何もないまま。#6 Side Red

文字数 1,207文字

(……悔しい)

 フロアの後ろのほうでステージを眺めながら、あたしの頭の中はそれだけでいっぱいだった。
 悔しい。
 初対面の人にあんなにコテンパンに、反論の余地もなく言い負かされたのも悔しいし、その男の子の言う『足りないもの』があることにすら気づけなかった自分にムカつく。
 あの男の子がボーカルをしてたバンドは、ステージに颯爽と現れて、颯爽と去っていった。演奏がどうだったかは、正直憶えてない。憶えてるのはその姿と、爆発するようなフロアの歓声だけ。
 あのバンドだけじゃなかった。そのあとに続くバンドも、フロアから上がる声は間違いなく、あたしたちが演奏してたときよりも大きかった。彼のバンドがいちばんではあったけど。
 あたしたちにないものが『そこ』にあることはなんとなくわかった。でもそれを引き出す術は、まだよくわからない。
 だから、悔しい。

「なおっちゃん、大丈夫?」

 まきちゃんに声をかけられて、あたしはようやく他のメンバーに目を向けることができた。まきちゃんは、あたしに声をかけるだけの余裕があるみたい。ちーちゃんは壁に寄りかかって、少し顔をしかめて目を閉じている。

「てんちゃんは……?」

 視界に入る範囲に、てんちゃんはいなかった。まきちゃんに尋ねると、

「用事があるって言って、どっか行っちゃった」

 と返ってきた。誰とも話したくない気分なのかな……と思ってたら、イベントが終わる頃にふらりと戻ってきた。そして、手に持ってたものをあたしに押し付けてきた。

「……これは?」
「DVDだけど」

 それは見ればわかる。薄いプラスチックケースのジャケット部分には、バンド名がずらりと書き込まれた紙が挟み込まれていた。

「これ、もしかして今日の映像……?」

 近づいてきたちーちゃんが尋ねると、てんちゃんは返事の代わりにフロア後方のブースを指差した。三脚に固定されたビデオカメラが見える。

「あそこにいるの、楽器屋(うち)の常連さん。無理言ってデータもらってきた」

 行動力がすごい。ちゃんと次に進むために動いてくれてるんだと思ったら、申し訳ない気持ちになった。勝手に意気消沈してるかもとか思っちゃってごめん、と心の中で謝る。
 誰とも話したくなくて、動けていないのは、あたしのほうだ。

「ボクはまた今度データもらえることになったから、それは三人で見て」

 そう言うと、てんちゃんは足早に会場を後にした。「他に用事あるから」と言い残して。

「用事って、どこ行くんだろうね……」

 まきちゃんの言葉を話半分に聞き流して、あたしは受け取ったDVDのジャケットを見ていた。三番目、あたしたちのバンド名のところに、(NULL)の文字。

(何もない、か……)

 必要なものが足りない。わからない。
 その名前は、ないものだらけの今のあたしたちに、ぴったりな感じがした。
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登場人物紹介

★アナウンス★

・アイコンイラスト(ちびキャラVer)を追加しました。

(2020/07/24)


・奈桜・真希・千夏の夏私服と所有楽器のイメージイラストを

ツイッターに公開中です。

*第2章-#3 を読んでからご覧いただくとより楽しめるかと思います。

斉藤 奈桜《さいとう なお》


高校二年生。いつも明るく、誰とでも仲良くなれる少女。

バンドではギター・ボーカルを務める。

佐倉 千夏《さくら ちなつ》

奈桜の同級生。学校ではおとなしい文学少女。

バンドではギター担当。

井川 真希《いがわ まき》

奈桜の同級生。薙刀部所属の文武両道少女。

バンドではベース担当。

富士森 天音《ふじもり あまね》

千夏のバイト先の店長の娘。高校一年。

バンドにはドラムのサポートメンバーとして参加。

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