三年になる時も当然理系のミノリとは同じクラスにはなれなかった。
 ミノリは、超かしこいんで。
 私は・・・文系。
 二つのコースは、時間割もすごく違うから、一緒に下校できるのは、火曜日と木曜日の今日だけ。
 ミノリと爆笑しつつ帰る日は、本当楽しい。その日が、待ち遠しいったら!!
「もう帰れる?」
「あ、ちょっと待て。このレポートだけ、今日中に出したい」
「わかった、待つよ」
 私は、ちょっと大人しくしてたけど、すぐに手持ちぶさたに。ケータイ、スマホは、学内禁止だから、こんな時暇をつぶせるもんが、ない。
「そういえば、ミノリー!! あ、ごめん、つい話しかけてもーた」
「いーよ、何?」
「今日のあれ、一体どーゆーこと?」
「今日の?」
「講堂での発表のことですよ」
「それが、どうかした?」
 どうかしたって・・・・。ミノリは、今日の五時間目の進路発表会のとき、ありえないほど落ちついていて、自分の意見を話し、全校生徒のみならず、厳しい評価で有名な数学先生までも拍手喝采させた。
「すごいじゃ~ん、ありえな~い」
 ミノリは、私の目を覗きこんで、軽く笑う。私は、質問を続け・・・。
「一体どうしたっての? 一年のときは、そういう係がまわってくると逃げまくって絶対前に出たりしないキャラじゃなかった? それで自分と似てるって思って話しかけたのが、友達になるきっかけだったと思うけど?」
「そうだっけ?」
「だいたいさー、なぁに? あの落ちつき。私は未来に希望を持っていますから、目先の大学受験は人生のゴールではないと考えています。むしろ、スタート地点です・・・だっけ?」
「皆は、私がステージにあがってキンチョーしてあわあわするのを見たいわけじゃないから」
 そりゃ、そうだ。そんなのを見て笑うには、私たち、もう大人すぎる。でも、人が変わったように一言一言かみしめるように話すミノリは、一年の時とは別人のよう。
 人は、そんなにカンタンに変われるもの?
「あとは・・・守られてるっていう安心感?」
 誰に?
「ハヤトに?」
 ミノリの彼氏の名前。ハヤトに守られると、あんな堂々とした発表ができるわけ?
 私には今あいにく彼氏はいないけど、仮にいたとして、心の支えになるかどうかは、大きなギモン。
「ハヤト? まさか!」
 ミノリが、はじけたようにケタケタ笑う。足まで、バタつかせながら。
「あいつが守ってくれるわけないじゃーん。それにハヤトとは、別れたんよ。けっこう前だよ」  
 絶句。知らなかった。たしか一年くらいは、つきあってたと思う。顔は、私のタイプじゃないけど、けっこう面白いヤツだったから、たまに一緒に遊ぶと楽しかったんだけど。
「なんでー? やっぱり受験に集中するため?」
「違う違うー、そういう意味なら一緒にがんばれるから彼氏いた方がいいんじゃない?」
「じゃ、なんで?」
「だって、あいつ。自分のことしか考えてないんだもん。疲れんだよ、一緒にいると」
 別れの理由によくあるパターン。
 そういう時は、ガマンしないでバイバイするのが一番かも。結婚してるわけじゃないんだし。私も、元彼と別れるとき、けっこう冷たくしちゃったかも。思い出すと、ちょっと心痛む。それからずっと私には彼氏と呼べる人あらわれなくて。ハヤトは、いいヤツだから、ミノリにちょびっとだけ嫉妬してたかも。
 で、別れたって聞いたら、なんでか嬉しくなっちゃって、笑うとこじゃないのに、自然とほっぺたゆるまっちゃって。彼氏がいないっていう仲間意識? ああ、こういうのはいけない感情。でも正直な気持ちでも、ある。
・・・・なんて色々考えてるうち一人の世界にはいりそうになって、ミノリはレポート書きに戻ろうとしていた。
「いやいやいやー、ハヤトじゃないなら、一体誰に守られてるっての?」
 しつこい私。
「まさか、アガらない薬とか? それ、違法じゃないよね? それとも、催眠術系? 勝手に、先走る。
「そんな薬あるわけないじゃん、安定剤とかならまだしも。さらに催眠術なんて、現実的じゃないね、マナったら」
 いたずらっぽい目で私を見つつ、つけ加える。
「あ、でもマナにとっては、もっと現実的じゃないかもね」
「えっ??」
ひと呼吸おいて、ミノリが言った。
「私をいつも守ってくれるのは・・・・イエス様です」
 ミノリ・・・。どうしちゃったの? 私の頭の中の理解スィッチがはじけ飛んで機能しなくなった。
 ミノリににじり寄り、問いつめる。気づくとさっきまでいた五、六人のグループも教室から去り、今は二人だけになってた。
 窓の外の葉っぱが揺れて、机に幾何学的な影を作ってた。遠くの方から、号令。そうか、もう部活が始まる時間。
 そんな事を考えつつ、ミノリの答えを待つ。
「びっくりした? マナ・・・。私ね、今年の始めから教会通ってんのよ。で、色々聖書について学んでて。それで先月洗礼受けた」
 洗礼? 何それ。さらにナゾの言葉。もういっぱいいっぱい、リアクションできない。
 ミノリが、ぽつぽつ説明してくれた。日曜日、教会に行き、礼拝をする。礼拝って、神様を讃美することなんだって。
 牧師さんが、礼拝の中で語ってくれるのは、神様からの言葉。牧師さんが、取りついでくれるその言葉は、次の一週間の生きるエネルギーになるんだって。
 ミノリは「糧」って言ったけど、その意味がわからなかったら「エネルギー」って言いかえてくれた。
「え・・・神父様じゃないの? 教会にいるのは」
 素朴な疑問を、ぶつける。
「キリスト教には、いくつかのグループがあって、神父様がいるのはカトリックの教会なんよ」
 知らなかった。ミノリが行ってる所は、プロテスタントってことで、他にもまだグループがあるらしいんだけど、私の頭が混乱しはじめたので、
「そういう話は、また今度ね」
 と勝手に打ち切られた。
 しかし。この受験期の忙しい時期に、毎週教会に行ってるなんて、信じられない。
 きっと、朝早いんじゃないか? 私だったら、せっかくの日曜日、思いっきり寝てたいけどな。
 ミノリ・・・どうしちゃったんだろう? でも、言われてみればここ二、三ヶ月なんか変わったなーと思ってはいたんだ。前みたくグチこぼしたりしない。たまに爆発するときもあるけど、すぐケロッとしてる。なんか・・明るい。
 キワめつけは、今日! ステージ袖から出てきたとき、実は本気でびっくりしてた。あんなに堂々として、一歩一歩踏みしめて歩くミノリ、初めて見たから。
 シーンとなった講堂。発表をする前に会場を見回す余裕さえ、見せて。
 イエス様に、守られてる? 一体どうやって? ひとしきり話を聞いた後、質問してみる。
「カンタンさー。イエス様一緒にいてくださいって、祈ればいいだけ。そうすると、心があったかくなって、どんな時も落ちついていられる」
 ニコっと、笑い・・・。
「言われてみれば今日みたいな大役、前だったら手に汗びっしょりかいて、もしかしたら、倒れちゃってるかもね。でも、本気で大丈夫だったよ」
 ニカっと、笑う・・・。
 よく、わかんない。だいたい親どう思ったんだろう? 洗礼受けるって言ってモメたりしなかったのかな? 今更ながら、 心配。ミノリんち、クリスチャンて話聞いたことないし。
 そもそもハヤトと別れて、日曜日時間ができたから、教会行ってるんじゃないのかな? 私も遊んであげたいけど、この成績じゃ塾に行かないと、大学受かりそうもないし・・・。
それから私たちは、教室を出て、駅への道を歩いて帰ったけど、ミノリは楽しそうにクラス内で起こった出来事を話すもんだから、それ以上のことは、聞けなかった。


真夏の課外授業、公園にて

 八月も半ば、セミうるさい。今年は、とりわけ。 
 多分私自身が受験でイラついてるせいだと、思われる。セミに八つあたり? ひどいヤツだよ、我ながら。
 毎日塾に行って、帰りにちょっとファストフードに寄るだけ。こんな犠牲的な夏、いつか取り戻すこと、できるの? ナゾ。
 ミノリは、理系だから、もっとハードなスケジュールらしく、なかなか会えないでいたけど、今日は急に塾が休講になったからって、会うことになった。 
 夏休み前に会ったとき、ミノリに聞いたところ、洗礼のこと、親は特に反対しなかったらしい。
叔母さんがクリスチャンなので、それも大きかったかもって言ってた。
「へぇー、そんなもの? 逆にびっくり」
 私が拍子抜けして言うと、
「別に悪いことするわけじゃないんだから、なんでそんなにこだわるの? マナこそ、自分の名前の意味、考えたほうがいいよ」
 と意味不明のメッセージをくれた。何、それ・・・? 気になって家に帰り、親に名前の由来を聞いた。
「特に意味ないよー。響きがかわいいし、呼びやすいから」
 納得行かず。自分で、調べた。なんか食べ物がなくて大勢の人が困ってる時、神様が空から降らせてくれたパンみたいな食べ物のことらしい。そのせいで、たくさんの人が生きのびたって。
 ふーん。
 親にそのことを言ったら、
「ああ、そうなんだ。そういえば、たまにクリスチャンですか? って聞かれる時あるんだけど、何のことかわかんないから、テキトーに笑ってたわ」
 なんて言う。
 私は、全部理解したわけじゃないけど、少しだけ嬉しかった。自分の名前の食べ物で、なんか助かった人がいるってだけで。
 その日、二人とも毎日エアコンが、ガンガンに効いてる教室にいて身体がダルくなっていたので、会うのは二百円払って入る都立の公園にした。
 さすがに手入れが行き届いていて、木蔭もたくさんあり、その下に座るとありえないほど、涼しい風が吹いてきた。
 その風を思いっきり吸いこんで、つかのまの息抜きって感じを楽しもうとリラックスを決めこむ。
 さすがのミノリも、ちょっとやつれてる。ミノリは、すっごく頭がいいのに推薦じゃなくて一般入試を狙ってるから、そのハードルの上げかたにはリスペクトだけど、入れるなら早いうちに決まっちゃう推薦枠を使えばいいのに、とも思う。ミノリには、じゅうぶんその力、あるはずなのに・・・。
「そういえばさー、期末テスト前にお祈りのしかた教えてくれたじゃんかよー」
 私が、切りだす。
「英語八十点取れますようにってお祈りしたのにさー、六十五点だったよー。お祈り聞かれなかった!」
 文句モード。
「あはははー」 
 爆笑。ミノリが、大口あけて笑う。ひどっ!
「なんで笑うんだよー!?」
 私は、ムカッとしてセミの鳴き声に負けないくらいの大声で反論。
「だってさ」
 言葉を切って、私を見つめる。
「そんなピンポイントで祈るからだよー」
 はっ? どういうこと?
 だって、ミノリはお祈りのしかた教えてって言ったとき、たしかこんなふうに言わなかった?
「どう祈ってもOKだけど、ありがとうって気持ちを伝えるのが大切かな? 今日も無事に楽しい一日を送れてありがとうございます、とか」 
 へぇ、そんなんでいいんだって思って、祈ってみた。
「お祈りの最後にはイエス様の御名を通してお祈りしますって言って、アーメンでしめるの」
 ちょっとよくわからないこともあったけど、思い出した時は割と真剣に祈ってたのにな。
「・・・ピンポイントがいけなかった?」
 聞いてみる。
「うーん、答えにならないかもしれないけど、私はこう考えてラクになったから聞いてね」
 ミノリは、長―い説明に入った。
「八十点取ることが、マナにとっていいことかどうか、マナにはわからないよね。もしかしたら六十五点だったから、ヤバイって思って勉強ハードにして、希望の大学に合格するかもじゃん」
「・・・・・」
「神様は、ピンポイントじゃなくってマナの一生全体を見てくれて、マナの一番いいようにとりなしてくれるんじゃない?」
 よくわからない。ミノリの言ってること。もっと具体的に聞いてみないと。
「じゃあさぁ、私の第一希望の野々村女子大に合格させてくださいってのも、ダメなの?」
 ミノリが考えるように少し首をかしげて、
「うーん、どうだろね。でも、わたしだったら、野々村女子大に行きたいけれど、すべてあなたにゆだねます。御心のままにって祈ると思う」
 ミココロノママニ・・・。一瞬何語かわからなくて、頭の中で変換するのに時間がかかっちゃった。その間に、ひらめいた。わかった! お兄ちゃんのことを思い出したら、すべてつながっちゃって、わかっちゃった。
 大学三年のお兄ちゃん。高三のときは、めっちゃ勉強して国立一本やりだった。楽勝で受かる大学を狙ってる友達をバカにして、鼻で笑ってた。
「今ここで勉強するかしないかで就職先も良い会社に行けるかどうか決まっちゃうのに、バカな奴ら」
 とか言っちゃってた。
 それが。結果出たら、見事に落ちちゃって。家からすっごく遠い不本意な私立大に通うことになっちゃった。浪人は恥ずかしくってできないって言って。
 でも、そこだって私なら入れないような立派な大学だってのにそのクサり方といったら、もう・・・。
 入学したての頃は、大学の悪口はもちろん、まわりの友達のレベル低いとか言っちゃって毎日そんなグチばっか。聞いてるのもイヤだったんで、お兄ちゃんが帰る時間帯になると、自分の部屋に逃げこんでた。
 どうも最近は、大学に行ってないらしい。毎日出かけるけど、学校の話いっさいしないし、一体どこに行ってるのだろう? 見下してたから、友達もいないと思う。
 なんか・・・。もしお兄ちゃんが、自分はこの大学で頑張るように神様から言われてるって思えたなら、あんなにヤケクソにならなかったかも。起こったことを、きっと意味があると受け入れられれば、もっと良い方向に物事がころがっていったのかもしれない。
 今まで、お兄ちゃんの事が理解できなかったけど、ミノリの話を聞いてたら、なんかそういうことだったの? って納得。そしてお兄ちゃんのこと、少し気の毒になっちゃった。
 そう、100パー自分の思い通りに行かないときに、どう考えるかで、全然違う景色になっちゃうってことなんだね。
 ミノリだって、目指してるとこは超難関なわけだけど、きっとそういう祈り方をしてたら、どんな結果になっても、笑えるんだろうな。
「ここが、私の生きる場所!」
 とか言いながら、なんか、ラクだな。なんか、楽しそう。
 そうなの。ミノリは、本当に自然に生きてる。前からこうだっけ? とよく思うけど、以前のミノリがどうだったかなんて思い出せないくらいに、今のミノリに慣れちゃった。
 ちょっと、うらやましくも、ある。
 そうは言いつつ、自分のことを考えると、やっぱ訳わかんない不安がわきあがってきちゃう。塾に言われるまま、授業のコマ数を増やして、頑張ってるつもりだけど、絶対合格する保証があるわけじゃないし。
 ゆらゆら揺れちゃう、私の心。時々、どーでもよくなっちゃうこともあるし。
 もしも私が受からなかった場合、ミノリも不合格になってほしい。そうすれば、一緒に悔しがれる。
 私だけ落ちて、ミノリは合格したら?
「おめでとう」
 って、きっと言えない。そんなの無理。言おうとしても、口が動かないと思う。絶対。
 でも、そんなこと思うのは、友達じゃない感じもするし、人に言えない気持ちだと思う。もちろん、そうならないように頑張るつもり。と言いつつ、もしそうなったら? と私の中で勝手に妄想がぐるぐるまわる。
 まわりすぎて、ターボがかかって、生クリームみたく泡立っちゃうよ。
 ミノリが教えてくれたように、祈るのもあり、かも。お兄ちゃんの辛さを見てる私こそ、ミココロノママニって祈るべきなんだよね。そうなんだよね。
 私は、気持ちいい風になびかされながら、一人思ってた。

クリスマスって、そんな意味?

あっという間に、十二月が来ちゃって、あせる私。クラスの友達もどんどん推薦勝ち取って、バイトとか始めてる。
 後悔しても始まらないけど、入学した頃からまじめに勉強しとけば、今頃・・・。
 推薦で行く子は、こつこつ頑張ってた子ばっかだもの。
 今日は、ミノリと帰る約束をしているので、いつものように三年D組のドアを開ける。引き戸になっているんだけど、古いため力を入れないと開いてくれない。
 ミノリは、窓際の後ろから三番目の席で、帰りじたくをしてる。午後の光が、ミノリの長い髪を光らせ、なんだか身体全体がキラキラしてた。
「あ、マナー! 今日こそ私が迎えに行こうと思ってたのに、また来てもらっちゃった。悪いねー」
「いーよー、別にー」
 そんなことまで、気をまわしてくれるんだな。新鮮。
「それより、ミノリ、クリスマスどーするの? 今年は日曜日がイヴだから、町中きっとにぎやかになると思うよ」
「どうするって、何? クリスマスは、教会に行くけど?」
 えーー!! 思わず声をあげちゃった。
「なんでー? クリスマスくらい休めないの? 年に一度のクリスマスじゃない!」
 ミノリが、不思議そうな表情を作る。
「・・・・クリスマスこそ、教会に行くんでしょ? マナこそ何言ってんの?」
「だって、そうしたらパーティとかして楽しめないじゃないの」
「もしかして、クリスマスが何の日が知らない人?」
 どういうこと? ちょっと、ムカッと来た。
「チキン焼いて、ケーキ食べて、大人はワイン飲んで、プレゼント交換するんでしょ? 彼氏がいれば一緒に過ごす日でしょ」
 ミノリは、大きく目を見開いて、
「ホントにいるんだ、そういうヒト。あー、びっくり」
 と言った。どういうこと?
「いーい? マナ。クリスマスは、英語で書くとキリストのミサ、つまりイエス様をたたえる日だよ」
「え・・・・」
 知らなかったよ。
「くわしく言うと、イエス様が生まれた日を祝うのがクリスマスなんだけど。マナ、私をからかってるんじゃないよね?」
「違うよー。ほら、うちクリスチャンじゃないからさ。知らずにマナって名前つけちゃうくらいだから」
 なんか言い訳っぽく早口で。ミノリの表情が、ゆるむ。
 じゃあ、サンタクロースがイエス様? 中学のころ美術の教科書で見たイエス・キリストとはちょっと違う気もするけど。いや、それは聞きにくいわ。
「でも、せっかくのクリスマスなのに・・」
 私の言葉をさえぎって、ミノリが言う。
「せっかくだから、喜んで教会に行くのです」
 少し遠い目をしてから、あらたまって私の方を見て、
「もしかして、私が日曜ごとに教会行ってること、大変だなーって思っちゃってる?」
 と聞いてくる。
「うん」
 素直な、私。
「あー、違うんだなー。行かなくちゃいけないから行ってるんじゃなくて、行きたくてしかたなくて行ってるんだよー」
 あ、そうなの? 義務じゃないの?
「でも私は、塾で日曜日がつぶれちゃうのが、すっごくイラっとくるわけ。それも高三の今だけだと思うから、なんとかなってるけど、教会は期限なんかないんだよね?」
「もちろん。ずーっとね」
 嬉しそうな、ミノリ。
「時々日曜日教会だったって言うと、お疲れさまーって言ってくる子いるけど、ナゾが解けたわ。ありがとうマナ」
 ミノリの頭の回転についていけない。
「義務で行かされてるって思ってたんだね。それじゃぁ、お疲れさまになっちゃうわ。疲れてなんかいないし、むしろ逆なのに」
 そうして深く考えてる。三分ほど黙って。何考えてるんだろう?
「あ、思いついた、説明しやすいたとえ。教会は・・・ガソリンスタンドのようなものだね」
「ガソリンスタンド?」
「そう。一週間頑張って生きてきて、色々あってガソリン減っちゃってるんだ。だから、チャージ」
「何を?」
「元気とか、笑顔とか、ありがとうの気持ちとか」
「ふーん」
 ちょっと理解できなくて、リアクションに困る。
「それと走りすぎて車体も故障してるかも。だからメンテ。リセットって言っても可」
「車体? それは人間の身体のたとえ?」
「そう。身体と・・・心だね」
 そうして、微笑む。
「私からすれば、チャージもメンテもしないでずっと走り続けている方が、お疲れさまだよ。
ボロボロの車で走ってたら、いつか大きな故障につながるよ」
「心と身体が?」
「そう」
 言われてみると、なるほど。まだ十七年しか生きてない私でさえ、イライラや不満が募るというのに、大人たちは一体どれくらいストレスをためこんでるんだろう、怖い。
 ガソリンスタンドのたとえは、わかりやすいけど、ミノリがそんなふうに勝手に思ってるだけのような気もするし。話してるうちに、よくわからなくなっちゃったよ。

私達は、電車に乗ってからは他の話題で盛り上がってた。冬の日は、あっという間に暮れて、窓の外は暗くなった。
 ターミナル駅のロータリーに大きなクリスマスツリーが飾られ、ライトアップされている。シックな色合いで、おしゃれ。LEDライトをふんだんに使い、統一感があって、とってもステキ。
「ねぇ、教会にもクリスマスツリーあるの?」
「あるよ、もちろん。十二月のはじめに、私も手伝って飾ったもん。あ、そうだ!」
 突如、ミノリが叫んだ。何?
「クリスマス礼拝の時は、教会ビギナーの人もたくさん来るんだよ。マナもおいで! ツリーも見せてあげるから」
 え・・・・。身がまえる。行ったら最後、取り返しのつかない事が起きちゃうんじゃないだろうか。心配になってくる。
「大丈夫よ。無理やり洗礼に誘ったりしないから。ただね、もしかしたらマナも招かれてるんじゃないかなーって思う時あるから」
 招かれてる? 誰に? ますます用心しちゃう。
「あ、教会に行くのに招待状が必要なのかな?」
 一人で、答えを見つけてみる。
「違うー。教会は誰でもいつでも来てOKだし」
「じゃ、誰に?」
「イエス様にでございます」
 はぁ。ミノリの言ってること、またわからなくなっちゃった。時々車のクラクションが鳴り響き、聞きとれなくなるし・・・。
「・・・ミノリは、招かれたわけ?」
「そうだと思う。見えないけど強い力が働いてる感じだったの。教会の前を通るたびに、スーッと引き込まれそうだったし」
「そうなんだー」
 話を合わせてみるけど、全然納得してない私。ミノリのペースに飲みこまれそうなので反撃に出てみる。
「イエス様って、たしか平和を願ってるんじゃなかった? それならどうしていつまでも世界は平和にならないの?」
 誰かがどこかで言ってたような質問だけど、それくらいしか反撃材料が思い浮かばなかった。
「それをやってるのは、イエス様じゃなくて人間だよ」
「え・・・人間?」
「そう。イエス様は愛と平和の方で、本当は何でもできるけど、私たちのことをちゃんと尊重してくれてるから、選ぶ権利を残してくれてるのでございます」
「はぁ」
 生返事。
「ミノリ、ちょっとわからない。さっきみたいに、たとえ話で説明してくれ」
「あー、イエス様がたとえ話を用いた気持ち、わかるー」
 ミノリは、一人つじつまが合った! って感じの笑顔になって次なるたとえ話を始めた。
「つまり、もしマナのパパとママが、マナが危ないことしないように、安全に暮らせるようにすべてレール敷いちゃったらどう? 志望校もマナの学力やキャラを考えずに、ただ就職に有利だからって勝手に決めちゃったら?」
「やだー、そんなのー」
「やでしょ? イエス様も、私たちが自分で決められる権利をちゃんと与えてくれていて、それをなんだかまちがえちゃう人が、いつの時代もいて戦争したりしちゃうんだな、きっと」
「うーん、わかったような、わからないような」
「でもね」
 ミノリは、私の横で人差し指を高くあげ、
「いつもどんな時でも、たとえどん底にいる時も横を見ればそこにイエス様がいてくださるんだよ、この安心感ハンパないー」
 駅前のロータリーの雑踏に負けないように、少し声を高くする。
 完全に納得したわけじゃないけど、彼氏のいない私はイヴはフリーなので、教会に行く約束をした。
 そろそろバイバイの時間。
「マナ」
 ミノリが急にあらたまった感じで、私を呼んだ。
「何?」
 私はマフラーを巻き直しながら、少し緊張しながらミノリの顔を見る。
「もしもイエス様がマナを訪ねてきたら、その時は内側からドアを開けてあげてね」
「え、どういうこと?」
「イエス様はね、人の心に勝手に入り込んだりはしないのよ。さっき言った選ぶ権利を認めてくれているからね」
 ミノリは一息ついて、
「その人がイエス様を迎え入れようって決めて、ドアを開けてあげないかぎりね」
 と続けた。
「そのドア、外側にノブついてないから」
 ノブついてない?
「だから内側から大きくドアを開けてあげないと、入れないから」
 イエス様、何でも出来るんじゃないの? ドアくらい開けられるのでは?
 でも。きっと。私たちが迎え入れる決心をしないと、入ってこないのね。なんて、おくゆかしいイエス様! それが、私たちに与えられた選択の自由なのかな? そこまで考えたら、なんかつながった。
「じゃねー、マナ。また明日―」
 ミノリが、にこやかに手をふって反対方向へ去って行った。
 ちょっと放心状態の私。冷たい風が吹き、首がスースーした。私は、もう一度マフラーを巻きなおした。心まで、あったかくなった気がした。
 ノブのないドアの前で、開けてくれるのを待つイエス様の姿を想像してみる。なんだか。かわいらしい。なんだか。ドアを開けたい気分になってくる。
「えーと、今日は十日だから・・・。
 私は、指を折って教会に行く予定の二十四日まで何日あるか数えてみる。 
 ひゅー! 東から西に、強い風が吹き抜けて行った。

淡いブルーの春の空

結局。私は野々村女子大に無事に合格した。試験当日は、キンチョーしたけど、パニックになるようなこともなく、力を出せたと思う。
 もどかしい暗闇の中でもがいてた一年間の気持ちがスーッと溶けていく。
 受験勉強を始めたころのことを、思い出す。出題された問題の意味さえわからなくて、泣きたくなってたあの日。
 希望大学に受からなくてお兄ちゃんみたいになっちゃうんじゃないかって、キョ-フだった。だから、合格を知ったとき、ほんとにうれしかったし、この私が? って驚いた。
しかし。それよりも、もっとびっくりしたこと! ミノリが、受験直前で志望校を変えて、神学部に行くことになった! 
 理系の難関を狙ってたのに。それだけの実力もあったのに。クラスが違う私の所にまで色々な噂が飛んできたほどに、ショーゲキの事実。
 私たちは、卒業や入学準備にふりまわされて、なかなかゆっくり話すことが出来なかったから、心ない他の友達の言葉が聞こえてくると、ひどい! と思いながらも、かばうところまでは出来ないでいた。
「ミノリったら、どたんばでおじけづいたんだよ、きっとー。なにしろ超難関だもの。チャレンジすぎー」
「理系はやっぱお金かかるから、親から反対されたんじゃないの? うちも絶対文系にしろって言われたしー」
 色々な推測に反論できない。だって私も、その理由、知らないから。
 教会にはクリスマス礼拝に行ったきり、ごぶさただった。その直後からばたばたと入試が始まっちゃったし。
教会のクリスマスツリーは、本当にキレイだったなー。手作りのオーナメントがゆらゆら揺れて、子供が作った飾りもまざってて、あったかい感じ? 
 初めて来た私に教会の人たちは、すごくやさしくしてくれた。子供たちも嬉しそうに、手をつないでくれて、中に入った。
 ミノリはここで、学校とは違う人間関係を築いているんだな、と思った。なんか、すごくかわいがられてた。
「また来てねー」
「また来るねー」
 小ちゃい子と指きりまでして約束したのに、足が遠のいちゃってた。時々、小指の先がチリッと痛かったりもして・・・・。
「クリスマスと並んで教会の一大イベント、イースターにおいでー」
 ミノリから連絡があったのは、おととい。
 やった! あの小さい女の子との約束が果たせるって思うと、すごく嬉しかった。
 ミノリとも、久しぶりに話せるのが楽しみで、町のはずれの教会までスキップ気味に足を速めた。
「マナー、待ってたよー」
 ミノリが入り口で両手を広げて、迎えてくれる。こんな、ちょっとこっぱずかしいしぐさ、平気で出来るミノリって・・・。
 しかも私が近づくと、すっぽり身体ごと包んでくる。
 ハグ。
 私もミノリの腰にまわした腕に、ちょっとだけ力をこめる。なんか・・・。やっちゃうと、けっこう平気。恥ずかしさも、飛んだ。
 イースターは、十字架にかけられたイエス様がお墓から復活したことをお祝いする日らしい。クリスマスより大事って思ってる教会も沢山あるって。そんなことを、牧師さんが言ってた。
 キリスト教が生まれたのは、この復活の日があったからこそって・・・・。そうなんだ。知らなかった。
 私は、二回目ってこともあって、わりとリラックスしながら礼拝に参加できた。天井近くに取りつけられた十字架を見つめる。あんなのに磔にされたら、痛いだろーなー。寒いだろーなー。野次馬もいっぱいいて恥ずかしいだろうなー。
 いっそ一気に殺してもらった方が、ラクじゃない? それを・・・。色々考えただけでも、その痛みは大変なものだと思う。それを忘れないために、ああやって飾られてるんだとは思うけど、イエス様・・・もう二度と見たくないかも。
 牧師さんは、わかりやすい言葉で説明してくれたけど、たまに難しい内容になることがあって、そんな時私は想像の翼を広げて十字架を見上げてた。
 帰り道ミノリと肩を並べて、歩いた。こうして一緒に歩くの、あと何回あるだろう。
 春って・・・ちょっと切ないな。それぞれが決めた道だけど、完全に別々なんだもの。
 そうだ! 残り少ないチャンスを逃しちゃいけない! 思い切って、ミノリに質問。
「どうして神学部に変えちゃったの? いつごろ決めたの? 何がきっかけだったのよ?」
 知りたい気持ち全開。全部一気に聞いちゃう。
「そのとき、マナもすぐそばにいたんだよ」
 意味深に笑う、ミノリ。
 え・・・・。私も? いつのこと? 全っ然記憶ない。
「クリスマスの時、教会来てくれたじゃんか。あのときだよ」
 あの日? 十二月二十四日? 前の日まで寒かったのにポカポカな光輝く日で、ホワイトクリスマスもいいけど、こんなのもいいねーって言いあった日?
 「牧師先生が言ってたでしょ? シングルマザーの三人に一人はクリスマスなんてなければいいって思ったことあるって」
 ああ、そう言えば、ほのかにそんな話聞いたような・・・・気がする。
「経済的に苦しくて今年はサンタさんは来ないんだよって、子供に言うときどんなにつらいかって、そういう話だっけ?」
「そんな感じ」
 ミノリは、遠い目になる。クリスマスの時と違って、木には葉っぱが繁りだし、足元の草花は小さなつぼみをつけてる。一つずつ咲く日を待ってる。
「でね、そういう人たちのためにこそ、クリスマスはあるって言葉を聞いたとき、私は決めたの」
「何を?」
「神学部に行って、イエス様のことを伝えようって」
 同じ話を同じ所で聞いていたのに。ミノリは、自分の人生を変えるようなできごとだったんだね。それくらい深く心に響いたのか。
 私は、ところどころしか覚えてないというのに。
 ミノリは、すっごくすっきりとした顔をしている。
「ミノリの気持ちもわかるけど、それは前から狙ってた理系の大学じゃできないの?」
「うん、できない」
 きっぱり。
「何より私自身が、神様のこともっと知りたい」
「親は・・・・?」
「自分で真剣に決めたなら応援するよって」
 はぁ。ミノリもすごいが、親もすごい。ふつう反対すると思うけど。
「学校のみんな、色々言ってるみたいだけど、傷つかない?」
「ぜーんぜん」
 そっか。強いね、ミノリ。
 理由を知ったからには、今度はかばうことができる。
「ミノリは、ちゃんと考えて決めたんだよ!」
 って、味方になってあげられる。
「ミノリは本当にイエス様に招かれたんだね。なんか。うらやましい」
 私は、上手く言葉が見つけられなくて、取ってつけたようなこと言っちゃった。
「マナも注意して耳を澄ませば、イエス様の呼ぶ声、聞こえるかもよ」
「そうだといいけど」
 あ、またテキトーなこと。私は、まだまだ何も知らないし、100パー人のために何かをやることも、できない。欲しいものはたくさんあるし、日曜日は思いっきりお寝坊してみたい。
 すべて考えることはいいかげんな私。イエス様にふさわしくない。ミノリの勇気には、びっくりだけど、つらくなったら最後の最後には教会に来れば大丈夫、と思うと、自分の中の揺れが少しだけ止まるような気もする。もうちょっと頼りにしてみようかな。すぐ横を歩いてるミノリの息遣いを感じながら、そう思う。
 でも、まずはミノリの応援。ミノリが困った人や寂しい人のそばによりそって、誰かを元気にできますように。そうして、少しずつみんなの気持ちが明るくなって幸せな人が増えますよう・・・。
 あ、今私自然に祈ってた。祈ってた! あとは、そう、イエス様の御名を通してお祈りしますってつけ加えたら・・・完璧! 私にも祈れた。他の人のために、ミノリのために祈れた。身体じゅうに満ちあふれるこの充実感、一体、一体何だろう?
 


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