第3話

文字数 2,251文字

 馴染みのある正孝の顔をまじまじと見つめて御園がうなずくと、正孝は面白そうに笑う。
「涼介が欲しいなら、ちゃんと自分から動いてアプローチしないと意味がないのに。自分はなんにも努力すらしていないのに、愛されてあたりまえなんて、おめでたいにもほどがあるよね。おかしくてたまらなかったよ」
「えりかがおれに執着したのは、おまえへのあてつけだろう」
「まさか。涼介、ほんとうにそう思っているの?」
 それ以外にない。
「あは、まあ、えりかは自業自得だけどね。あれで涼介のことを好きなのはほんとうだよ。笑っちゃうよね。ぼくが涼介を独り占めするのが許せなくて当たり散らしていたんだよ。だからぼく、おとなしくされるがままだったでしょ」
 ふふ、と正孝は意味ありげに笑う。
「だって、えりかがぼくを虐めれば虐めるほど、涼介はぼくをかわいそうに思ってそばにいてくれるでしょ。それが嬉しかった」
 ぐいっと手を引っ張られて御園はまえのめりになり体勢を崩す。とっさに両手を出して身体を支えようとしたが、目のまえに座っていた正孝を押し倒してそのままベッドに倒れ込む。
「おい、大丈夫か」
 下敷きになった正孝を気遣い身体を起こそうとするが、下から腕を掴まれて動けなくなる。仰向けに倒れた正孝はいくぶん潤んだ瞳で御園を見あげてくる。
「涼介、好きだよ」
 ささやくような告白に、御園は驚いて硬直する。
「ずっと好きだった。子どものころから。どうやったら涼介に振り向いてもらえるんだろうって、ずっと考えていた」
 片手で御園の腕を掴んだまま、もう一方の手を伸ばして正孝は御園の頬に触れる。
「涼介は潔癖なところがあるから、こんなふうに思うぼくは気持ち悪い?」
「……いや、」
 そんなふうには思わない。思うはずがない。
 御園の言葉に安心したように正孝は口許をほころばせる。
「よかった。涼介は、ぼくのこと嫌い?」
「いや」
「じゃあ、少しは好き?」
「ああ」
「ふふ、嬉しい」
 心から嬉しそうに笑う正孝を見て、御園はまずいと感じて腰を引く。だが、すぐに気付かれてしまった。
「もしかして涼介、興奮してるの」
 下腹部に視線を向けられて狼狽する。
「ぼくもだよ」
 そういうと正孝は御園の手を自身の下腹部へ導く。その大胆な行動と触れた部分の確かな感触に、御園はごくりと息を呑む。
 首許まできっちり閉じられた禁欲的な詰襟と裏腹な欲情の証。アンバランスな光景に御園の熱はますます高まるばかりで。
「ねえ、キスしてくれないの」
 ささやくようにせがまれて理性が揺らぐ。そんな御園の葛藤を知ってか知らずか、正孝は内緒話をするようにいう。
「ぼくね、いずれは父さんの跡を継ぐでしょ」
「……ああ」
 怪訝な顔をする御園に正孝はつづける。
「もちろん最大限の努力はするけど、周りはきっと海千山千のおとなばかりで、ぼくなんか親の七光りで大した能力のない若造だって侮られると思うんだ」
 正孝の能力を知らない人間には、そんなふうに思われることもあるかもしれない。
「四面楚歌だって覚悟はしている。でも、ひとりだけ、絶対にぼくを裏切らない味方が欲しい。なにがあってもぼくを見捨てないでそばにいてくれるひとが欲しい」
 涼介、とすがるような声音で御園の名を呼ぶ。
「これから先もずっと、ぼくのそばにいてくれる?」
「あたりまえだ」
 迷うことなく即答する御園に、満足そうな笑みを浮かべて正孝がすり寄る。
「ありがとう、頼りにしてる。じゃあ、キスしてくれる?」
 御園はたじろぐ。この流れでは拒めない。
 正孝のことは好きだし、愛しいと思う。はっきりいってしまえば恋愛対象であるどころか、御園の意中の相手である。
 正孝が自分に対して同じように好意を抱いてくれていたことに驚きを隠せないが、もちろん嬉しくないはずがない。
 だが、御園にとって、正孝は穢してはならない、いわば聖域のような存在でもある。
 たとえば、ひざまずいて足にキスをしろといわれたなら迷わず膝をつくことができる。しかし唇に触れたりそれ以上のことをするにはかなりの抵抗を感じてしまう。
「焦れったいなあ」
 呆れたようにいいながらも正孝は笑っている。
「涼介、命令だよ。キスしろ」
 御園のまえではいつも控えめで物静かだった正孝の豹変ぶりに驚きの連続だが、そんな彼の姿に失望するどころか、むしろ御園はぞくぞくするような昂揚を覚えていた。
 触れるだけのキスをする。
 正孝の腕が御園の肩にまわり、そのまま引き寄せる。
「もっと」
 足りない、とねだられて御園は柔らかな唇にむしゃぶりついた。夢中で正孝の口を味わう。互いに何度も唇を合わせ、舌を絡め合う。息が乱れて、唾液が混ざり合う淫らな水音が部屋に響いた。
 ふいに、背後に人の気配を感じた気がして御園は振り返る。
 いつのまにかドアが開いていて、その隙間から、呆然と目を見開いて固まっているえりかの姿が見えた。
「やだ……」
 か細い声が聞こえた。えりかは身を翻して廊下を駆けていく。あわてて身を起こそうとしたが、正孝に引き留められる。
「気にすることないよ」
 うろたえる御園とは対照的に正孝は落ち着き払っている。
「いいじゃない。見せつけてやれば」
「え」
「大好きな涼介を大嫌いなぼくに奪われて、今度こそ、ほんとうに死にたくなるかもよ」
 濡れた唇でそういうと、思わず見惚れるようなきれいな顔で、正孝は悪魔のように笑った。
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