文字数 3,135文字

 あの不思議な子どもとの出会いは、なにか夢の中のことのようだった。
 雪の上には、あの子の足跡すら見つからなかった。いや、はじめから足跡などなかったのかもしれない。月が隠れると同時に消えてしまった子ども。その存在が、月にかかわっているのは確からしい。
 大蛇のいた裂け目は、ぼくの前にあった。大蛇の言っていたことが本当ならば、魔女はいるのだ。この裂け目をたどった向こうに。
 長い裂け目に沿ってぼくは歩いた。裂け目の幅はあるところでは谷のように広く、あるところではまたぎ越せるほど狭くなったりしたけれど、とぎれることなくほぼ真っ直ぐに続いている。
 そして、その日の夕方近く、急な斜面を登りきったところで、魔女の城は突然に姿を現した。
 ぼくは、しばしその場に立ち尽くした。まさしく氷の城だった。もぎっとった巨大な氷柱を、力まかせに大地に突き刺したような形をしている。裂け目は、その衝撃の賜物にも見える。
 上層の方が下層より大きかった。艶やかな硬質の壁は、黒ずんだ銀色。近づくにつれて、窓らしきものがいくつか見えたが、奥に人の気配はない。
 周辺をめぐると、門もなく、入り口もないことがわかった。
ぼくは、とほうにくれて、つるりとした壁に手を触れた。すると、音もなく壁の一部が口を開けた。
 はっとしてのぞき込むと、四角い小さな部屋があった。ぼくは、おそるおそる中に身をすべりこませた。と、
壁が閉ざされたのは同時だった。闇の中、足元が突き上げてくる感覚があって、ぼくは、思わずうずくまった。
 目を閉じていたのは一瞬だったと思う。息苦しさから解放されて顔を上げると、壁は再び開いていた。
 だだっ広い部屋が目の前にあった。
 寒々とした白い部屋の中央に、彼女は立っていた。
 波打つ黒髪を腰のあたりまで伸ばし、深紅の寛衣をまとっている。蒼白な肌に、唇の色も病的に青ざめていたが、皺ひとつない顔はまだ若く、美しかった。
 彼女は傲然と腕組みしてぼくを眺めた。黒い瞳が、酷薄そうに光っていた。
「どこから紛れ込んだのかしら。そんな汚いなりをして」
「あなたは、魔女?」
「黙ってわたしの家に入ってきて、それが挨拶というわけね」
「すみません」
 ぼくは、あわててわびを言った。
「どうやって入ったらいいか、わからなかったから。あなたに会いたかったんです」
「まあ、うれしいこと。もう何十年も生きている人間は来なかったのよ」
 魔女は抑揚のない声でそういうと、ぼくに歩み寄って来た。
「なんの用なの?」
「あなたに訊きたいことがあって。ハマという魔法使いを知りませんか」
「ハマ」
 魔女は目を細め、ゆっくりと繰り返した。
「知っていたら、どうするの」
「探しているんです。手がかりが欲しいんです」
 ぼくは、一息に言って魔女を見つめた。彼女の表情からは、どんな答えも読み取れなかった。だいたい、こんなに表情にとぼしい相手ははじめてだ。瞳の冷え冷えとした光がなかったら、そのつくりが美しいだけに面のようにも見える顔だった。
「答えが、簡単に得られると思ったら大間違い」
 魔女はぼくの脇をすりぬけて窓際に立った。
「わたしに尋ね事をする時は、それなりの奉仕が必要よ」
「どうすれば?」
「そのへんの骨でも磨いておいてちょうだい」
「骨?」
「わたしが集めたのよ。綺麗でしょう」
 魔女は、はじめて笑い声をあげた。甲高い、耳障りな声だった。
 ぼくは、部屋の中をよく見まわした。確かに壁ぎわにはいくつもの棚があって、大小の骨が並べられていた。一目で、普通の生物のものでないことがわかる。
 どう見ても人間らしい骨格があったが、それは手のひらに乗るほど小さかった。翼の名残がついた、犬らしきものの骨。真珠色の角が伸びた馬の頭蓋骨。
 ここにあるのは、魔物の骨なのだ。
ぼくは、ぞくりとした。
 棚の下の方に、一抱えもある大きな卵を見つけた。
 卵というより、巨大な宝石のようだった。銀色を帯びた表面は、夜光貝の裏側を思わせた。浮かび上がった虹色が、見る角度で変化する。
「あれは」
 ぼくは、卵を指さした。
「大蛇の卵ですね」
「ええ。あれも磨いて。ていねいにね」
「どうして盗ったんです。大蛇は泣いていましたよ、かわいそうに。卵だって、このままじゃ孵らないでしょう」
「この卵は最初から孵らない」
 魔女はあっさりと言った。
「あの蛇は、自分のうんだ卵を食べて生きているの。うんでは食べ、うんでは食べて、そうやって大きくなっているのよ。こんなにきれいなものが食べられるためにだけあるなんて、それこそかわいそう」
 ぼくは、唖然として卵を見つめた。このままでは死んでしまうと大蛇は言っていたっけ。
 わたしの、大事な、いとしい・・・。
 卵はなるほど大蛇のすべて、命のかてに違いない。だが、どうして蛇を責められる? そんなひどすぎる生を与えたのは、彼女を作った魔法使いなのだ。
「なおさら卵を返さなくちゃ」
 ぼくは、言った。
「大蛇を殺す気なんですか」
「そろそろ、わたしの骨に加えてもいいころなのよ」
「骨に?」
 ぼくの声は、自然に大きくなった。
「この魔物たちは、みんなあなたが殺したんですか」
「みんなではないわ。死体でしか見つからなかったものも結構いた。魔物は短命なものが多いのよ」
「殺したものもいるんだ」
「そう」
 魔女はぼくの真正面に立って薄く笑った。
「生きていたほうが、きれいな骨がとれるのよ。この部屋の閉じこめれば十日ほどで動かなくなるわ。あとは薬につけて、骨だけを取り出すわけ」
 ぼくは、身震いした。
「なぜ・・」
「魔物には二種類あってね、子孫を残せるものは短命で、数少なくなっている。残せないものは長命だけれど、二千年ぐらい生きるのが限度ね。彼らが生まれてからもうそのくらいたっているわ。 いずれこの世界の魔物は死滅するでしょう。一体ぐらいづつは保存しないと」
「生きているものの命を奪ってまで?」
「この世界の魔物の大半はわたしの父が作り出したものよ。わたしが勝手にしてはいけないのかしら」
「あたりまえだ!」
 もう少しで魔女に殴りかかりそうになった。なんて傲慢な考えなのだろう。魔法使いとは、まったくこんな連中なのだ。オンをおきざりにして、どこかに姿をくらましたハマと同類だ。
 ぼくは、はっと身を固くした。
「あなたの父親は、まさかハマ?」
「いまは教えない」
 魔女は胸をそり返した。
「しばらくここで、わたしの召使いになりなさい。けして逆らわないこと」
「断ったら?」
「わたしとしては、それでもいいけど。人間の骨も欲しかったところなのよ」
 魔女は、薄笑いを浮かべたまま壁に手を触れた。
 見えない扉が開いた。
 追いかけようとしたが遅かった。扉はぼくの前で閉ざされ、あとは継ぎ目のない壁ばかり。あちこちさわってみたが、動く気配もない。
 棚の後ろに引き戸を見つけて、急いで開けてみた。中は手洗いを兼ねた物置だった。出口は見つからない。
 魔女が消えた反対側の壁に、ガラス窓が一つあった。窓の枠を押すと、どよもす雪混じりの風が吹き込んできた。
 下をのぞいてがっかりした。この部屋は城の最上階らしい。外に出ようとしても足がかりのないまま、はるか下の凍った地面に激突というわけだ。
 ぼくは、窓を閉め、その場に座り込んだ。完全に閉じ込められたわけだった。魔女が現れた時、逃げる機会を見つけるしかない。
 しかし・・。
 ぼくは、頭を抱え込んだ。あの魔女は、本当にハマのことを知っているのだろうか。
 







 
 
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