第七話 昔話

エピソード文字数 6,025文字

たき火の火を消してから一時間ほどが経ったのだろうか。深い木々に囲まれた森の中にいても、十分に辺りが見渡せるほど、陽は顔を覗かせている。
ふと、隣を歩く、グリンデが空を見上げて呟いた。
「……しかし雨が止んで良かったのぉ」
二人がチェルネツの森を出る日を決めたのは、何もオリビアの体調が完全に戻ったのを見計らっただけではなかった。
一早く病から人々を救いたい。焦りもあり、オリビアは病み上がりだった身にも関わらず、じっとしていられなかった。今すぐにでも動き出したい気持ちで一杯だったのだが、グリンデが「旅をするのも準備がいる」と言って、何やら複数の草花を使って調合をし始め、渋々その薬品や道具が完成するのを待っているうちに、気が付くと三日が経過していたのだった。
魔法の存在が再び世の中に現れたとはいえ、まだ黒羽族の姿が確認できた訳ではない。急いて行動するよりも、数日間を準備に費やし、万全の状態で動いたほうが賢いとグリンデは考えたのだろう。
流石は魔女の秘薬といった処か。グリンデが準備をしている間、オリビアも完全に体力を取り戻し、普段と何ら変わりのない動きが出来るほどの回復を見せた。
そしてその時、幸いにも、あの酷い雨がすっかり上がっていたのである。もしも、あの豪雨の中で旅を始めていたのなら、今より多くの危険を伴っていたに違いない。森の中でたき火をして眠ることなど決してできなかっただろう。天幕を張る道具も必要だった。グリンデの準備が終わり、かつオリビアが体調を取り戻したと同時に雨があがり、日が差し込んだのは本当に幸運だったといえる。
雨が上がった次の日の朝、オリビアはグリンデと手をつないでチェルネツの森を抜け、自宅へと向かった。
オリビアの家は、チェルネツの森周辺のほかの家屋の中でも、とりわけ森に近い場所にあり、一番近くの家に向かうにも結構な時間がかかることもあってか、留守の間に誰かが訪ねてきた様子はなかった。
わりかし動きやすい、裾の短い腰衣に着替え、必要な道具を鞄に入れると、家の裏手にある母の墓に乙女の涙を植えて、一輪をこうして瓶に入れて持って来たのであった。
母を亡くした事を深く気にかけてくれていたのだろう。普段から家に誰かが訪ねてくることは少なかったのだが、皆から『セラばあ』と親しまれているおばあさんが、ここの所しばしば足を運んでくれていた。そのセラばあのところにだけ、グリンデと二人で挨拶をしてから、この旅を始めていた。。
セラばあは初め、見たこともない女性を前にひどく目を丸くしていたのだが、グリンデを母の知人であると伝えた事と、オリビアが心なしか以前より明るく見えた事もあって、しばらく留守にすることに理解を示してくれた。グリンデに「旅がいつ終わるかわからないから、挨拶するなら我と暫く一緒に住むことなったと伝えろ」と言われ、その旨をセラばあに伝えていた。
自宅を出てからまだ一日ほどしか経っていないのか。少女にとって、伝説の魔女と過ごす時間はとても濃厚だった。
再びチェルネツの森を抜けて、焚火を灯したあの開けた場所に出るまでの道中、二人は動物のものらしき糞を見つけた。もしかしたら獰猛な生き物のそれではないか、とオリビアは警戒したのだが、グリンデは見るなりすぐにその主の正体を突き止めてしまった。
『これは【ラクール】のものだな。木の上で生活するイタチの仲間だ。安心しろ、特に害はなさない』
魔女が見抜いたのはそれだけではない。
『ふむ。どうやら番っているようだの。見ろ。この足跡は同じ右足のものだが、それそれ形が違わろう』
言われてもほとんど気が付かない。地面にある微かな凹みを枝で示すと、さらに続けた。
『おそらくまだ若い番いだろうな。イタチといえど、長く生きると知恵もつく。歳を取ると、気付かれんように深く穴を掘って、糞を隠そうとする奴も多いはずだ』
さらっと言いのけ、足早に先を急ごうとする背中を、暫く呆然と眺めていたのをオリビアは覚えている。その知識の豊富さに触れたとき、やはりこの人は百六十年前に伝説を残した魔女なのだと実感せざるを得なかった。
だがオリビアも全くの無知、という訳ではなかった。
(あ、この木……もしかして!)
ぼんやりと、旅の始まりを思い出しながら歩いていたオリビアの眼前に、一本の樹木が現れた。その木の幹は、つるっと少しの光沢を放ち、滑らかな感触をしている。見上げると、思った通りに、人三人分くらいの高さの所に、手の平くらいの大きさの赤い実が丸々と実っていた。
オリビアは、足元に落ちていた少し大きな枝を、その赤い実めがけて投げた。見事にその枝は、くるくると周りながら、木の実がなる細い枝先に向けて飛んでいき、ばすっと大きな音を立ててぶつかった。衝撃を受けた枝先はぎしっと一瞬大きく揺れ、その振動でその赤い実が落ちてきた。少し重たそうな鈍い音を立てて、実は地面にぶつかり、オリビアは急いでそれを取りに向かった。
「……ジュマルの実か」
隣でその一連を見ていたグリンデが、少しの感嘆の声を漏らした。
このジュマルの実は、高いところから落ちても容易に割れない程に表面が硬い。しかし、ある要点を抑え、苦労を終えて半分に割ることが出来ると、中から柔らかい果肉が姿を見せる。その果肉が桃に似た味でとても甘く、匙ですくって食べると美味しいのだ。
オリビアは、ちょうどいい具合に二つ落ちてきたその実の一つをグリンデに差し出した。
「良いな。そろそろ軽く飯でも食うか」
思えば、二人は目覚めてから何も食べていない。そろそろ何処かで腹ごしらえしないと、旅も続かない。グリンデはジュマルの実を受け取ると、近くにあった木陰へと腰かけた。
もう一人座れるくらいの間隔を隔てて、オリビアもその隣へ腰を下ろした。さてナイフを使いジュマルの実を割ろうか、と革の鞄を開けた時だった。そのお目当ての物が何処にも見当たらない。
(そういえば!)
ここでようやくオリビアは、チェルネツの森で悪魔の目と対峙した際に、ナイフを弾き飛ばされたことを思い出した。それはもはや、森で経験したことの中でも実に些細な事である。家に別なナイフがあったのだが、すっかりそのことを忘れて置いてきてしまった。専ら鞄の中に入っており、持ち歩いているとばかり思いこんでいたのである。
右に視線を移すと、いつの間にか魔女は器用に実を割っており、手にしたナイフで中身を口元へ運ぼうとしている。彼女は振り返ることはなかったが、その妙な視線には気付いていた。
「どうした。ナイフがないのか?」
オリビアは静かにこくりと頷き返事を返した。少しの躊躇いがあったのは、やはり冷やかしが飛んでくると思ったからである。しかし魔女の返答は思いのほか素直だった。
「……仕方ないのぉ。だが我は匙がない。交換といこう」
彼女にも求めていた物があったのが幸いだった。見事に自分はそれを余分に持っている。オリビアは鞄から匙を取り出し、それをグリンデに手渡し、グリンデは手にしていたナイフをオリビアへと差し出した。
(……蛇)
グリンデから受け取ったナイフは、持ち手に蛇が巻き付いた奇妙な形をしていた。無駄に重厚なそれは掴みづらく、幼い少女の手には全く馴染まない。隣にいるグリンデは、オリビアの驚きように気が付いているだろうが、それに全く触れようともせず、手渡した匙で黙々とジュマルの実を食べている。
いくら扱いづらいとはいえ、ないよりはましだ。オリビアはナイフを両手で掴み、地面に置いたジュマルの実に、ナイフの切っ先を勢いよく垂直に突き立てた。オリビアは、ジュマルの実の上手な割り方を知っていた。この実は横からの衝撃にはめっぽう強いのだが、縦からの一点に与えられた衝撃には、そこまで強くはないのだ。繊維に沿って亀裂の入った実は、もう少しの衝撃を与えれば上手い具合に半分に割れそうだった。オリビアは、両手でその亀裂の入った実を掴むと、捻るように力を加えた。実は乾いた音を放ち、内側から甘い香りと共に果汁が溢れ出し、それが地面へと流れ落ちた。
さすがに先程のグリンデのように、このままナイフで食べるつもりはない。軽くお礼を言いつつ、用が済んだナイフをグリンデへと返した。
グリンデは、手にしていたジュマルの実を、砂が付かないようそっと地面へ置くと、そのナイフを受け取った。そしてローブの内から小さな紙を取り出し、ついた果汁をさっとふき取ると、刃先を太陽に照らした。綺麗に光が反射するのを確認すると、そのままナイフをローブの内へとしまい込んだ。グリンデのローブの内には、いざという時、すぐに取り出せるようにと、直接、革で作られた鞘が縫い込まれているのであった。
グリンデは、地面に置かれた割れたジュマルの実の片方を手に取ると、再び匙を使って残った中身を口へと運んだ。そして二、三回口へ匙を運んだあと、ぼそっと静かに口を開いた。やはりオリビアに対し、気になることがあったのである。
「おんし、よぉジュマルの実を知っておるのぉ」
グリンデは、直視していないとはいえ、オリビアが隣で上手くジュマルの実を割ったことを把握していた。チェルネツの森周辺にはジュマルの木は生えておらず、本来、オリビアには知る由のない食べ物であるはずなのだ。もっと楽に、かつ手早く実を割る手段はあるのだが、全く仕組みを知らない者では亀裂を入れる事すら難しいだろう。
「母の知人が帝国の城下町に住んでいるのですが、たまに家に遊びに来た際に、よくこのジュマルの実を持ってきてくれていたんです。なんでも、道中に生えているのを見つけて採ってきたとか仰ってて……よく家で割って食べてたんです」
つるっとした感触の幹。見上げるほどの高さにある赤い果実。その人はよく、このジュマルの木の特徴を話してくれていた。『興味を持って、オリビアがチェルネツの森周辺から抜け出したら大変』と、母はあまりその話をすることに快く思っていなかったのだが、『まぁもう少し大きくなったら、一緒に取りに行ってもいいじゃないか。その時の為に知識を付けないと』と、その方は笑って教えてくれていたのであった。『地上に住む動物が、木の実を目指して上らないように防ぐべく、つるつるとした幹になったのだろう』と説明してくれたのを鮮明に覚えている。まさに聞いていた特徴と同じものだった為、憶測でジュマルの木だと判断し、赤い木の実めがけて枝を放り投げたのであった。
「ほぉ……」
「その方はいろんな事を教えてくれました。すごく物知りな方で、家の周りの植物の事は、ほとんどその方から教わりました。他にも料理の仕方とか、文字や言葉だったり、いろんなことを学びました」
「そうか。……しがない事を聞くが、おんしは母を亡くしたと言っておったが、父親はおらんのか?」
「父は私が物心がつく前に亡くなった、と母から聞いてます。ほとんどの事は母と、そのランハルトさんから教わりました」
「そうか」
自分から聞きだした割に、魔女の答えは淡泊だった。それはオリビアが自分に対して、詮索する事を恐れたからかもしれない。しかし既に、少女はその興味の壁を超えてしまっていた。
(どうしよう。聞いても良いのかな)
今隣に空いている妙な空間が物語っている。いくら行動を共にしているとはいえ、出会ったのは、たかが数日前だ。流石に触れても良いのだろうか。しかし問わなければ、次はいつこのような機会に恵まれるのだろう。今しかないのかもしれない。めぐる葛藤の末、やはり少女の欲望は止められなかった。
「……あの。グリンデさんの両親はどんな方なのですか?誰からラクールの話だったり、それこそ薬草の知識を教えて貰ったのですか?」
魔女と言えども、親はいるはずである。どこで生まれてどんな家に育ったのか。目の前で様々な知識を見せつけられたら、気になって当然といえば当然かもしれない。しかし、なんとなくだがその質問には深い影を含んでいる事がオリビアにもわかっていた。
グリンデの思考は少しの回転を繰り出した。そして数秒の沈黙の後、微かに口角が上がった。良い案が彼女の頭に浮かんだのである。
「実は我は王族での。赤い絨毯の上しか歩いたことがなく、匙以上の重いものを持った事がなかったのだがな。あることがきっかけであの森に住むようになったのだ」
「えぇ!?」
オリビアの驚きの声が発せられると同時に、グリンデの声が重なる。
「嘘に決まっておろう」
純粋な少女は見事に騙された。むぅと頬を膨らませるオリビアをよそに、グリンデは話を続ける。
「……そうさな。この調子で我についてこれたら、先の道中で段々と話してやっても良いかもな」
「本当ですか!?」
 伝説の魔女の昔話はどんな本より面白そうだ。魔女の言葉は、オリビアの心をたっぷりと好奇心で満たした。
「その変わり水筒と肉を少しよこせ。まだ足りんわ」
見事な従順ぶりである。その言葉を聞くや否や、オリビアは鞄を開け、家から持ってきていた自分の分の水筒と干し肉を少し、差し出された手の平に乗せた。グリンデの傍らには中身がすっかり抉られて、空の椀ようになったジュマルの実が転がっている。
オリビアはまだジュマルの実の割れた片方しか食べ終えていなかった。このまま遅れていては、昔話を教えてくれなくなるかもしれない。そう思ったのか、オリビアの匙が口に運ばれる速度は、先ほどよりも随分と早まった。
 暫くしてグリンデは、干し肉を食べ終えると、水筒を片手に立ち上がった。喉を鳴らしながら、天を仰いだ後、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……さて、そろそろ行くか。あまりもたもたしてられん」
オリビアは、ちょうどジュマルの実の最後の一口を口へ運んだところだった。ごくりと大きな音をたて、飲み込むと同時に出た言葉は、物凄くぎこちない。
「……ふ、ふぁ、はい!」
グリンデの昔話の効果は予想以上にあったようだ。オリビアは、紙で拭くこともなく匙を鞄にしまい、地面に置いていた輝きの花のランタンを手に取ると、数歩先を行くグリンデに駆け寄った。

グリンデは、自分の過去をオリビアに詮索される事を恐れたというより、億劫だっただけなのかもしれない。この程度の話、上手く誤魔化してしまえば良いのだ。そしてその誤魔化しこそが億劫だったのだ。しかし、やはり彼女は魔女であり、百年以上生きていた。数秒の沈黙の間に、自分にとってそれをいかに有利なものとして扱えるか、思考し、転換する事など、実に容易いものであった。まして相手は十四になったばかりの少女である。行動を共にしていて、把握できる事など多々ある。“魔女の手の平の上で転がされていた”少女がその事に気づくのは、もう少し先の事になりそうであった。
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