第5話
文字数 1,566文字
「おれは風船が嫌いだからだ」
亮太は威厳を取り戻すように胸を張ってそう言った。ぴしりと大輝殿に指を突きつけた。
「おまえは風船が好きなのか?」
「ぼくは……」
「おれは風船が嫌いだ。風船が好きなおまえも嫌いだ。メカねこも嫌いだ。みんな嫌いだ。だから空気を抜いてやる。しわしわにして折り畳んで、圧縮して押し入れに仕舞いこんでやるよ」
「だめだよ」
大輝殿はふるふると首を振った。
それから、とても大切なことを伝え聞かせるように言い足した。「そんなのさびしいよ」
「はっ、噂通りの寂しがり屋なんだな。相手がこんな奴じゃ興醒めだぜ。おれはさびしくなんかない。風船を萎ませて折り畳んでやるだけのことで、何処にさびしがる必要がある? それにおれにはニャー太がいる。絶対に裏切らない、心から信頼できる、ずっと昔からの親友だ。だから風船なんて必要ない」
亮太は、首に巻き付いた猫に向けて、な、ニャー太? と親愛の目配せをした。
いきなり超至近距離で目配せされて驚いたニャー太が転げるように床に落ちて全速力でどっかへ行ってしまってから数分が経過した。
亮太は涙を拭きながら気を取り直し、胸を張ってもう一度繰り返した。
「何処にさびしがる必要がある?」
「さびしいよ」
心持ちきっぱりと大輝殿が言う。無粋なつっこみをいれずにあげるのは武士の情けであろう。
「黙れ。ともかく、みんなみんな空気を抜いてやるからな。邪魔すんじゃねえぞ! いやどうしてもってんなら邪魔してもいいけど、なんかいろいろ、思い知んじゃねえぞ!」
亮太は、じゃあな、と窓から飛び出した。空気入れを握りしめ、とんとんと小走りに庭を横切って道へ出て行く。
「追って、メカねこ!」
大輝殿の命令を聞くや、私は飛び出した。ベランダを降り、庭を横切る。道路へ出ると、既に亮太の背中が小さくなっていっている。甘い。私は身体を前傾に構え、空気抵抗を最小限に抑える四足運動でもって己の加速度を瞬時に限界まで引き上げ、もはやほぼ跳躍というに等しい第一歩を踏み出したところで、0.003に引っ掛かって盛大にすっ転んだ。
べたーん。
しまった。こんなところで0.003が発動してしまうとは。
私は立ち上がり周囲を窺った。大輝殿が玄関から飛び出してき、右に左に首をやる。
なんということだ。今の転倒を、大輝殿は見ていらっしゃらなかったのだ。
勢い、飛距離、シチュエーション。
三拍子揃った非常に良い転倒であったのに。見ていたらきっと笑ってくださったであろうに。
「逃げられちゃった?」
大輝殿は残念そうに私を見下ろした。それで私は亮太を逃がしたことに気づいたが、転倒を大輝殿に見て頂けなかった悔しさに比べれば、些細な問題だった。
「友達になれると思ったのにな」
その声が本当に残念そうだったので、私は首を上げて大輝殿の顔を覗き込んだ。
大輝殿はしゃがみこんで膝を抱え、ちょっと唇を曲げて、亮太の消えた道の向こうに目をやっている。
友達? でも大輝殿にはもうたくさんお友達がいるじゃないか。ちゃんと空気を入れてあげれば、たくさんのお友達がふわふわしていてくれるじゃないか。
「また会えるよね」
大輝殿は私の頭を撫でながら独りごちた。
私は、大輝殿は今の生活がご満足ではないのだろうかと考えた。
大輝殿も、亮太のように、みんなの空気を抜いて折り畳んで、押し入れの奥に仕舞い込んでしまいたいのだろうか。しっかり圧縮して皺を伸ばせば、何十人もご収納可能なはずである。
そうなの? 大輝殿?
私はにゃあおと鳴いて問うてみるのだが、大輝殿はいつもの空気入れを握り締めたまま、いつまでもぼんやりと道の向こうを見ていた。
亮太は威厳を取り戻すように胸を張ってそう言った。ぴしりと大輝殿に指を突きつけた。
「おまえは風船が好きなのか?」
「ぼくは……」
「おれは風船が嫌いだ。風船が好きなおまえも嫌いだ。メカねこも嫌いだ。みんな嫌いだ。だから空気を抜いてやる。しわしわにして折り畳んで、圧縮して押し入れに仕舞いこんでやるよ」
「だめだよ」
大輝殿はふるふると首を振った。
それから、とても大切なことを伝え聞かせるように言い足した。「そんなのさびしいよ」
「はっ、噂通りの寂しがり屋なんだな。相手がこんな奴じゃ興醒めだぜ。おれはさびしくなんかない。風船を萎ませて折り畳んでやるだけのことで、何処にさびしがる必要がある? それにおれにはニャー太がいる。絶対に裏切らない、心から信頼できる、ずっと昔からの親友だ。だから風船なんて必要ない」
亮太は、首に巻き付いた猫に向けて、な、ニャー太? と親愛の目配せをした。
いきなり超至近距離で目配せされて驚いたニャー太が転げるように床に落ちて全速力でどっかへ行ってしまってから数分が経過した。
亮太は涙を拭きながら気を取り直し、胸を張ってもう一度繰り返した。
「何処にさびしがる必要がある?」
「さびしいよ」
心持ちきっぱりと大輝殿が言う。無粋なつっこみをいれずにあげるのは武士の情けであろう。
「黙れ。ともかく、みんなみんな空気を抜いてやるからな。邪魔すんじゃねえぞ! いやどうしてもってんなら邪魔してもいいけど、なんかいろいろ、思い知んじゃねえぞ!」
亮太は、じゃあな、と窓から飛び出した。空気入れを握りしめ、とんとんと小走りに庭を横切って道へ出て行く。
「追って、メカねこ!」
大輝殿の命令を聞くや、私は飛び出した。ベランダを降り、庭を横切る。道路へ出ると、既に亮太の背中が小さくなっていっている。甘い。私は身体を前傾に構え、空気抵抗を最小限に抑える四足運動でもって己の加速度を瞬時に限界まで引き上げ、もはやほぼ跳躍というに等しい第一歩を踏み出したところで、0.003に引っ掛かって盛大にすっ転んだ。
べたーん。
しまった。こんなところで0.003が発動してしまうとは。
私は立ち上がり周囲を窺った。大輝殿が玄関から飛び出してき、右に左に首をやる。
なんということだ。今の転倒を、大輝殿は見ていらっしゃらなかったのだ。
勢い、飛距離、シチュエーション。
三拍子揃った非常に良い転倒であったのに。見ていたらきっと笑ってくださったであろうに。
「逃げられちゃった?」
大輝殿は残念そうに私を見下ろした。それで私は亮太を逃がしたことに気づいたが、転倒を大輝殿に見て頂けなかった悔しさに比べれば、些細な問題だった。
「友達になれると思ったのにな」
その声が本当に残念そうだったので、私は首を上げて大輝殿の顔を覗き込んだ。
大輝殿はしゃがみこんで膝を抱え、ちょっと唇を曲げて、亮太の消えた道の向こうに目をやっている。
友達? でも大輝殿にはもうたくさんお友達がいるじゃないか。ちゃんと空気を入れてあげれば、たくさんのお友達がふわふわしていてくれるじゃないか。
「また会えるよね」
大輝殿は私の頭を撫でながら独りごちた。
私は、大輝殿は今の生活がご満足ではないのだろうかと考えた。
大輝殿も、亮太のように、みんなの空気を抜いて折り畳んで、押し入れの奥に仕舞い込んでしまいたいのだろうか。しっかり圧縮して皺を伸ばせば、何十人もご収納可能なはずである。
そうなの? 大輝殿?
私はにゃあおと鳴いて問うてみるのだが、大輝殿はいつもの空気入れを握り締めたまま、いつまでもぼんやりと道の向こうを見ていた。