第三十三話 生きる屍

文字数 2,712文字

「狭くてすまない。まさか美女を乗せる予定などなかったものでな」
薄らと笑みを含んでいる。雪原を駆ける黒馬の主の一声が、ほんの少し、張りつめた冷たい空気を割いた。
積み荷は確かに大きく、一人分の尻を預けるのがやっとである。並みの馬であれば、まず成し得ない。この体躯を持つが故に、この荷を背負って雪原を駆ける事が許されているのであろう。かの白馬には霞むが、この黒馬も名馬と謳われているに違いない。
(……なんぞ、この筒は)
黒馬の首元には、厚手の革帯が巻かれ、その両脇には筒状の物が添えられていた。おそらく素材は鉄を中心に作られた金属で、この闇の中でも解る程度に、銀色の光沢を浮かび上がらせている。熱を帯びているのか、宙を狂う雪たちがその筒の先端に触れると、すぐさま小さな水滴へと姿を変えていく。
「肩を嵌めろ。これから先は、大きく揺れるぞ」
隻眼は、既にあらゆるものを見抜いていた。雪原を駆けるグリンデが、肩を気にしていたことなど当に把握済みなのである。自身の攻撃によるもので、彼女にも風圧が及んだ際、その衝撃を出来うる限り抑えるべく、傷んでいる方の逆側を重点的に狙っていたという考慮を、魔女すらも気づけてはいないのではないだろうか。
(……しかし、この女が放った炎は何だ?)
疑念は、両者ともにあった。無理もないであろう。互いに、自身のみが立ち入る事が許されたと思われた"禁域"に、どうどう足を踏み入れた者が現れたのだから。
彼は、ある理由からこの雪原で野営をしていた。するとなにやら突如、覚えのない地鳴りが響き、その地に呼ばれると、見た事もない大きな化け物が、馬を相手に追い回しているではないか。ましてや、その馬の主は細腕で、黒く長い髪を頭巾の隙間から靡かせているとは。
いくら”尋ね人”とされているとはいえ、彼なりの正義は残されていた。咄嗟に駆け出したのだが、その際に女が放った爆撃の衝撃は、あらゆる意味で肝を冷やされた。
(何かを投げたようには見えなかった。まぁ、話を聞こうにもまずは問題を片付けないと、それに……)
「お前さんを乗せた以上、俺も標的という訳だからな」
勿論、隻眼が捉えていた対象は彼女だけではない。瞳の中心に置かれていた、あの象骨の行動もいくつか見抜かれていた。
「どうやらあのデカブツ、男なんざ丸っと興味がないらしいな。あんたにぞっこんのようだ」
こちらへ気を引くべく、爆撃を放つも、まるで目もくれない。ここまで無下されると、男であっても嫉妬と苛立ちが芽生える程である。
(……半ば意識がないのか。”生きる屍”とな)
魔法を持つ者にしか届かぬ呻き。それは、かろうじて身体を制御し、微かな力を振り絞ってこちらへ向かってきている事を伝えていた。
(……散々に命を奪っておいて息の根を止めろなんぞ、ふざけた野郎ぞ)
思えば、初めから違和感があった。ガルネウス自身も、骨剥き出しの痛みに悶え、暴れ狂っているようであった。
おそらく、ガルネウスもマリーと同じく、人と獣の二つの脳……意志を持ち合わせているのであろう。本来は、人の意識で獣のそれを押さえつけているのであろうが、半ばその制御も薄れ始めているのかもしれない。時が来れば、獣の単純な知能だけとなり、痛みのままに暴れ狂い、全てを破壊する暴君となる。
魔女は、実に恐ろしい事態である事に気づかされていた。思考を巡らせるほどに、自らの意志で、ガルネウスがここに現れた訳ではないということを、より色濃く裏付け出すのだから。
「……まぁ、この状況を味方にするしかないな」
隻眼の男は、女を馬に乗せた時点で腹を決めていた。
ほんの少しだけ、神は微笑んだのかもしれない。ガルネウス自身は、この痛みに対しての救いを求め、追走しているだけなのであろうが、結果、こうして導ける事は多少なりとも利があるのかもしれないと隻眼の男は踏んでいたのである。
(……いずれにせよ、まずは奴をやるしかないぞな)
ここは辺境の地、エルビス。兵の配備は薄いとはいえ、情報は既に漏れている。魔女が甘えを許した先の兵士達の命は、すぐさまこちらへ切先を向ける刃となろう。
「男よ。この地の利に詳しいか?ちと、聞きたい事がある」
事は急くしかないのだ。交えた言葉は少ないが、それは両者とも歴戦の強者である証。第一の目的は当に一致している。象骨も弱者ではない。これ以上の余談は許してはくれない。
雪原の白を染める、黒き一線は、より早く地上に描かれ始めた。

「急げ!早く北の連絡塔に向かうんだ!」
急いていたのは、魔女らを乗せる黒馬だけではなかった。犯した慈悲の末。そう、聖堂院の警備兵らであった。
ここまでの時間を許してくれたのは、やはり、彼らもこのような事態など、まるで想定していなかったのであろう。もはや、栗毛の青年が、道脇で馬を手入れしている様など目も暮れていない。
一目散とは、まさにこの事を言う。馬の闊歩は、彼らの心臓の鼓動を表しているかのようであった。
"鼓動"は更なる高鳴りを教えた。
(……オリビアさん!流石に速いな)
二つの馬の背が掌ほどの大きさになった頃、少女が乗る白馬が訪れ、瞬く間に大きくなった。
頭巾を被された白馬に跨る少女は、すれ違い様にその兵らの視線が自分に向いた事に気が着いたのだろうか。状況だけに、その疑心を見逃してくれたが、果たして未来にこれがどう動くのであろうか?
栗毛の青年は、ようやく轡を取り換え、手綱を結んだところであった。出来れば鞍も……という欲はあったのだが、どうやらそれを許してはくれないらしい。
「オリビアさん!これをシルキーに!」
青年は水筒を取り出し、少女に差し出した。少女は無言で馬から降り、白馬にその水を与える。馬の口からは煙のような蒸気があがり、まるで神秘的なその体躯の内に、いかなる熱が秘めているのかを表しているかのようであった。
白馬を休ませる為……という名目もあったのだが、青年にとって第一の目的は、今まで鞍に取り付けられていた荷物から、重要な道具を取り出す為であった。
(弓と矢……あとは、ナイフ!)
青年は、命を守る道具だけを装備し、残りの荷物に油をかけた。
(もう意味はないのかもしれないけど、残しておくわけにはいかない)
それに迷わず火打ち石を近づけ、擦る。十程度の擦る音が響いた時、小さな煙が生まれ、やがては炎に包まれた。
「オリビアさん、行こう!」
少女にもこの炎の意味は理解できていた。もうここには戻っては来れない。進むしかないのだと。
二人は馬の背に跨り、尻を叩いた。
再び”鼓動”が夜中の町中に響きだした。炎が生み出す大きな影は次第に小さくなり、大きな闇に取り込まれた。
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