3話 水の話

文字数 749文字

 私たちをお風呂に入れるのは、父の役目だったらしい。
 確かに気が付いたら、父と妹たちと一緒にお風呂に入っていた。
 弟が生まれると、湯船が狭くなったので妹たちと入るようになった。

 そして、最近になって知ったのだが、父はお風呂場でこんな事をしていたらしい。
 私が赤ん坊の頃、父は自分の体を洗う間は沈めておいた。
 もちろん短い時間で、毎日の事で溺れてもいないし泣かないから大丈夫と思っていたらしい。
 もちろん、私だけではなくて、妹たちも沈んでいた……と思う。

 弟が沈んでいるのを、母は見たことがある。
 母は慌てて弟をお風呂から上げたが、父は一切慌てた様子もなく平然としていたそうだ。

 父は自慢げに
「赤ん坊は多少沈んでも大丈夫。最初は驚いたけど、お前は何も言わなかったし、何もなかった」と言い放っていた。
 たまたま、何もなかっただけだろうなと思う。

 記憶の奥深くに水の中から誰かを見上げていた記憶があるような、ないような気がしていたけど、これだったのかなと思った。
 そして、私はそれがとても嫌だったという感情も同時に残っている。

 小学生の頃、水泳の練習で顔を水につける……という事があった。
 私は顔を水につけることができなかった。
 顔を洗うのと一緒だと言われたけれど、広いプールと洗面台は違う。
 プールに顔を付けると、悲しいとか苛立ちとか寂しいとか、いろんな感情が沸き上がって涙が出た。
 自分でも何でこんな感情が沸き上がるのか、なぜ泣くのか分からなかった。
 けど、父の話を聞いていると、赤ん坊の時の感覚だったのかなと思った。

 もちろん、事実は分からない。
 単にもっと別の何かがあって、水が嫌いなのか。
 水泳の時の先生が嫌いなのか。誰かと一緒に習いたくなかったのか。
 今も私は泳げない。水で顔を洗うのも嫌だ。
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