砂の下の毒蛇

文字数 2,515文字

「鎮圧銃は重いし、拳銃は反動も音も強いから、どっちにしても慣れなきゃ扱えないよ。今日は使い方だけ覚えてたら良いよ」
 花房は飄々と言いながら、執務室の扉を開ける。
「それじゃあ、応急処置のマニュアル準備して来るから、適当に座って待ってて」
 促されるまま、女は隅の椅子を引いて腰を下ろす。
 少し歩いただけでも、下肢は勿論、腹筋や背筋、おそらくは腸腰筋と思しき体の中心の両脇に、酷い倦怠感を覚え、立っている事さえ辛くなっていた。
 深く息を吐き、思わず腰を摩る。
 そうしている内、開けたままの扉から出て行った花房が、殊の外長く戻ってこないと気付く。
 女が振り返って廊下を見遣った時、黒い影が現れた。
 兼定とは違う、武骨で威圧的な黒い影が。

「よぉ、ひでぇツラしてやがるなぁ!」
 二日前と同じ景色が、女の視界を埋め尽くす。
「暴走予防の執行基準は、とっくに満たしてんだよ」
 黒い影の主は照準を女の眉間に合わせ、引き金に指を掛ける。
「安心しな、別に脳みそをぶちまけようってわけじゃねえんだ。ただ、ちょっと長い事苦しんでもらいたいだけなんだよ」
「今すぐ、銃を下ろしてくれないかな」
 白く光る切っ先の峰を首筋に触れさせ、花房は言った。 
「いいから下ろして下さいよ。掃除するの、面倒なんですから」
 向きを変えられた瞬間、頸動脈を裂かれかねない状況に置かれながら、なおも黒い影は銃口を女に向けたまま。
「令状も無しに殺して、どうなるかも分からねぇのか?」
「それはそっちだって同じですよ。いくら天下の監察だからって、正式採用前の対応管補佐を殺しちゃ駄目じゃないですか」
 花房の刃が、武骨な首筋から僅かに遠のく。
「コイツは特別だ。どうせ戻しはしねえんだろ?」
 黒い影の主が引き金に掛けた指に力を入れようとした瞬間、白い切っ先はその三角筋に埋もれた。

 呻き声を上げ、黒い影の主は銃を取り落とす。
「貴様……」
「急所は外しておきましたから。文句があるなら、課長か興里(おきさと)さんにどーぞ」
 花房は刀を引き抜き、ゆっくりと室内に進む。
「畜生ッ」
 黒い影は取り落とした銃を拾い上げ、足早に立ち去った。
「全く……」
 呆れた様に呟きながら、花房は衣嚢(ポケット)から白い布を引っ張り出し、切っ先を拭う。
「あ……あの人……」
 花房は震える様に呟く女を、まださっきの残る黄金色の瞳で見遣る。
「何、知り合い?」
 女は小さく首を振る。
「同じ事を……」
 花房は眉を顰め、刀を鞘に納める。
「私を、殺すと……」
「……それ、どういう事かな」
「最初の日に……」
 溜息を吐き、花房は汚れた布を流し台の下のバケツに放り込んで手を洗う。
「ココアでも飲もっか。鎮圧銃の訓練室って乾燥してるし冷房強いし」
 まるで人に刀を突き刺した事など無かったかの様に、花房は作業台に向かった。

 花房は温かい即席のココアを女に出した後、本来用意すべきだった応急処置や救命法に関する資料を表示させた端末機を出し、春月に指示された通りの講習を行った。
 講習内容は、女にしてみれば自動車運転免許を取得する為に受けた講習に近く、理解する事は容易な物だった。
 ただ、少しばかり例題が物騒だった以外は。
「……花房さんは、経験された事があるんですか……沢山の怪我人が出る様な、現場」
「テロ関係は公安部でも特対課が関わる事は無いし、事故処理はそもそも仕事じゃないし、保安官は警察官の傍から離れないからそういう事は無かったけど、こっちに怪我人が出たら、トリアージもどきはするかな」
「もどき……」
「そもそも変異体のトリアージなんて有って無い様な物だからね。基本、変異体の医療は安全上の都合で後回しだし、それが虞犯者なら尚更……僕達は、弾に当たった瞬間が死ぬ時だと思ってるよ」
 端末機を片付けながら、花房はあっけらかんとして語る。
「君の物分かりが良かったおかげで、いい感じの時間にお昼だね。食堂に案内するよ」
 促され、女は立ち上がって花房の後に続く。
 花房は昇降機に向かい、同じく食堂に向かっているらしい数人が既に乗っている籠へと進む。そして、女が他の職員とあまり近づかない様に立ちながら、食堂は二回だよと女に耳打ちする。
 昇降機が二階で扉を開くと、女はすぐさま外に出た。

 硝子の壁と扉に仕切られた食堂は広く、昼食時と有って職員が列を成していた。
「認証ブレスを読ませたらメニューが出るから、好きな物を選んで良いよ。給料は安いけど、三食は支給だからね」
 列は機械的に前へと進み、程なくして女の番になる。
 前の職員がそうして居た様に感知器に認証端末を翳し、手元の液晶に映る食品を見たところ、定食や丼物など、市中でもありきたりな食品がある事に妙な安堵感を覚えながら、女は油揚げの載ったうどんを選ぶ。
 注文した品を受け取る列は注文の列よりも長く待っている様であったが、列は規則的に進み、女の手元にうどんの丼が差し出された。
「向こうの壁の所に行こうか」
 女の後ろから、花房は親子丼と副菜の載った盆を手に行き先を示す。見通しの良い席が良いだろう、と。
 腰を下ろし、二人は食事に手を付ける。
 そこで、女はそれまでと同じ様にうどんを啜ろうとした。しかし、思う様に息が吸えず、一筋ずつうどんを取っては、口に入る分だけを噛み切るしかなかった。
 花房はそんな女の様子にはあまり関心を持たず、親子丼を匙で掬いながら、周辺に神経を向けていた。そして、幾らか食べ進めたところで、花房は鋭い視線を感じ、硝子の向こうを見遣る。
 良く見知った女性、監察係の勝俣(かつまた)の姿があった。
 勝俣は花房の姿を認めると、何事も無かった風を装い食堂へと進む。
「このお揚げ、味は付いていないですけど、具が入ってるんですね……自分で作ったら、きっと美味しいんでしょうね……」
 女は鶏の挽肉と野菜の詰められた油揚げを齧って呟いていた。
 花房は、そんな女に内心で酷く呆れた。
 こんな無邪気な人間に、ここでの仕事が務まるわけがないだろう、と。
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