王の御前で

文字数 2,795文字

 大災厄からかなりの月日が流れた。
 神々が極北に去り、世界が混沌からの再生に揺れた時代も終わり、人の治世が常態となったことを意味する新暦も二百年を超えた。

 冬が明けようとする獅子月の月中の一日、東の大陸の一角でその宴が催された。
 この宴こそが、まったく新しい時代の始まりを意味していたことに人々が気づくのは、はるか未来の話で、この時その場に集まった者たちにとって宴は、常に開かれている他のそれとなんら変わりのないものであった。

 武闘王の名を恣にし、リンテント王国を一代で強国の座に押し上げヴィンセント・ハリアー・クロム一世は、この日五十五歳の誕生日を迎えた。
 リンテントの王都ガラム、その中心に聳える質実剛健の城ファンファールの広間では、百軍の長と大臣たち、そして王家の親族が詰めかけ、王の誕生日を祝賀する宴が催されていた。

 西に東に、いや今や遥か南方の大陸まで兵を派遣する軍事国家の統領は、居並んだ家臣と家族を前に、金の杯を掲げながら宣言した。
「今日、晴れて誕生日を迎えられたのも、優秀なる家臣と娘たちの活躍のおかげ。そして、明日は我が四女クリスティーナの誕生日でもある。クリス、前へ出ろ」
 きらびやかな鎧をあしらったドレスを纏い、金髪の乙女がかしこまりながら前に出た。
「はい、お父様」

 ゆっくりと前に進んだのは、美しき金髪を持ったまだ幼さを残す少女。だが、そのドレスには皇女を示す赤いエンブレムリボンがひらめいていた。

 武闘王は、美しい娘の頭を撫でながら微笑み、大声で告げた。
「明日、齢十六を迎える我が四女に、ズヴェール地方遠征の取っ掛かりとなる東部バルケッタ平原への派遣軍の全指揮権を与える。龍帝が倒れ国家が疲弊しているハーム帝国を追い落とすのは今だ! クリス、見事平原を突破しデ・ミューの長城要塞を突破して見せよ!」

 いきなりの宣言に、正直座は驚きの色に包まれた。
 開戦の命が下るのは、大方の軍人や文官も予想していた。
 だが…

 武闘王には四人の娘が居る。
 長女マリソルは、国軍の総司令。
 次女アンニフリードは西域軍司令。
 そしてクリスティーナの二つ上の姉である三女ミネルバは、王立飛龍軍司令を務めていた。まさに娘たちが、この国の軍の中核を担っているのだ。
 武闘王の血を引く娘たちは、戦のかけ引きに秀いで、王軍の指揮官や兵士から絶大な信奉を集めてきた、のだが…

「す、末姫様に司令官ですと!」
 内務大臣のドラウス公爵が目を丸くして叫んだ。
「何か不服があるか老大臣?」
 武闘王が、むっとした顔で白髪の大臣を見返した。
「お、恐れながら、末姫様は兵法が大の苦手、これまでも軍師の講義を怠け、ただ野で花摘みするばかり。その指揮には、現場から疑問の声があがるのではと…」
 武闘王は、がははと笑った。
「忘れたか、世も軍師の講義は嫌いであった。我が娘の資質は、私が一番心得ている、大丈夫だ案ずるな」
 この言葉に、老大臣は引き下がった。だが、同じ危惧を抱いたのは、彼だけではなかった。

「ちょっと姉上、まずくないですか? 密偵の話だと最近のハーム帝国の軍事増強は半端じゃないって話ですよ、クリスのぼんやりした頭で突っ込ませたら何か起きるかもしれない…」
 三女のミネルバが、長女のマリソルに言った。
「私も父上には賛同をしてないのよ。完全にお父上の一存。お父上、絶対クリスを過大評価してる、いえ、えこひいきしてるわ」
 長女は不安と不満の入り混じった複雑な表情で答えた。
「それお姉ちゃんのやっかみもあるね、クリスは馬鹿だけど、姉妹で一番の慎重者よ、無茶な駆け引きはしないと思う」
 次女のアンニフリードが鎧ドレスの裾をさすりながら言った。
「勤まるかしら? アン賭けてみる?」
 マリソルが妹を振り返り訊いた。
「何に賭けるのよマリ姉ちゃん?」
 アンニフリードがじっと長姉マリソルの眼を見る。
「あの子が、無事に平原を突破できるかどうか」
「賭けの基準は?」
「そうね、クリスが姉妹の誰かに泣きついたら負け、かしら」
 人差し指で顎を支えながらマリソルが答えた。
「自力であたしら以外の援軍を呼ぶのには構わないってこと?」
 アンニフリードが念を押すように聞いた。
「そんな知恵が、クリスにあるかしら」
 マリソルがふふっと笑った。いかにも姉妹で一番頭の切れる姉らしい表情だった。
「あたしはクリスが勝つ側ね、いいわ、乗るわよ」
 長女と次女が、ドレスの下ですっと手を握り合い、賭けは成立した。

 そこに三女ミネルバが割って入った。
「ちょっと姉上たち、クリスの身に何かあった場合とか考えないの?」
 ミネルバが心配そうに言うと、二人の長姉は、ニコッと微笑んで答えた。
「大丈夫よ、あれでもクロム家の姫だから」
「うん、いざとなったらどうにかなるから」
 二人の姉を見て、三女ミネルバは肩をすくめた。
「結局そこ? クリスの仕える兵隊の身の上に起こるだろう事とか考えないよね姉上たちホント」
 マリソルもアンニフリードも、曖昧に微笑むだけ。

 一拍してから長姉がこう言った。
「仕方ないわよ、血の成せるなんとかよ、あたしら王家の人間以外は基本野菜みたいに思えって育てられたでしょ、それを思いやれって言ってもねえ」
 アンニフリードが、姉の言葉に肩をすくめ続けた。
「まあ、良い軍師さえつけば、少しは戦死者も減るかもよ」
 その言葉に、ミネルバは盛大にため息を吐いた。
「結局、うちら姉妹の資質次第ではある筈なんだけど、クリスは本当にやり通せるのかしら」

 そんな姉たちのやり取りに気付かず、クリスは父の前に跪き、口上を述べ始めた。
「お父様、クリスティーナは立派に戦ってまいります。任務を務めあげたら、欲しいものがあるの。おねだりしてもいいでしょうか?」
 武闘王が、うむと頷いた。
「言ってみろクリス」
 クリスティーナは、ニコッと微笑んだ。
「今、港で作ってる戦艦、あれをください。気にいちゃったの」
「え?」
 声を上げたのは、海軍卿のティティリアス男爵であった。
「ちょっと、クリス、船なんてどうするのよ?」
 この言葉に思わず長姉マリソルが口を挟んだ。
「行ってみたい所があるの!」
 金髪の乙女は、目を煌めかせながら答えた。
「どこじゃ、そりゃ?」
 父が訊いた。


 幼さの残る末姫は、はっきり聞こえる声でこう言った。

「北限の島です、お父様」

 広間に静寂が広がった。
 一拍後、父は漏らした。
「本気か?」
 クリスは屈託のない笑顔で頷いた。
「旧神王に会います。お話がしたいから」
 それが意味することを知る広間に詰めた者たちは、一斉に、そして口を盛大にあんぐり開き、末姫を見つめたのだった。
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