第18話 スナック菓子
文字数 2,945文字
どうすればいいのか、というと、柿○種を見習えばいいと思うのだ。
ポイ捨て防止の話である。
様々なポイ捨てゴミを拾っている中で、俺の好きな柿○種六袋フレッシュパックのゴミは、ほとんど見かけないのだ。
べつに包装に工夫があるわけでもなさそうだし、とりたてて注意書きがされているわけでもない。しかし、結構スーパーの入り口やレジ前に山盛りで置かれているから、不人気で流通量が少ない、というわけではあるまい。
同じように山盛りにされているア○フォートとかカン○リー○アムとか○アラの○ーチ、○ッピー○ーンの包装は、結構な頻度で落ちているのに、である。
たぶんだが、小腹の空いたヤツが、お外で食ってポイ捨てするのに、向いているスナック菓子と向いていないものがあるのだ。
ザラザラと細かい柿○種は、食べる時に落っことしやすく、落ちたものを拾ってまで食おうとするほど大きくない。手が湿っていると少々粘つくこともあるから、その辺も原因のひとつかも知れない。
要するに「好きだけど食うのは今じゃない」感を前面に押し出せば、野外ポイ捨ては減るのでは、という話だ。
俺はフレッシュパックの小袋を逆さにして口に流し込み、大体一口で食べる。よって、上記のような問題は起きないわけで、普通に屋外で食べているが、まあ、ポイ捨てはしないから関係ない。
わりと辛い、というのも一つのポイントかも知れない。
上記のようなスナック菓子の包装は、小袋だけが散乱していることも多く、遊歩道や公園近くで見かけるものは、子供の仕業の可能性が高い。
野外で遊んでいる途中のおやつに、個包装入りのスナック菓子を持ち歩き、包装をポイ捨てしたのでは、という推理だ。つまり、柿○種のような辛い菓子が好きな変わった児童は、数が少ないのではないだろうか。
となれば、まず最初に考えられるのは、野外でお手軽に食べるには、ちょっと大変、という構造にすればいいということだ。例えば、個包装を大きくし、小さいのがいっぱい入っている状態にするとか、もしくは食いながら持ち歩きにくくするとか、開封したら平たい場所に広げないと食えないとか、だ。
それこそ、包装を生分解にしてしまうのも手だ。現在、キッ○カットが包装をすべて紙に変えている。まあゴミを拾う立場としては、目立つから落ちてりゃ拾うが、まあ、企業としての心意気には打たれる。
だからよく買う。
買ってよく見ると、内側が何かでコーティングされているから、純粋な紙ってわけでもなさそうだ。しかし、プラ量としては大幅に減っているわけである。一度、生分解するまで土に埋めて、実験してみようかと考えてはいる。
あと名指しで悪いが、ハッ○ーターンは、個包装を紙に変えても、何の問題もないのではないか? あの個包装は、包んであるだけで密閉されていない。湿気防止でないなら、紙でも問題ないはずだ。もちろん揚げ菓子だから、普通の紙を使えば染みてマダラの半透明になり、商品価値が落ちるかもしれない。しかし、ならばもともと染みた紙、つまりトレーシングペーパーのような材質のものを使うという手がある。
もっと積極的に、逆手にとって油が染みると面白い絵柄が浮んでくる、というのも良いかも知れない。あの個包装が生分解になるだけでも、ゴミを拾う者としてはけっこうありがたいのだが。
他の商品でも、包装が紙に変えられない、ということはないだろうと思う。
いや、差別化を図るなら、いっそ、食べられる個包装や容器ってのもいいかも知れない。食べられれば、ポイ捨ては間違いなく減るし、自然界での分解も生分解プラよりずっと早いはずだ。
それ以外には、個包装そのもので遊べるようにするってのはどうだろう? 丁寧に中身を取り出して折ってやると、なにかキャラの姿になるとか、飛ばして遊べるとか、コレクション性があるとかだ。個包装を百個も集めて持って行くなり送るなりすると、小さい個包装の菓子一個もらえるとかでもいい。
使い捨てでなくなれば、規制を免れるかもしれず、メーカーさんも、工夫のしようはあるように思うのだが。
もちろん、そういう場当たり的な対処より、ポイ捨てするような、マナーの悪い子供の教育が先なのは間違いない。だが、教える方がちゃんとしたマナーが出来ているかどうか、はなはだ心もとないのも現状だ。ポイ捨てをする子供の親も、ポイ捨てなどなんとも思ってないようなバカ親なのは、容易に想像がつく。
だから、子供はもちろん、大人にも強制的に環境教育すべし、というのが俺の持論なのだが、ポイ捨てするような大人が、教育しますよ、といわれて教育を受けるわけがないとも思う。
俺がまだ二十代の頃。とある企業に勤めたのだが、その新入社員研修でえらく人を集めている男がいた。
声が大きく、明るく、ハッキリものを言う、ちょっとやんちゃな感じの青年。
声も大きいが、話も大きい。自分がどんだけすごいか、どんな人と付き合いがあるか、どんなことをやって来たか、まあ、老害が話せば普通に嫌がられるような話をよくして人気を集めていた。
本質的には同じような自慢話が、若者が口にすれば、夢と情熱の証ととられるのも妙な話だ。
まあ、陰キャの俺とはウマが合わないタイプだが、そこはもう大人だからちょっかい掛けたりはしない。昼飯時、ちょっと離れて聞くともなしにそいつらの話を聞いていた。
すると、俺としては聞き捨てならない話が耳に入った。
「俺? 吸い殻なんかポイだよ。吸い殻捨てるのって、悪いと思ってねえんだよな。ホラ、あんまし綺麗だと清掃の人の仕事無くなっちゃうじゃん?」
反射的に言葉が出た。
「へえ。じゃあ、その吸い殻で火事にでもなったらどうすんですか? ああそうか。消防署の人の仕事まで考えてあげてんですねえ。すごいなあ」
そいつは、言葉を詰まらせて黙った。
もともと冗談であって、本気で言ったわけではないかも知れない。だが、ポイ捨てしていたのが事実なら、冗談にもなっていない。そんな妙な理論で、悪いと分かっていることを正当化しようとするヤツが、同輩にいる、というのが俺は情けなかった。
だが、大人への教育が難しい。というのは、そういうことだ。
多くの大人は、悪いことを、悪いと分かっていてやっている。
悪いことだが、「大した影響はないだろう」「事情があるし仕方がない」「そうした方が世の中が回る」「ちゃんとやるのは面倒くさい」「やっても誰も困らない」「困るのは役人や大企業だからいい」「だまされる奴が悪い」「すり抜けられるような法律が悪い」
そうやって言い訳をして、分かっていてやるのだ。
だから、注意されると腹が立つ。
教育する、なんて言ったら「あんた常識無いみたいだから、教えてやるよ」と、言っているようなものなのだ。
じゃあ、どうすべきか。
今のところは、すべてのスナック菓子の包装に「ポイ捨て厳禁」の文字を、商品名より大きく書くのを義務化する程度が、関の山なのかもしれない。
そうしたところで、ポイ捨てが完全に無くなるわけはない。
そうかも知れないが、ポイ捨てするヤツの1パーセントでも「あ、まずいかな」と思ってくれれば、やらないよりもいいと思うのだが、どうだろう?
ポイ捨て防止の話である。
様々なポイ捨てゴミを拾っている中で、俺の好きな柿○種六袋フレッシュパックのゴミは、ほとんど見かけないのだ。
べつに包装に工夫があるわけでもなさそうだし、とりたてて注意書きがされているわけでもない。しかし、結構スーパーの入り口やレジ前に山盛りで置かれているから、不人気で流通量が少ない、というわけではあるまい。
同じように山盛りにされているア○フォートとかカン○リー○アムとか○アラの○ーチ、○ッピー○ーンの包装は、結構な頻度で落ちているのに、である。
たぶんだが、小腹の空いたヤツが、お外で食ってポイ捨てするのに、向いているスナック菓子と向いていないものがあるのだ。
ザラザラと細かい柿○種は、食べる時に落っことしやすく、落ちたものを拾ってまで食おうとするほど大きくない。手が湿っていると少々粘つくこともあるから、その辺も原因のひとつかも知れない。
要するに「好きだけど食うのは今じゃない」感を前面に押し出せば、野外ポイ捨ては減るのでは、という話だ。
俺はフレッシュパックの小袋を逆さにして口に流し込み、大体一口で食べる。よって、上記のような問題は起きないわけで、普通に屋外で食べているが、まあ、ポイ捨てはしないから関係ない。
わりと辛い、というのも一つのポイントかも知れない。
上記のようなスナック菓子の包装は、小袋だけが散乱していることも多く、遊歩道や公園近くで見かけるものは、子供の仕業の可能性が高い。
野外で遊んでいる途中のおやつに、個包装入りのスナック菓子を持ち歩き、包装をポイ捨てしたのでは、という推理だ。つまり、柿○種のような辛い菓子が好きな変わった児童は、数が少ないのではないだろうか。
となれば、まず最初に考えられるのは、野外でお手軽に食べるには、ちょっと大変、という構造にすればいいということだ。例えば、個包装を大きくし、小さいのがいっぱい入っている状態にするとか、もしくは食いながら持ち歩きにくくするとか、開封したら平たい場所に広げないと食えないとか、だ。
それこそ、包装を生分解にしてしまうのも手だ。現在、キッ○カットが包装をすべて紙に変えている。まあゴミを拾う立場としては、目立つから落ちてりゃ拾うが、まあ、企業としての心意気には打たれる。
だからよく買う。
買ってよく見ると、内側が何かでコーティングされているから、純粋な紙ってわけでもなさそうだ。しかし、プラ量としては大幅に減っているわけである。一度、生分解するまで土に埋めて、実験してみようかと考えてはいる。
あと名指しで悪いが、ハッ○ーターンは、個包装を紙に変えても、何の問題もないのではないか? あの個包装は、包んであるだけで密閉されていない。湿気防止でないなら、紙でも問題ないはずだ。もちろん揚げ菓子だから、普通の紙を使えば染みてマダラの半透明になり、商品価値が落ちるかもしれない。しかし、ならばもともと染みた紙、つまりトレーシングペーパーのような材質のものを使うという手がある。
もっと積極的に、逆手にとって油が染みると面白い絵柄が浮んでくる、というのも良いかも知れない。あの個包装が生分解になるだけでも、ゴミを拾う者としてはけっこうありがたいのだが。
他の商品でも、包装が紙に変えられない、ということはないだろうと思う。
いや、差別化を図るなら、いっそ、食べられる個包装や容器ってのもいいかも知れない。食べられれば、ポイ捨ては間違いなく減るし、自然界での分解も生分解プラよりずっと早いはずだ。
それ以外には、個包装そのもので遊べるようにするってのはどうだろう? 丁寧に中身を取り出して折ってやると、なにかキャラの姿になるとか、飛ばして遊べるとか、コレクション性があるとかだ。個包装を百個も集めて持って行くなり送るなりすると、小さい個包装の菓子一個もらえるとかでもいい。
使い捨てでなくなれば、規制を免れるかもしれず、メーカーさんも、工夫のしようはあるように思うのだが。
もちろん、そういう場当たり的な対処より、ポイ捨てするような、マナーの悪い子供の教育が先なのは間違いない。だが、教える方がちゃんとしたマナーが出来ているかどうか、はなはだ心もとないのも現状だ。ポイ捨てをする子供の親も、ポイ捨てなどなんとも思ってないようなバカ親なのは、容易に想像がつく。
だから、子供はもちろん、大人にも強制的に環境教育すべし、というのが俺の持論なのだが、ポイ捨てするような大人が、教育しますよ、といわれて教育を受けるわけがないとも思う。
俺がまだ二十代の頃。とある企業に勤めたのだが、その新入社員研修でえらく人を集めている男がいた。
声が大きく、明るく、ハッキリものを言う、ちょっとやんちゃな感じの青年。
声も大きいが、話も大きい。自分がどんだけすごいか、どんな人と付き合いがあるか、どんなことをやって来たか、まあ、老害が話せば普通に嫌がられるような話をよくして人気を集めていた。
本質的には同じような自慢話が、若者が口にすれば、夢と情熱の証ととられるのも妙な話だ。
まあ、陰キャの俺とはウマが合わないタイプだが、そこはもう大人だからちょっかい掛けたりはしない。昼飯時、ちょっと離れて聞くともなしにそいつらの話を聞いていた。
すると、俺としては聞き捨てならない話が耳に入った。
「俺? 吸い殻なんかポイだよ。吸い殻捨てるのって、悪いと思ってねえんだよな。ホラ、あんまし綺麗だと清掃の人の仕事無くなっちゃうじゃん?」
反射的に言葉が出た。
「へえ。じゃあ、その吸い殻で火事にでもなったらどうすんですか? ああそうか。消防署の人の仕事まで考えてあげてんですねえ。すごいなあ」
そいつは、言葉を詰まらせて黙った。
もともと冗談であって、本気で言ったわけではないかも知れない。だが、ポイ捨てしていたのが事実なら、冗談にもなっていない。そんな妙な理論で、悪いと分かっていることを正当化しようとするヤツが、同輩にいる、というのが俺は情けなかった。
だが、大人への教育が難しい。というのは、そういうことだ。
多くの大人は、悪いことを、悪いと分かっていてやっている。
悪いことだが、「大した影響はないだろう」「事情があるし仕方がない」「そうした方が世の中が回る」「ちゃんとやるのは面倒くさい」「やっても誰も困らない」「困るのは役人や大企業だからいい」「だまされる奴が悪い」「すり抜けられるような法律が悪い」
そうやって言い訳をして、分かっていてやるのだ。
だから、注意されると腹が立つ。
教育する、なんて言ったら「あんた常識無いみたいだから、教えてやるよ」と、言っているようなものなのだ。
じゃあ、どうすべきか。
今のところは、すべてのスナック菓子の包装に「ポイ捨て厳禁」の文字を、商品名より大きく書くのを義務化する程度が、関の山なのかもしれない。
そうしたところで、ポイ捨てが完全に無くなるわけはない。
そうかも知れないが、ポイ捨てするヤツの1パーセントでも「あ、まずいかな」と思ってくれれば、やらないよりもいいと思うのだが、どうだろう?