第9話

文字数 694文字

 海城大至(うみしろたいし)に抱かれる様に、織先は朦朧としながら、あの長い山道を歩き続けた。まるで永遠に彷徨うような錯覚に襲われる。例の神社では、子供が走り回っている。其々に思い思いの仮面をつけて、音も無く子供が走り回っている。来る時に揺らめいていた蝋燭が、倍以上に増えていた。
 車に放り込まれると、虚ろだった織先の意識は、遂に遠くなっていった──
 
 長い長い夢を見ていたようだった。
 その後の全ての処理は、海城大至(うみしろたいし)がこなしてくれた。
 接客業だった本職も、自主退社となった。
 爪の無い指で接客されたくない──向こう側の言い分は、そんな具合だったと思う。今ではもう、どうでもいい。
 幸せとは……何なのか。未だ織先平(おりさきたいら)に答えは見つからない。
 恐らく、死の間際に答えが出るのだろう、と、織先は爪の無い小指を見つめながら考える。
 相変わらず、黒のスリーピースに身を固める海城は暇なのか、織先のデスクにやたらと現れ、無駄話に興じる。織先は疎ましく、しかし敬意をもって遇らう。
「もう……いい加減に」
 ──仕事をしてください社長、と織先が云うと、海城はニヤニヤしながら去っていく。
 初めは萎縮していた周囲の人間も、今では失笑を隠さなくなった。
 ──君が来てから社長が明るくなった。
 そう直属の上司から云われるが、織先はただ頭を描くばかりだった。
 変わったのは環境だけだ。織先の内面は何もかわらない。仕事をし、本を読み、文章を書く。時々、爪の無い小指が痛むくらいだ。相変わらず心は軋む。
 
 只、笑顔が、少しだけ増えた……らしい。
 
 
── 終
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