男はみんな狼なのか?

文字数 3,573文字

 夜。まだほんの少しだけ肌寒い空気を感じながら、津野は歩いていた。
 (ふし)(まち)(づき)が空にぽつりと浮かんでいる。
 ここに初めて来たとき、津野は星の数の少なさに驚いた。
 プラネタリウムなんて目じゃないほどに、津野の住んでいた所では星が見えた。
 それがここだとほとんどが姿を見せず、月だけが浮かんでいるように見える。
 山から見下ろせば、町の方こそ星のようにキラキラと光って見えた。
 おそらくは人間が星の光を地上に降ろしてきてしまったんだろう。その結果、月は一人だ。
 
居酒屋「昼行灯」の横を通り抜ける。
 中からは小さく話し声が聞こえた。もうしばらくしたら外で桜を見始めるのだろうか。
 津野は今から月に会いに行く。
 一面しか見せないその裏側を探しに。

「あ」

「あ」

 青井は先に公園で待っていた。
 かなり早い時間に出たと思ったのだが……と、確認しても指定した時間にはまだ十分ほど早い。
 声にもならない音を発した後、二人は何を言うでもなくベンチに座る。
 つかの間の静かな時間が過ぎる。だが、津野の心臓は痛いほどに脈打っていた。
 これから彼女を泣かせてしまうかもしれない。さらに不幸にしてしまうかもしれない。
 けれど解決策はそれしかないように思えた。そして、その解決しか思い浮かばない自分に()()()なさを感じる。

「話って言うのはさ」

「うん」

 お互い見つめ合うことなく話し出す。とてもじゃないが津野には青井の顔を見られない。
 津野は彼女の事をいくつも思い出した。不幸を背負っても関係なく過ごせるなんてすごいと思った。津野にとって不幸とは避けたい出来事であり、不幸な人間も同じく避けたいものだった。
 けれど、彼女は違った。感情を麻痺させ、幸も不幸も感じなくさせるわけでなく、不幸にばかり目がいくわけでもない。あるがままをうけとめて、それを良しとした。
 自分のためじゃない、誰かのために。
 けれどそれはきっと違うんだ。

「やっぱりお前は、不幸で可哀想な奴なんだよ」

 きっと誰もがわかっていることを、青井でさえわかっているであろうことを言う。
 嘘でもない、誤魔化すわけでもない、ただ、真実を突きつける。

「私は、そう……だけど、他の人から見たらそうかもしれないけど――」

「いや、違うんだ。お前は同情されるべき存在なんだ」

 幸福な境遇である、だからといって幸福を感じるかは別なように、不幸な境遇にあるからと言って、不幸であるかどうかはわからない。
 けれど彼女にはこう言わなくてはいけない。お前は不幸なんだ。不幸なことは、辛いことなんだ、と。

「そんなことない。だって、私よりも不幸な人がいるの。不幸な私を見て、幸せになる人もいるの。だから、私だけが可哀想な訳じゃない」

 青井の声が震える。津野は自分の声が震えてしまわないように尽力する。
 そうだ、彼女はいつだって自分のことなんて顧みずに、誰かのことばかりを気にしていた。自分が不幸になることで、誰かの幸せを祈っていた。

「あの時には言えなかった。どれだけ不幸でもそれを人のために受け入れるお前を、すごいとまで思った。けどそれは違ったんだ」

 津野は彼女を神様のようだと思った。周りの人間を幸せにするために、自分のどんな境遇も受け入れて、まるで青井の方こそ不幸の神様のようだと。

「誰かの不幸はお前には関係ないし、お前の不幸も誰かには関係ないんだ」

「なんでそんなこと……いまさら……」

 青井は困惑している。今にも声が消えてしまいそうだ。

「お前が不幸だからって幸せになるやつなんていない、お前はただただ不幸で可哀想なやつなんだよ」

 けれど、不幸の神なんていない、神様みたいな顔して、ただ不幸な女の子がそこにいるだけだ。きっと彼女は神様なんかじゃない。
 なら、それをただの女の子にすれば良い。

「悲しいっていうのも大事なんだ。自分が笑うことを否定しちゃいけない」

 不幸な境遇を受け止めて、いじめられようとそれを()とし、いろんな人の不幸を抱えるなんて、そんなことしなくていい。そんなの、何処かの暇な神様にでも任せればいい。

「そんなこといったって――」

 煮え切らない態度に、ついに津野は彼女の肩を掴み、向き合う。

「いいんだよ! 他の誰を気にしなくてもいい!  不幸な事を悲しいって言えよ! 幸せなら嬉しいって言えよ! 誰が不幸で誰が幸福かなんて関係ない! 自分が幸せなら幸せだって笑え! 不幸なら笑ってないで悲しめ!」

 これはあの詐欺師の言った、おそらくは彼の本心からの言葉だ。彼から学んだのは何も誤魔化す方法だけじゃない。
初めて青井と目が合った気がした。
 神様とか言うのなら、降りてこい!

「それでも、どうしても不幸になりたいって言うんなら、俺も一緒に不幸になってやる」

 掬い上げることばかり考えていた。けれどそれだけが正しいわけじゃない。みんな一緒に幸せになるだけが良いことじゃない。
 助けようとするのが間違いだった。彼女が下で、自分が上でなんて考えた自分が間違いなんだ。
 彼女に必要だったのは、ヒーローでも何でもない。
 いつでも隣にいる友達だったんだ。

「さあ、お前と一緒に不幸な目に遭って、それでも一緒に笑って、一緒に悲しませてくれ」

 そう言い、津野は手を差し伸べる。
 楽しいときだろうが、悲しいときだろうが、一緒にいるのが友達だ。
 彼女はいつものように笑い、けれど、

「ありがとう」

 そう言って泣いた。
 誰も聞いていない、小さな公園の中で泣く声だけが響く。
 真っ暗な中だったため、その顔を見る人間は一人もいない。
 臥待月はそれを見ている。
 新しい季節はすぐそこに迫っている。
 津野はこれから、不幸な少女と幸せになる。



 津野は青井を家まで送り届けた。

「ねえねえ、送りおおかむ?」

「おおかまない」

 俺のことを何だと思ってるんだ。と、津野は抗議する。

「不幸……」

 額に手を当て、悲しげな表情をする。もしかして、もう持ちネタを作ろうとしているのか。
 いくら時間が経ったとは言え、小学生の時はずっと一緒にいたんだ、今更距離感なんて、と思っていたが、改めて二人で歩くとなるとこれはこれで緊張する。
 何を話したらいいのかわからない。
 しばらく黙って彼女の隣を歩く。時々あたる街灯に、彼女の顔が照らされる。
 記憶の中の彼女とは随分変わっていた。当たり前だ。四年も経てば成長期の子供なんてあっという間に変わる。
 関係も充分に変わった。明日からは本当に隣に立っていられる。
 歩幅を合わせながらゆっくりと夜の道を行く。
 今日の晩ご飯は何だろうか。柚子さんは好きなものを作ってくれると言っていた。津野にはそれが戦利品のように思えた。
 遠くで電車の通る音が聞こえる。明日からはあれに揺られて登校するのだ。
 友達は……もしかしたら一人も出来ないかもしれない。それでもいい、津野は青井の隣にいると決めたのだ。
 こんな風に。

「また明日」

 とお互いに声を掛け合い、津野は帰路につく。
 まだ高校生活は始まってもいないのに、今からこんなに忙しいのなら明日からどうなってしまうのだろう。
 前途多難だったが、津野の足はそれに反して軽やかなものだった。
 むしろ大変なのは、家に帰ってからだった。
 玄関先に立った途端、背後に気配を感じる。

「他の女の匂いがするわ」

 凄みのある声と共にふんふん、と後ろから鼻を鳴らす音がする。
 他の女も何も、始めからそう言っていたような気がするが、今回は大人しくしておいたほうが良いような気がする。

「お望みは」

 津野は諸手を挙げ降参のポーズをする。

「え、何でも良いの?」

 そこまでは言っていない。

「はい、良いです。本当? やった」

 勝手にこちらの声をアテレコして勝手に喜んでいる。青井の半分でも良いからこちらに気を遣ってほしい。

「あ、津野君、帰ってきたの? もうすぐご飯できるから、もうちょっと待っててね」

 奥から管理人の声が聞こえる。と、同時に何人かの声が聞こえる。

「みんな実はみゆきの心配してたのよー」

 耳元でささやく幸夜。
 見ると、こちらの様子をうかがっているようにも見えた。

「お世話になりました。何とかなったんで、明日から頑張ります」

 津野は広間に這入り、深々と礼をしながらそう言った。
 そのうち昼行灯の主人にもお礼をしに行かなくてはならない。
 そろそろ彼も桜を見ている頃だろうか。
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登場人物紹介

津野 御幸(つの みゆき)

主人公 人の不幸が見えるという体質を持つ。

かつて妖怪に襲われ、未だに命を狙われている。

新しくひなた荘に入居してきた。

間 禄郎(はざま ろくろう)

探偵。ひなた荘に住んでいる。

住人から詐欺師と呼ばれているが、曰く「真実を曝くだけが事件の解決方法じゃない。真実は一つなんかじゃないよ」とか。

妖怪については詳しくない。

酒坂 晴彦(すさか はるひこ)

作家。エログロ、怪奇小説など、怪しいものばかりを書いている。

住人の中では一番妖怪に詳しい。

「この人に下ネタを振ってはならない」と言うのがひなた荘のルールに記載されている。

垣ノ内 柚子(かきのうち ゆず)

ひなた荘の管理人。

ふわふわとした正確だが、唯一酒坂の下ネタを止められる人間。

暗黙のルールとして「柚子さんに逆らってはいけない」というものが住人の間で広まっている。どうなるかは誰も語ろうとしない。

垣ノ内 夏乃(かきのうち なつの)

柚子の妹。主人公と同い年であるが、まだ少し打ち解けていない。

お菓子作りが趣味であり、姉の柚子には滅茶苦茶甘やかされている。

柏原 涼(かしはら りょう)

写真家、イラストレーター、デザイナーなど、何足ものわらじを履く芸術家。

さっぱりとしていて、住人の中でも女扱いされない事が多いが、色々と抱えているものは多い。

幸夜(こうや)

鬼の少女。

津野を食べるため、そこまで来ている。

喫茶店のマスター

正体は稲荷神である。少し芝居がかった口調で、かなり顔が良い。

そしてかなり顔が良い。

居酒屋「昼行灯」の店主。

正体は猫又。

桜と人の色恋話が好き、かつてそれに関する何かがあったようだ。

青井 凪(あおい なぎ)

幸の幼馴染み。

貧乏神に憑かれた少女。

幸は一度彼女を見捨て疎遠になったが、引っ越した先の街でまた出会う。


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