第5話 眉唾 眉唾。

エピソード文字数 2,218文字



 帰ってみると、部屋は真っ暗だったが、行灯の灯がともっていた。それに照らされている室内は、すっかり片付いていた。ふすまも障子も、穴が空いたまま。だが、人が住む分には平気だ、と言えるぐらいにはなった。足の踏み場もなかったことを考えると、ヨネの仕事ぶりがしのばれる。ヨネさんは、立ち去る寸前まで世話好きだった。

 ご隠居は、八っつあんが署に行く直前には、烈火のごとく怒り、ぜったいに立ち退くものかと興奮していたが、今はまったく違っていた。まるで別人のように見える。魂が抜けたみたい。ぼんやりと宙を見つめ、座ったまま動こうともしていない。大事な骨董品が壊されたのが、よほどこたえたのだろう、と八っつあんは心が痛むのを感じた。

 隣でご隠居の背中をなでていた、浪人の小鳥遊が、八っつあんの気配に振り返った。そして、顔を伏せた。つらそうだ。お武家さまのせいではないのに。すすり泣きが聞こえてきた。湿っぽい空気が流れていく。
「さあさあ、メシでも食って寝てくだせえ。明日はまた、素晴らしい日になるに決まってまさぁ」
 八っつあんが、心にもないことを言ったので、ご隠居の目に暗い影が宿った。

「こんな目に遭わされて、素晴らしい日が来ると言えるのか、え? ワシは権三の家に行く。差しちがえても、この長屋を守ってやる!」
 すくっと立ち上がった。どういうわけか、手に包丁を握りしめている。
「わっ。や、やめ、やめてくだせえ! ご隠居さま!」
 八っつあんが、がばっと包丁に手をかけ、必死で包丁をとりあげようとした。
「あ、危ない!」

 小鳥遊が急いで起きあがり、二人を引き剥がそうとするが、二人は、同時に腕をつっぱった。武士とはいえ三男に過ぎない小鳥遊は、鍛錬をしていなかったためだろう、勢い余って吹っ飛ばされてしまった。小鳥遊は、壁に頭をぶつけ、うめいている。

 二人はもみあい、取っ組み合った。八っつあんは、ご隠居が意外と強いのに驚いていた。ご隠居の持つ刃物は大きく、しなやかな腕がそれを振り回している。万力のような力が感じられた。ギリギリと刃物を握る手に力がこもる。つぎの瞬間。
 ギラッ。八っつあんは目の前に包丁が迫ってくるのを感じた。刃物が振り下ろされる。殺される!
 その時である。
にゃーお。

 なにやら、妙な鳴き声がした。そして、赤い影のようなものが走ってきた。
 その影は、するすると畳の上をすべると、粉々になった陶器のかけらにくっついた。
 と、陶器のかけらが、すべて空中に浮いた。
「な、なに?」
 驚いて八っつあんとご隠居がポカンと見ているあいだに、陶器のかけらたちは、木の葉がつむじ風に舞うようにお互いにくるくるまわりはじめた。そして、それぞれが、星のように光を放ち始めた。かけらたちは、どういうわけか、春の風に舞う蝶のように、ひらひらと宙へ舞っていく。八っつあんご隠居は、あっけにとられて見守っていたが、かけらはいちいち行儀良く、絵合わせでもしているかのようにピタリとはまっていく。残らずかけらが動き出し、順々に飛び(かえ)っていくではないか。

「おう、おう、おう!」
 ご隠居は、目を輝かせた。骨董品の山が出来ている。壊れていたものが、すべて直され、復元されていく。
「ま、まさかそんな……」
 八っつあんは、なんども目をこすった。ご隠居は、八っつあんの腕を振りほどき、骨董品にしがみついた。そして、女の肌をさわるように、ひとつひとつなで回しはじめた。
「戻ってる。戻ってる!」

 ご隠居は、半分泣いていた。というより、号泣していた。むせび泣き、よだれまで垂らして、骨董品に手をなでまわし、頬を寄せ、その頬を自分でつねっている。

 影はさらに、掛け軸に取りかかった。ビリビリに裂けた掛け軸の裂け目と裂け目が合わさり、ピタリと合致する。キラリと光が放たれた。雨のように光が降り注ぐなか、掛け軸は元通り、その姿を現した。長屋の一同は、驚きの声を漏らした。荒肝をひしがれている。

 影はいよいよ勢いを増し、ふすまというふすま、障子という障子に飛びついた。破れた障子の穴は、ジリジリと焼けるように障子紙が増えていく。それは木炭が、紙を焼くのと逆を見ているようだった。光を放つ黒い縁が、中心に集まっていくと、障子紙はまっしろのまっさら。ひとつひとつの穴は、同時にふさがっていき、やがて完璧に戻っている。

 ふすまの大きな穴もおなじことだった。これは、ふすまが生きているようにも見えた。トカゲがシッポを生やすようなものだ。影がふすまに取り憑いて、その穴をどんどん狭くしていくにつれ、ふすまは光り輝くような、新品に戻っていた。つまり影は、それらをすべて、修復・復元していったのである。

 八っつあんは、ぼんやりとそれを眺めていた。そばでトメが、踊りを踊っている。盆踊りである。季節ではないが、この場合にはそれがふさわしいようでもある。トメは、時々、まともになる。いや、それよりも。

「キツネに化かされてるんだ」
 八っつあんは、独りつぶやいた。
「気が触れたんだ。夢を見てるんだ」

 八っつあんは、眉につばをつけた。幻覚を見たら、そうするように祖父から教わっていたからである。しかし、戻ったかけらや穴たちは、知らん顔しているばかりだ。壺はかけらにならなかったし、掛け軸もおなじように、復元されている。
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