第1話 撮れ高

文字数 3,206文字

天井の梁の隙間から見える青空を飛行機雲が切り裂いていくのを、何もできずに日がな眺めていた。荒れ果てたトタンは初秋の柔らかな風にもカタカタと耳障りな音を立て、蜘蛛の巣だらけの畳に土埃を舞わせる。俺は何も映らないブラウン管テレビの前に散らばったシケモクを拾って咥えてみたが、もう何の高揚も味わえなかった。砂の味すらも感じず、それでも紫煙を吐き出すように長く長く息を吐いた。

「煙草って本当に依存性すごいのね。」

こんなになっても欲しくなるなんて、と隣で寝転んでいたアミが嘲るように言う。真っ赤な髪と、束になった睫毛、ショッキングピンクの爪が今でも鮮やかに残っている。以前は豊かだった感受性が鈍化し、滑らかな腰回りの輪郭が朧気になっても、尚。

「タカナシは、煙草に酒に依存して暮らしてたから、こんなことになってるんでしょう?」
「そんなことない。俺は。」

俺は耳の縁を型どるように連なったシルバーのピアスを見せつける。

「俺はちょっと意気がった、前途洋々な高校生だったの。」

アミはふん、と鼻で笑った。アミも俺も、どうしてそうなったのなんか、わからない。今見えてるアミが本当の姿なのかもわからない。それでも、この、誰かが家族で仲良く平凡に暮らしていたはずの、生活感ごと置き去りにされた廃墟に留まっている。

「たぶん、今夜来るよ。あそこの駐車場で準備している。」

ここで平和に暮らしていた家族はある日錯乱した長男に惨殺された。ちょうど、このブラウン管テレビのある居間で彼らは身を寄せ合うように倒れていた。最後に長男は風呂場で自殺した。そんなストーリーが囁かれていることは、ここに訪れる青年たちがカメラに向かって喋っているから知った。

知らない。少なくとも俺はこんな田舎の一軒家に暮らしていたとは思えない。隣にいる女もそうだろう。こんな組み合わせが住んでいたなら、そもそも「仲睦まじい平穏な家族」にはならないだろう。

「どこからそんな話になったんだろうな。」

俺は、少なくともこんなお化けみたいな者だ。
生きてる間は、そこそこノリがいい性格だった。アミも、ノリだけで生きてるようなやつだ。
誰かが期待を持って訪れたら、望むようなこと、つまりあくまで無害な範囲での音や声などの現象を起こしてやりたくなる。
だが、それはこの家の血生臭い物語の裏付けにはなっていない。
起こしている現象だって、ブラウン管に砂嵐を起こしたり、アミを笑わせて声を出させたり、そんなつまらないことだ。馬鹿馬鹿しいが、それは全てこの家に起こった悲劇と結びつけられる。

「でも、アイツいるじゃん。案外嘘じゃないかもよ。」

アイツ。それは、全く意志疎通ができない存在だった。ずっと、呻きながら床を這いずっている、黒い腐った肉塊。意志があるのかないのか、言葉が違うのか、会話をしたことがない。

「あれ、どんな業があったらあんなことになるんだろうな。」

俺は、廊下から微かに気配を感じながら、今日はどんなやつが来るのか、どんなことをアミとやってやろうか、思考を切り替えた。


『うわー。結構生活感残ってますね。』
『ここが、一家惨殺のあった家の玄関です。』
『まるで、いきなり居なくなったような感じですね。全部靴も、食器も残っている。』

まだ夏の太陽の匂いが残る時間帯だが、早速今日の訪問者が入ってくる。だいぶ臆病に感じる。丑三つ時まで待てないのか。

『一階は、キッチンとダイニングと洋室。この洋室は服が散乱してますね。』

『ここ、実は、一家惨殺があった後も噂がありまして。変死体が見つかったそうです。』

よく下調べをしている。一階の探索は順調なようだ。早く二階まで来てもらわないと面白くない。
「なんか、変な感じじゃない?」

アミに言われて気付く。訪問者の声に被せて、低いノイズが轟き始めている。
「アイツかな。そんなモチベーションあったの?アイツ。」
アミは焦ったような顔をしている。
「怖くない?何だって突然。一度もそんなことしたことないのに。」
「意識あったんかな。まあ、早く二階に来てくれないかな。」

訪問者の声が止まる。ノイズも止まった。暫し静寂が続く。アミがバタンと、二階のトイレの扉を開いた。

『今、音が聞こえました!二階からです。何かを叩くような音。』

興奮した声が聞こえる。俺は続けて何かしようとするアミを制した。
「小出しじゃないと面白くないないから。」
「動画的にね。」

『二階は、噂のブラウン管テレビがあります。あの音はその部屋からでしょうか。早速、行ってみたいと思います。』

階段を上る音。と、何かを引き摺る音が聞こえる。後を追っているのだろうか。訪問者が引き摺りながら歩いているように聞こえる。訪問者が立ち止まる。

『今、何か。』

しばし言葉を繋げなかった。数秒、固まっていたが、階段をまた上り始めた。引き摺る音も再開する。

「アイツ、本当空気読めないやり方するよな。」
展開が早すぎる。俺が文句を言って、ブラウン管に砂嵐を写した。

『何か聞こえる。ザーっという音です。まるで、砂嵐のような。』

そうそう。俺は嬉しくなって、砂嵐をわざと途切れさせて緩急を付けた。そして、訪問者が部屋を見た瞬間、

ブツ

砂嵐を消す。興奮したように訪問者が騒ぐ。
『今、見ましたか?カメラ入ったかな。見間違いじゃないと思うんだけど。』
現れた訪問者は、若く、色褪せた金髪とヨレヨレのTシャツを着ていた。見るからに、成功していなさそうだ。

『嬉しいなあ。とうとう決定的な映像撮れたかな。』
訪問者は場違いな顔をして、嬉しそうに呟いた。俺は、彼に成功を味わって欲しいと思った。彼は賭けているのかもしれない。顔を見ていると、言い様のない、居たたまれない、くすぐったい気持ちが押さえられなかった。

「やばい。アイツ」
アミが震えていることに気付いた。はっときて目を凝らすと、訪問者の腰に、黒くドロドロとした手が回されていた。気配を消し、気付かれないまま。

「うわ、何やってんの?何がしたいの。」
あれ、カメラに写るのかな。でも、そこ死角だから無駄なんじゃないか、などと考えているとアミが泣き出した。

「アイツやばいよ。おかしい。」

『ここが例のブラウン管テレビのある部屋です。先ほど、砂嵐が一瞬見えました。』
訪問者は気付いていない。腰に回された手が力を込めた。

「アミ、あとよろしく。何か適当にやってて。」
俺は慌てて駆け寄ると、地面に這いつくばっているアイツを思い切り蹴飛ばした。瞬間、アイツと目があって、背筋が凍る。凄まじい憎悪を視線だった。ほとんどの感情がない、それでも憎悪だけを残した目。

「何やってんだよ。」
応答はない。そして、俺を避けて彼にまた手を伸ばそうとする。
『このブラウン管テレビが、お、今カメラに影が映りましたね。何だろう。』

アミは心配そうに俺を振り返りながら、テレビ画面に手を伸ばしたり、覗き込んだりして、訪問者の映像を盛り上げていた。が、ふいに叫ぶ。

「逃げて。」
『?!』
『今、女性の声が聞こえました。』
「早く逃げて逃げて逃げて」
『うわ、ずっと聞こえる。』
『これ以上は危険ですね。撤収したいと思います。』

訪問者は慌てて部屋を出て階段を駆け下りる。俺は追いかけようとするアイツに蹴りを入れ続けた。玄関が閉まる音が聞こえ、静寂が訪れる。ノイズが激しく聞こえ出した。アイツが足元で呻いていた。怒りだろうか。しかし、一瞬の感情はすぐに消え、アイツは這いずりながら浴室に入っていった。

「待てって。」
呼び掛けたが、もう目を合わすことも、憎悪が見えることもない。虫のようにただ巣に帰っていく。俺は呆然とそれを見送ったが、アミに礼を言おうと部屋に入ると、彼女は窓の外を見ていた。

「アミ、ありがとう。アイツどうしたんかな。」
何も言わない彼女の隣に座る。
「あの少年、いい映像撮れてるといいな。」
そう呟くと、アミが顔を上げて呟く。
「死ねばよかったのに。」
またひとつ、感情が失われた。
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