第二十一話 六条坊門小路に消えた男
文字数 3,267文字
――消えたのだ。ある日、突然に。
楽 所 を統 括 する源扶義 曰く、その男は笛 工 (※笛を吹く人)として、龍笛ではかなりの腕であったという。だが楽所から自 邸 に戻る途中で、男は忽 然 と姿を消したらしい。
男が消えて半年、男が所有していた龍笛は、巡り巡って太 后 の手に渡り、管 弦 の名手と言われる皇 太 后 宮 権 大 夫 ・源 博 雅 に下 賜 されたようだ。
かの男は何処 へ消えたのか、何故消えてしまったのか、当時はあらゆる憶 測 と噂 が楽所でも飛んだそうだが。
晴明は六 壬 式 盤 に視線を落として、両腕を組んだ。
なにゆえに――。
この日も風に乗り、『声』が晴明に届く。
妖 に喰 われて骨にされ、寂 しく野で嘆 く無念の声。
いまだその妖も、その妖を操 っているだろう男の所 在 を掴 めぬ苛 立 ちに加え、新たな謎に晴明の表情は自然に険 しいものになる。
いつもは仕事中だろうと話しかけてくる雑 鬼 が、梁 の上でこちらを窺 っている。それほど己 の表情は酷 薄 なものなのだろう。
そんな晴明邸に、簀 子 縁 を進んでくる足音がある。
晴明しか人間は住んでおらず、無 駄 に広い邸 内 は足音もよく響く。
――まったく。
晴明は嘆 息 した。
「近衛府は暇 なわけではないだろう?」
廂 に立った男の声は真剣だった。
「六 条 坊 門 小 路 に魔 獣 が出たぞ。晴明」
「魔獣……?」
冗 談 でないことはその表情をみて察し、晴明はまたもその眉間に皺 を刻むことになったのだった。
◇
検 非 違 使 庁 にその報 せが来たのは亥 四 刻 (※午後二十二時半)、一人の随 身 (※貴人の護衛をする武官)によるものだったらしい。
六条坊門小路に牛車を進めていた所、笛の音が聞こえてきたらしい。すると目の前に黒く大きな獣 が唸 り声 を上げていたという。
随身は抜 刀 したが斃 すことはできず、主 は無 惨 にもその獣の餌 食 になったらしい。
「――まさかと思うがその主、骨になっていたんじゃないだろうな? 冬真」
話を運んできた冬真の顔からは、いつもの明るい表情は消えていた。
「いくら獣に襲われたしてもだ。検非違使が駆けつけるまでに一 刻 はかかってはいない。その間に骸 になるなんてことは――」
冬真の言葉の最後を、晴明が続けた。
「間違いなく妖の仕業だろうな」
またしても現れた人喰い妖。しかし今回だけは、笛の音が加わった。
「晴明、どうする?」
晴明は瞑 目 し、上目遣いで冬真を見た。
「六条坊門小路――と、言ったな?」
「そうだが?」
冬真が胡 乱 に、眉を寄せる。
半年前に消えた楽 士 ――その男が消えたのはその六条坊門小路だった。
六条坊門小路は、五条大路と六条大路の中間に位置する小路である。
朱雀大路との交差点の左京側・右京側には、それぞれ一箇所ずつ坊 門 (※町の門)が置かれ、この小路(左京部分)沿いには源 融 の河 原 院 をはじめとする公家の邸宅などがあるが、河原院は主亡き後は仙 洞 院 となっていたのだが、幽 鬼 が出没すると騒がれていた場所である。
まさかそんな曰 くありげな場所を選んで、かの魔獣は現れたわけではないだろうが、またも人が襲われた。そのことに、晴明は思わず拳 を握りしめた。
恐らくその男は、もうこの世にはいないだろう。そんな気がする晴明だった。
◆
なにゆえに、我は。
聞かせて欲しい。なにゆえなのか。
なにゆえ我は、殺された。
答えよ。
我が声が聞こえるのならば。
六条坊門小路を風が吹き抜ける。その風音は、笛の音にも聞こえる。
亥 の正刻 (※午後二十二時)――、人気が消えたその路 に、生 温 かい風を纏 って闇が降り立つ。
今にもそこから異形のモノが這 い出そうな闇を、晴明は睥 睨 した。
かの男はここで消えた。聞いた話によれば、男の邸 はこの路をさらに進んだ所だという。本来ならば次の節 会 (※帝が宮中に群臣を集めて酒宴を催す行事)の舞 楽 にて、龍笛を奏でることになっていたという。
その龍笛は、男が消えてから音を奏 でなくなった。
何故か――、晴明がその龍笛を初めて目にしたとき、ある念を感じた。
それは決して禍 々 しいものではなく、哀しみの籠もった人の念。
人に仇 なす意思がなかったゆえに、男の手を離れても禍 となることはなかったのだ。
なにゆえに。
なにゆえに聞こえぬ。
誰もきづかぬ。
我のことを。
我の声に。
妖 に喰 われ骸 にされた者たちの声の如 く、龍笛を通して晴明に届いた『彼』の声。
これまで誰にも声は届かず、龍笛は人の間を渡り歩いた。
もし晴明の手に渡らなければ、『彼』の声を、誰が聞けただろう。
「――あなたは、死ぬ必要はなかったのかも知れない」
晴明は龍笛を見つめ、姿亡き元・持ち主に語りかけた。
もしかの陰陽師が関わっているのなら、『彼』の存在を消したいと願った人間がいる。そしてそれを叶えた男がいる。
――万 死 に値 する……!
以前――、かの陰陽師のことに関して、十二天将・青龍は慷 慨 した。
晴明も同感だが、彼に人を裁くこと出来ない。
十二天将も同じだ。彼らは神だが、人界には不介入の鉄 則 がある。人のことは人が裁く――、式神となった現在は晴明の命令によって鉄 槌 を下す。しかしそれも人ではなく、人に仇なす妖に対してだが。
――来た……!
晴明は身 構 える。闇の中から、何かが出ようとしていた。
◆◆◆
外 つ国 (※異国)から大陸(※中国大陸)に伝わったとされるそれは、長いかてがみと鋭い牙 をもつ獣 だという。しかしその獣は、伝わったとされるそれとは全く異なる生き物で、狗 のような姿で人の倍もある大きさだという。実際に見たものはなく、人の想像が生み出した幻 獣 だとされ、この日 の本 (※日本)でも、目撃したという記録書はない。
ただ、異界では人間の想像を超えるモノがいてもおかしくはない。現 に――。
六条坊門小路の辻 ――まさに、おおきな黒い獣が晴明を威 嚇 していた。
ふさふさとした毛並みに尾、見かけは大きな狗、闇 色 の躯 は逞 しく、爪 は鋭いだろう。襲われれば、間違いなく死に直結する。まさに、魔獣。
『何者ダ、オ前ハ? 妙ナ臭 イガスル』
魔獣が一歩前へ踏み出すと、砂 利 の音がした。
「――陰陽師・安倍晴明」
『陰陽師……? ソレニシテハ妙ダナ。オ前――、人間カ?』
魔獣は晴明のもう一つの血を嗅 ぎ取ったようだ。金色の双 眸 を細め注 視 する。
「それより、聞きたいことがある。半年前、ここで笛工を襲ったのはお前か?」
『笛工……? ソンナモノハ知ランナ。笛トイエバ、大 伴 露 房 トイウ男ナラ喰ッタガナ。アノ男、笛ガドウノトイッテイタガ?』
やはり、かの男は死んでいた。しかも魔獣は、その男の名前まで知っていた。
つまり当時、笛工・大伴露房はここで魔獣に待ち伏せされた。おそらくそこには、かの陰陽師もいただろう。
晴明の中に怒りが沸く。
「お前に喰われた者たちの無念、晴らさせてもらう!」
結 印 する晴明に、魔獣が鋭い牙を覗かせた。
『ワカッタゾ。オ前――、妖ノ血ヲ引イテイルダロウ?』
その言葉に、晴明の握 る錫 杖 に力 が籠 もった。
「お前、妖の血を引いているだろう?」
遠い昔――、ある子供が晴明に言った。王都に来て間もなくの頃、近くの寺で鳥の声を聞いていた彼に、その子供が言ったのだ。
そして彼は、晴明から彼はゆっくりと後ずさり逃げた。そしてもう二度と、晴明に関わることはなかった。子供の頃の晴明にとって、ようやくできた友だった。
半妖とわかった瞬間、その関係は一瞬で消えた。
誰にもわかってくれない。
誰も信じられない。
人間なんて、みな同じ。
いつしか冥 がりを生み出して逃げ込んだ彼に、師は言った。
――いつかお前のことを理解してくれる仲間ができようて。
そう、私は人間だ。半妖だが、人として生きている。ゆえに――。
「お前のようにはならない……!」
その言葉は眼前の魔獣に対して、そして陰に潜む陰陽師に対してもだ。
『愚 カナ』
嗤 う魔獣に、晴明は声を張る。
「式 神 招 喚 ! 十二天将、我が意 に応 えよ!!」
翳 した錫杖の先で、遊環 がしゃんっと音を奏でた。
男が消えて半年、男が所有していた龍笛は、巡り巡って
かの男は
晴明は
なにゆえに――。
この日も風に乗り、『声』が晴明に届く。
いまだその妖も、その妖を
いつもは仕事中だろうと話しかけてくる
そんな晴明邸に、
晴明しか人間は住んでおらず、
――まったく。
晴明は
「近衛府は
「
「魔獣……?」
◇
六条坊門小路に牛車を進めていた所、笛の音が聞こえてきたらしい。すると目の前に黒く大きな
随身は
「――まさかと思うがその主、骨になっていたんじゃないだろうな? 冬真」
話を運んできた冬真の顔からは、いつもの明るい表情は消えていた。
「いくら獣に襲われたしてもだ。検非違使が駆けつけるまでに
冬真の言葉の最後を、晴明が続けた。
「間違いなく妖の仕業だろうな」
またしても現れた人喰い妖。しかし今回だけは、笛の音が加わった。
「晴明、どうする?」
晴明は
「六条坊門小路――と、言ったな?」
「そうだが?」
冬真が
半年前に消えた
六条坊門小路は、五条大路と六条大路の中間に位置する小路である。
朱雀大路との交差点の左京側・右京側には、それぞれ一箇所ずつ
まさかそんな
恐らくその男は、もうこの世にはいないだろう。そんな気がする晴明だった。
◆
なにゆえに、我は。
聞かせて欲しい。なにゆえなのか。
なにゆえ我は、殺された。
答えよ。
我が声が聞こえるのならば。
六条坊門小路を風が吹き抜ける。その風音は、笛の音にも聞こえる。
今にもそこから異形のモノが
かの男はここで消えた。聞いた話によれば、男の
その龍笛は、男が消えてから音を
何故か――、晴明がその龍笛を初めて目にしたとき、ある念を感じた。
それは決して
人に
なにゆえに。
なにゆえに聞こえぬ。
誰もきづかぬ。
我のことを。
我の声に。
これまで誰にも声は届かず、龍笛は人の間を渡り歩いた。
もし晴明の手に渡らなければ、『彼』の声を、誰が聞けただろう。
「――あなたは、死ぬ必要はなかったのかも知れない」
晴明は龍笛を見つめ、姿亡き元・持ち主に語りかけた。
もしかの陰陽師が関わっているのなら、『彼』の存在を消したいと願った人間がいる。そしてそれを叶えた男がいる。
――
以前――、かの陰陽師のことに関して、十二天将・青龍は
晴明も同感だが、彼に人を裁くこと出来ない。
十二天将も同じだ。彼らは神だが、人界には不介入の
――来た……!
晴明は
◆◆◆
ただ、異界では人間の想像を超えるモノがいてもおかしくはない。
六条坊門小路の
ふさふさとした毛並みに尾、見かけは大きな狗、
『何者ダ、オ前ハ? 妙ナ
魔獣が一歩前へ踏み出すと、
「――陰陽師・安倍晴明」
『陰陽師……? ソレニシテハ妙ダナ。オ前――、人間カ?』
魔獣は晴明のもう一つの血を
「それより、聞きたいことがある。半年前、ここで笛工を襲ったのはお前か?」
『笛工……? ソンナモノハ知ランナ。笛トイエバ、
やはり、かの男は死んでいた。しかも魔獣は、その男の名前まで知っていた。
つまり当時、笛工・大伴露房はここで魔獣に待ち伏せされた。おそらくそこには、かの陰陽師もいただろう。
晴明の中に怒りが沸く。
「お前に喰われた者たちの無念、晴らさせてもらう!」
『ワカッタゾ。オ前――、妖ノ血ヲ引イテイルダロウ?』
その言葉に、晴明の
「お前、妖の血を引いているだろう?」
遠い昔――、ある子供が晴明に言った。王都に来て間もなくの頃、近くの寺で鳥の声を聞いていた彼に、その子供が言ったのだ。
そして彼は、晴明から彼はゆっくりと後ずさり逃げた。そしてもう二度と、晴明に関わることはなかった。子供の頃の晴明にとって、ようやくできた友だった。
半妖とわかった瞬間、その関係は一瞬で消えた。
誰にもわかってくれない。
誰も信じられない。
人間なんて、みな同じ。
いつしか
――いつかお前のことを理解してくれる仲間ができようて。
そう、私は人間だ。半妖だが、人として生きている。ゆえに――。
「お前のようにはならない……!」
その言葉は眼前の魔獣に対して、そして陰に潜む陰陽師に対してもだ。
『
「