第17話

文字数 1,198文字

☆☆☆


 八月三日。その日は雨だった。雨の中、病院から家に帰ると、おれは冷蔵庫からコーラを取り出して飲んでから、あたりを見回した。
 いつもの自分の家だった。電気は消されていて、暗い室内は、少しひんやりとしている。
 おれは二階の自分の部屋に入り、小説を書く。創作メモと書き殴りの原稿用紙を見ながら、ワープロソフトで文字を打つ。
 なにも不思議がない、日常の小説であり、バンド小説であるその作品を書きながらおれはのーみそにこびりついた〈犯人〉という単語が目前をちらつくのを抑えるのに必死だった。
 昼ご飯を食べるのも忘れて、キーボードをタイピングする。さっきコーラを飲んだから、糖分は足りてる。大丈夫。
 続く続くモノローグ。個人の独白。
 おれのつくる小説には「他者がいない」とよく言われる。絶対的に反発する、水に対する油のようなものが欠けている、と評される。
 どうするか迷った。
 だいたい、他者がいないと「駄目」なのか?
 そこからしてグレーゾーンだ。確かにこの時代に思弁小説でも書こうものなら、よっぽど高品質なものを書かなきゃ誰も取り合ってくれないだろう。だが、おれは長いモノローグを書き、それから、バンドの友情の話を書く。
 陳腐かもしれない。いや、陳腐だろう。
 ナタクの言葉ならば、稚拙。おれの小説には、描写といった描写がほとんど抜け落ちている。
 穴だらけの小説だな。
 だが、穴ならば、そこに入る余地があるんじゃないか。
 キーボードを叩きながら、おれは考え考え、バックスペースを繰り返しながら三歩進んで二歩下がるように書いていく。
 書いているうつに、あたりが真っ暗になる。
 おれは電気をつけて、ついでに背伸びをする。
 腰が痛い。
 もう、夜。
 今日は部活にも塾にもゲーム治療にも行かなかった。もちろん、バンドの練習を観に行くことも。
 気が引けていたのだ。
 どこにも行きたくない、と。
 だから、夜の九時頃、壱原ラズリーから突如電話がかかってきたのには驚いた。
 明日、会うことになった。
 日時と場所を指定され、すぐに電話は切れた。
 おれはそろそろ、戻れない地点に立っているのではないだろうか。
 最初から戻る場所なんてなかった、ともいえる。逃げ場はない。いつから逃げ場がなかったか。
 四年前。小学六年生の時のあのおれの記憶はねつ造……なのだろうか。そんなバカな。
 じゃあ、どういうことなんだろう。
 考えるだけ無駄だった。
 おれはワープロソフトに文字を入力させていればいい。
 世界を知る、とはどういうことか。
 世界を認識するとは、具体的になにをどう認識し、逆になにとなにを認識の外に捨てることを、そう言うのだろうか。
 明日。八月四日金曜日。
 おれはラズリーと会う。
 あんなに会いたかったのに、今は嫌な汗があふれ出すほど、会うのが怖い。
 なにかを壊しそうで。
 なにかが壊れそうで。
 しかし、おれはラズリーに会うのだ。
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