15、

文字数 4,255文字


 墳墓の上には墓石があって
 墓石の中にはお庭があって
 秘密の庭には薬草繁り、
 墓守の魔女が住んでいる

 髭の濃い、剃刀を思わせる面立ちの男がわらべ歌を口ずさむさまは、異様だった。
 だが、薄っぺらで乾ききった唇から漏れる歌声は低くかすれているものの、鋭い目つきに似つかわしくなく穏やかな調べだ。
 男は今、思いのほか良い獲物を得て刃を突き付けているところで、大変機嫌がよかった。

 二十年以上バイスンに仕えてきたこの男は「シェルパーダ公の政変」の真実を知る数少ない人間のひとりだった。十五年前の当時、近衛に変装をして皇王を手にかけたのも彼だった。
 捕えられ、拷問にかけられたと記録上なってはいるが、実際は主君たるバイスンに首尾を報告しただけだ。
 シェルパーダ公家の次男の焼死体がしかとは確認できず、前皇王のまだ赤子であった第三王子を水路に流してしまい見失ったが、頑是ない子どもがあの地獄の中を生き延びているはずがあるまい。
 憂いの種にもならぬそれらを除けば、計画通りに進んだはずだった。
 しかしながら、バイスンの即位が成っても“薬草園の魔女”が姿を現しはしなかった。最たる目的であった弟子の洗礼が行われることなしに、十五年もの歳月が過ぎてしまったのだ。
 バイスンが手に入れたかったのは、皇王位ではない。皇王に就けば手に入ると思われていた“薬草園の魔女の弟子”の肩書であり、弟子の洗礼を受けるとともに知らされるはずの薬草園の場所である。
 開闢神話にも語られる薬草園は、もとはフォルール神の墳墓であり、どんな病でもたちどころに治してしまう薬草、不老不死の薬の材料が生い茂っていると伝えられる。
 前皇王はたしかに弟子の洗礼を受け、薬草園の場所を知っていたという話だから、神話の時代から現在まで魔女が生き長らえ、洗礼を施すのは寝物語などではない。不老不死のわざも薬も実在するのだ。
 バイスンが強く求めてやまないものこそ、あらゆる病に効く薬草と、不老不死のわざであった。これらを手にすれば、妃の病を快癒させられるに違いないと信じて。

 いっこうに現れない魔女に業を煮やし、
『弟子の洗礼を受けずとも、薬草園の場所を知り得ることはできないものか』
 バイスンは男に命じて、長年にわたり調査をさせていた。
 命を受けて十年近くもの間、成果は上がらなかった。そこに思いがけず舞いこんできたのが、王太子ルバートがもたらしたわらべ歌だった。
 王太子はここ一、二年、誰にも何も告げずに周遊に出かけることがたびたびあった。はじめのうちは王太子が行方不明になったと大騒ぎになったが、毎度何ごともなかったかのようにひょっこり帰ってくるので、回を重ねるうちに、王太子の旅癖は暗黙の了解になっている。
 今回のわらべ歌は、春の盛り――ちょうど十二祝いの祭日の頃。王太子がヘーデン辺境領を訪れた際に町娘から聞き、持ち帰ったものだった。ヘーデンの者ならば誰でも知っている、古くから伝わる歌なのだそうだ。

 墳墓の上には墓石があって
 墓石の中にはお庭があって
 秘密の庭には薬草繁り、
 墓守の魔女が住んでいる

 ヘーデンの老人たちは小さな子どもに歌い聞かせて、丘や小山で遊んではいけないと教えるらしい。子どもだけで墳墓の丘で遊ぶと、墓守の魔女に、秘密の庭に連れ去られてしまうという。
 秘密の庭――これこそ、開闢神話の薬草園を示しているに相違ない。男は確信してバイスンに申し出、薬草園はヘーデンにあるに違いないと、調査に訪れたのだ。
 ヘーデン領はリンデルの街に始まり、北端はフィリーと、良質の小麦で知られる町ディッセルベーン。ディッセルベーンには“ディッセルベーンの魔女”とあだ名される少女がいるらしいのだが、町人の話によれば、彼女は現在、辺境伯の城館で召し抱えられているという。魔女という言葉を追いかけて男はヘーデン城館に至り、ディッセルベーン出身の少女との面会を申し立てた。
 結論を言えば、会うことはかなわなかった。“ディッセルベーンの魔女”とは。
 だが幸運なことに、“薬草園の魔女”は見つかったのだ。じりじりとした日差しが近づく夏を感じさせる、そんな日だった。
「私はもう、弟子をとらないことに決めたと言っているだろう」
“薬草園の魔女”は、これ以上不機嫌な顔はないだろうという顔をして、男に憮然と言い放った。
“ディッセルベーンの魔女”が少女と聞いており、何分不老不死だというのだから“薬草園の魔女”が若い娘でも驚かない準備はあったが、想像よりも若すぎた。魔女の名を冠するにふさわしい美質だが、幼さすら残る顔立ちである。せいぜい十二、三歳だろう。
「先王は獅子の車に乗ってたびたび私を訪ねたが、面持ちは暗かった。自分は命をねらわれているのかもしれない、と言っておった。薬草園が神の墳墓だということを忘れ、畏敬を忘れ、不老不死や金もうけなんてくだらないことに目のくらんだ連中が薬草園を求めているのではないか、とな。自分を廃して都合のよい皇王を据え、薬草園の魔女の弟子になろうとするやからがいるのではないか――先王は、ずっと怖れていたよ。私も怖れていた。だからもう、いっさい弟子はとらないと決めたのだ」
 魔女の言葉は、重い年月を生きた老女のもののようにも響いた。あどけなさも感じられる小さな鼻や口元とは別で、緑色の大きな目には数十年の年輪が刻みこまれ――そして、疲れていた。
 その緑の双眸は、ただ、男にとらわれた少年だけを映し出していた。
 男がヘーデン城館の周囲を調べていると、どこからともなくカラスを連れた少年が現れたのだ。城館を取り囲む森にぽつんと建った貯蔵庫内を物色する少年は、下働きのようにも思われたが、お仕着せを着ているわけでもない。何より、常ならば作物や貯蔵品を荒らす害鳥として嫌われるはずのカラスをそばに置いていることが引っかかった。
 捉えて問いつめても少年は決して薬草園について口にしなかったが、少年を小突きまわすうちに、魔女のほうからのこのことやってきたのだ。
「だから、何を言っても無駄だ。私はバイスンを弟子にするつもりはない。ハティを放せ」
「弟子をとらない? 異なことを。現実、あなたはこうして皇王でもない少年を弟子としてかかえていらっしゃるのに?」
「ハティは弟子ではない!」
 魔女は鋭く言った。
「ハティは、私の家族だ」
 緑の瞳が燃えていた。
「さびしがっていた私の声に応えてくれた、たったひとりだけの家族なんだ」
「千年生きた神話の魔女がさびしがって家族を持つなど、冗談にもなりませんよ」
「千年も前の魔女と私が同一だと、おまえは本気で思っているのか」
「不老不死なのでしょう?」
「おまえたちが考えている不老不死と、私に降りかかった不老不死では、まったく違うと思うぞ」
「戯言をおっしゃる。不老不死に種類も何もあるものですか」
「神でもないものが、何の弊害もなく、永遠に生きられるはずなどあるものか」
 魔女は言い返した。
「いい加減にあきらめろ。私はおまえを、皇王を、薬草園に案内などしない」
「では、この少年がどうなってもよいと?」
「レオギン、僕は大丈夫だから」
 何が大丈夫なんだと、魔女は少年に毒づいた。男の手には大刃のナイフが握られているというのに。
「どのみち、あなたが拒否を貫いても、私が帰って皇王に奏上すれば、皇王はこの城館一帯を更地にしてでも薬草園を見つけ出します」
「辺境伯の領地だぞ」
「ヘーデン伯は皇王の臣下ですから」
 それがヒーリア神に仕える皇王のすることかと、魔女はののしった。
「私は許可しないぞ」
「ならばこの少年がどうなってもよいのですね?」
「ハティを傷つけることだって許さない」
「私のナイフは一瞬で首をかき切ります。あなたが承諾しなければ、容赦しませんよ。今承諾して薬草園に案内するか、拒絶して少年を見殺しにし、あとであばかれるか。あなたが選べるのは二つに一つです」
 これが最後です。薬草園に案内していただけますね――? 
 魔女は無言のまま手を持ち上げて、男のほうを指差し、目を閉じた。男はその指先が何を意味するのか考え、ナイフの柄を握る手に力をこめ、そして――ぐしゃり。自らの胸の中で、何かが潰れる音がした。
 魔女は告げた。
「もう一つ選択肢はある。おまえを殺めれば、皇王はこの場所を知ることはない」
 ナイフが土の上に鈍い音を立てて落ち、男は倒れながら、死の淵にいることを知った。心の臓が破れたのだ。
 解放された少年は魔女のもとに駆け寄った。魔女の右腕は肘のあたりまで、ずぶりと緑色に濡れていた。少年があわてて布を巻こうと手をとると、緑に染まった皮膚と肉はくずれ落ちて、骨すら残らなかった。
「人を殺める術は、とても消耗するんだ」
 肘から下がなくなった腕を前に呆然と目を見張って動けずにいる少年に、魔女は言った。
「気にするな。挿し木すれば、そのうち元通りになる」
 男の耳に聞こえたのはそこまでだった。何も見えなくなり、聞こえなくなり、事切れた。

 レオギンはハティをうながして、薬草園の母屋に戻った。
「私の腕なんぞより、もっと大変な心配事がある」
 散らかった机の上を腕で薙いで物を下に落とし、巻紙を広げた。インク瓶のふたを開けさせて鷲ペンを手にとり、彼女は利き手でないほうの手でも、達筆に書いてのけた。
「ハティ。これを首都の皇王に届けてほしい」
 巻紙の最後に緑の血で捺印して封蝋でとじ、スルスミを呼んだ。
「スルスミの翼なら、あっという間に着くだろう。スルスミの術が解けたあとの帰りは、急がなくていい。乗り合い馬車でも拾ってゆっくり帰ってこい」
 母屋の外に出ると、スルスミはたちまち巨大な竜へと姿を変えられた。見せかけだけではない、本物の、翼の強い竜である。少年は皇王への手紙をあずかって竜によじのぼり、首のうしろの突起につかまった。
「レオギンはひとりで大丈夫?」
「私はここの墓守だ。残らなくてどうする。……それに、ハティが来るまでは、ずっとひとり暮しだったんだ。大丈夫さ」
 翼を打ち、竜は空へと舞い上がった。その影はたちまち雲間に吸いこまれて、あっという間に見えなくなった。
 ハーティスはまさか、訪れる首都で実の姉と再会することになろうとは、夢にも思っていなかった。
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