act.03-02 見えない、聞こえない

文字数 4,093文字

 皇陵高等学校。
 平凡な名前の平凡な街にある、ちょっと変わった私立高校。

 その目の前にある「皇陵高校前」のバス停から終点の千川台(せんかわだい)駅まで、約十五分。行きも帰りも乗客のほとんどがうちの生徒で占められるから、路線バスは自動的な貸し切り状態になる。生徒の多くはそのバスに加え、千川台駅から電車を使って通学している。でも俺の家はバス路線の途中にあって、みんながうらやむ通学時間の短さを与えられていた。

 それにしても、()っちぃ……。

 屋根のないバス停に、容赦ない直射日光が突き刺さってきていた。それでも太陽に罪悪感などあるはずもなく、俺たちは無慈悲な熱線の矢に身を晒されていた。トースターでチリチリと焼かれるパンの気持ちがわかった。

 前にあるのは片道二車線の国道だけで、周辺に背の高い建物はない。雨の日にバス待ちすれば一瞬でズブ濡れになり、真冬の風の日には寒さに凍えることになる。そして、夏には誰かが倒れたりする。実際、何日か前に女子生徒がのぼせて倒れた。その日も今日と同じで、雲のかけらひとつなく澄み渡ったピーカンだった。

「ああー。死ぬ。暑くて死ぬ」

 信一郎がズボンの裾をめくり上げると、()(うん)の呼吸みたいに健吾がつき合う。

「俺もやるべ。まだ死にたくない」

 夏季限定の制服の着こなしとして、膝下までズボンをめくるのが流行していた。でも(しわ)を戻すのにアイロンをかけるのがメンドいから、俺はやらない。火事だけには気をつけて、アイロンにも絶対触らないでね――母親の声が耳元に甦った。

 スマホの電源を入れた。学校への持ち込みはオーケーだが、使っていいのは休み時間だけ。それ以外の時間帯は電源を切っておくのがルールだ。仮に授業中に鳴らしてしまったら、問答無用で二日間の没収になる。

 ――と!

 メール! メールが来てる!!

<七尾走野さま

 先日は打ち合わせお疲れさまでした。
 無事に会議を通りまして、七尾さんの曲でGOする方向で決まりました。
 お話ししたとおり、オープニング曲を新規作成していただきたいと思います。ゲームの幕開けを飾る曲であり、全体のテーマを提示する部分でもあるので、印象の強いメロディーラインが好ましいです。レコーディングは十月末を予定していますので、九月末頃までには候補曲の提出をお願いいたします。
 現役高校生が音楽を担当するというのは、それだけで話題になります。プレーヤーがワクワクするような曲で、世間を驚かしちゃってください。
 またご連絡します。よろしくお願いいたします!

 株式会社F2Fエンターテインメント制作部ディレクター 須賀浩信>

 ――やった!

 ――やったああああ!

 これだ! これを待ってた! 読んだ瞬間、体の奥のほうにあるスイッチが、パチンと音を立てて弾けた。黙ってガッツポーズしていた。

 作曲を始めたのは、理由があってのことじゃない。作曲家になりたいなんて思ってもないし、作詞作曲して歌おうなんて気もさらさらない。でも、音楽を作るのにテーマみたいなものが欲しくて、頭に思い描いた架空のゲームのテーマソングやBGMを作った。いくつもの場面を想定して、思いつくままメロディーを作った。セーブ画面の効果音や勝利のファンファーレも作った。作品を動画サイトに載せたら、固定ファンのような人たちが一定数ついてくれた。

 なかには、「プロっぽい」と絶賛してくれた人もいる。でも、作ってる本人としてはイマイチ真剣になりきれない部分があるのも確かだった。曲を作ってるときには集中してるし楽しくも苦しくもあるけど、全身全霊をたたき込んでる実感がなかったからだ。

 自分にとって、音楽は趣味? 人生の(いろど)り?

 ある意味、惰性。でも、自分がなんでそんなに煮え切らないかの理由はわからなかった。それが今わかった。俺には「目的」がなかったからだ。

 だけど、市販のゲームに採用してもらえるなら話は別だ。むしろサイコーだ。うちにある最低限の機材じゃ出せない音色(トーン)も多いし、あちこち手抜きした部分も完璧に修正したい。そのへんのことは須賀さんも気づいててくれて、曲を使うならちゃんとしたスタジオで、ちゃんとした機材を使って再録すると言ってくれた。音楽プロデューサーとして、プロのアレンジャーもついてくれる。そうなったら俺は、空も飛べると思う。

 九月末まで、やれることは全部やる。真剣にやる。必死にやる。今の俺に可能なかぎりの、精一杯のことをやってやる。

「お。バス来た」
「冷房、ガンガンに効いてるといいなあ」

 ゲームが発売されたら、このノーテンキなふたり組にも教えようと思う。

 登下校の時間帯には、バスの運行本数もそれなりに多い。それでも生徒たちはよく訓練されていて、小学校時代から「前へならえ」で鍛えられた精神にのっとって、四十人ぐらい並んでいた列が行儀よく車体に吸い込まれていく。信一郎と健吾に続いて俺が乗り込めば、バスは真っ白なポロシャツと笑い声で満杯だ。

「もうちょい詰めて」

 乗車口。健吾が信一郎のデカい背中をトントンとつついて車内に入った。俺も、ゴミ箱からあふれて落ちたペットボトルみたいにされないよう、健吾に続いてステップに足をかけた。手すりを掴んで地面を蹴ると、あくまで雑にめくり上げたふたりのズボンの裾が視界に入った。

 その瞬間――

 空が割れた。まっぷたつに割れた。閉じた瞼も貫いてくるほど強烈な閃光だった。

 明るい空がさらに光ったと思ったら暗闇。そしてまた光が追いかける。同時に、バリバリバリ! と聴覚を切り裂く轟音。路面のアスファルトが苦しげに(うめ)いて、地を這うような不気味な振動もしばらく消えなかった。

「ヒューッ。すっげえな、今の」

 ステップを上がりきったところで、俺は言った。背後でプシュッという音がして、乗車ドアが閉じた。デカい声じゃなかったが、ふたりには聞こえるはずだった。

 ――が、

 信一郎からも健吾からも、リアクションがない。

「なあ。今、雷すごかったろ?」

 もう一度言ってみた。走り出したバスのエンジン音に負けないよう、今度はややデカめの声で。

「……はあ?」

 ギアチェンジしてスピードに乗る車体の揺れに合わせるようにして、ふたりが振り返った。長身の信一郎は、天井に手をついて体を支えていた。

「雷、鳴ったろ? すっげえ稲妻がビカビカって光ってさ。音も半端なかったから、近くに落ちたんじゃないか?」

 俺はさらに繰り返した。ところが、目の前にあるふたつの顔は怪訝そうな色になっただけだった。

「稲妻? あり得ねーよ。こんな晴れてんのに」
「カイト。頭、大丈夫か?」

 ――カイト?

「なんでだよ。雷、強烈だったじゃん。それに、カイトって誰だよ」

 ふたつの顔は、さらに怪訝の度合いを深める。

「ていうかお前、熱中症にでもなったか? 顔色悪いし」
「俺は走野だよ」
「走野? 何だそれ。お前はカイトじゃねーか」
「まさか、自分の名前も忘れたのか?」
「お前こそ変だろ。健吾」

 俺は反撃した。たぶんドッキリか何かのつもりだろうと思った。

「ざけんなよ、健吾って誰だよ。俺は(つばさ)だよ。マジ変だぞお前」

 ははは、と嘲るように笑った後で、健吾は鞄の横ポケットから定期を取り出した。そこにあった名前は――糸井翼。

「カイト。俺の名前、わかる?」

 今度は信一郎が言った。自分の顔を指さして、小首を(かし)げながら。

「倉橋」
「下の名前は?」
「信一郎」
「うへえ……。翼、こいつダメだ。マジやべーかも」

 信じられないといった表情で、ふたりは顔を見合わせる。そして信一郎が「ほら見ろ」とばかりに差し出した定期に記載された名前は、倉橋大輔(だいすけ)だった。

 ――なんなんだ? どうなってんだ?

 なんで健吾が「翼」で、なんで信一郎が「大輔」なんだ?

「ゲーセンはどうする?」

 俺は聞いた。でも、ふたりの返事は、

「それ、何の話だよ?」
「ゲーセンなんて、中坊んとき以来行ってねえよ」

 だった。

 わけがわからなかった。このバス会社の定期は手書きじゃなく、名前も機械で印字してある。だから、一瞬で書き換えられるはずもない。

 ――なぜ、あの強烈な雷に気づかない?
 ――なぜ、俺もこいつらも名前が変わってる?
 ――なぜ、ゲーセンに行く話もなくなってる?

「お前はサッカー、お前はプロレスが好きだよな?」

 ふたつの顔を交互に指さした。これなら話が通じるはずだった。なのに、相手の態度は頑として変わらない。

「アホか。俺たちはふたりともテツだよ。()っちゃん」
「今日の昼休みだって、千代田線の新型車両のこと話したろ?」

 ふざけんな。俺はお前らと電車の話なんかしたこともない。

「そろそろ(かみ)()郵便局前のバス停だぞ。カイト、降りられるか?」
「ていうか、一緒に降りて家までつき合ってやろっか?」

 心配そうに「翼」と「大輔」が顔を覗き込んでくる。声は変わってない。俺んちの場所も変わってないらしい。

 ――でも。

 ――なぜだ。なぜだ。なぜだ。

「お前んち、親いなくて今ひとりだろ? 体調やばそうになったら、いつでも電話くれ。ソッコー行ってやるから」
「俺も行く。水分も取れよな」

 ふたりが真顔で言う。俺は「大丈夫」とだけ告げて降車ボタンを押して、いつもどおりに上根郵便局前のバス停で降りた。車体後方の降車口で振り返ったとき、本気で心配そうな目が四つ、こちらに視線を送っていた。

 その残像が変だった。違っていた。

 ふたりのズボンがめくられておらず、裾まで長く伸ばしたままだった。「翼」の眼鏡は銀縁じゃなく黒縁で、手に巻いてあった湿布は影も形もなかった。
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