第1話 槍を巡るちょっとした物語

文字数 1,789文字

 自分の名は元々カシウスと言う。奇しくもカエサルを暗殺しようとした人物と同じ名を持った人物だった。
 自分は神の独り子の十字架刑の際にいあわせた人物である。
 自分は神の独り子の死を確認する為に脇腹に槍を突き刺した人物でもある。
 自分はその際に神の独り子の血を眼に浴び、白内障が治ったのである。
 自分はその後眼が見える様になり、感謝し、信徒達から洗礼を受けた。
 自分は常々思っていた。神を刺した槍は錆びることなく、美しい光沢を放っている。この槍を持っていると力が湧いてくる様な感覚に陥った。
 自分はある時夢を視た。その中に天使の長がおり、「この槍を手にする者は世界を制する」と伝えられた。
 自分は極度に恐れた。暗愚な支配者に渡れば世界はお終いだと理解していたからである。
 自分は仲間の信徒に相談して槍を永遠に手の届かないところまで運ぼうとした。
 自分達は死海に旅立った。
「これで良かったのか? カシウス」
 仲間の一人が尋ねてくる。
「恐らく、これが正答なのだろう。ロンギヌスの槍は人には扱えない代物だ。後代の人々には悪いが偽物を継承させて本物を隠すのが良い。その点、死海はうってつけだ」
「ソドムとゴモラが眠る海に沈めるのか。まあ、あの辺は不気味で誰も近付かないだろう。標高も低いしな。塩の塊が至るところにあって人々は塩を目当てに来るだろうよ」
「そこが狙い目だ。塩の方が価値もある。伝承もある。ある意味特別な場所だ。イスラエルの中に置いておいた方が主も喜ぶ。それに……」
 一拍置いて言葉を選んだ。
「あの方はイスラエルの滅亡を預言したんだ。誰か有力者に渡す訳にもいくまいよ。ローマが槍を手にすればローマは狂ってしまうしな。ペルシアにしても同じだ」
 誰にも扱えない。だからこそ封印する必要がある。主君を裏切ったのは自分も同じか。槍を正しい使い方に導けなかった裏切り。信徒の中で自分は使徒達に次ぐ神の独り子の奇跡を受けた者として重んじられていたが、仲間さえ裏切っている。これを使えばエルサレム教会は世界を制することが出来るだろう。
 だが、そうすればペテロやパウロの様な崇高な精神の持ち主をも堕落させる。誘惑はそれ程のものなのだ。
 数日の行程の後、目的の場所に着いた。
「御苦労だった、カシウス」
 仲間全員が剣をこちらに向けてきた。
「これは我々が管理する。我々は使徒を超えて教会の管理者となろう。教会は世界を支配する。神はそれを望まれる」
「違うだろう。あの方はそんなもの望んでいない。あの方の心は常に報われない者達に向かれていた」
 槍を使え。心の中で悪魔が囁いた。
「違う! そんなもの間違っている! 神御自身だけが力の持ち主なのだ。いかなる神聖なものでも神を超えてはならないのだ」
「よく誘惑に絶えたね。君は立派だよ、ロンギヌス」
 突如として声がした方向に振り返ると死海の上を歩く少年の姿があった。使徒達から神の独り子の逸話を聴いていた自分は天国の住人と直観した。
 同じことを考えたのか、帯剣していた仲間達も少年を視て畏れ、跪いた。
 少年は槍に触れると燦燦とした煌きが槍を覆った。
「これで大丈夫だよ。槍の力は大方封印されたね」
 少年は自分にそう語った。
「では、持ち帰っても構わないと言うことですか?」
「うん」
 呆然としている自分に少年が語りかけてくる。
「誘惑を振り切った者よ、その兄弟達よ、ここでのことは内緒だよ」
「はあ、我々の旅は何だったのでしょうか?」
「君が聖ロンギヌスを名乗る為の試練みたいなものさ」
「聖ロンギヌス?」
「今は解らないかもね。でも、歴史が応えてくれるよ」
少年がそう言うと風が吹いて姿が消えた。
 この時の自分は知る由もない。まさか、後の信徒が聖ロンギヌスと自分を名付けることなどとは。
 そう言えば夢の現れた天使に似ていた様な。
「まさかな」
 そんな大層な天使が自分の前になど姿を現わす筈がない。使徒なら分かるが、一介の信徒に過ぎない自分には恐れ多いことだ。
「さあ、兄弟達。手伝ってくれるか?」
「我々を赦すのか?」
「兄弟だからな。あ、でも戒めはするぞ。今後はこんなことやるなよ」
「まったく、お前さんは大した大物だよ」
どこからともなく笑いだして一同皆仲良く教会に帰還したとさ。
                          
                          -了-
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み