キスの答え ②

文字数 4,271文字

『――絢乃ちゃん? もしもし、聞こえてる?』 

「あ、はい。すみません、聞こえてますよ。お兄さまのことも、貢さんから伺ってます。今、このビルの近くにいらっしゃるんですよね?」

 わたしは返事が遅れてしまったことをお詫びして、悠さんの質問に答えた。

『うん。えーっとね、東京駅から西に行ったとこ? そのあたり。これから絢乃ちゃんに会いに行きたいんだけど、時間あるかな?』

「ええ、大丈夫です。もう急ぎの仕事もないですし、悠さんは桐島さんの身内で、大事なお客様ですから」

「ちょ……、ちょっと絢乃さん!?

 横で彼が目を()いていたけれど、わたしはあえて見ないフリをした。

『そっか、ありがとね。……んでさ、やっぱし正式なアポって必要なのかな?』

 悠さんが訊きたいのは、事前に連絡を取って会う約束を取り付けなければならないのか、ということらしかったので。

「う~ん、そうですね……。じゃあ、このお電話をアポということにしましょう! 受付にはわたしから話を通しておきますので、悠さんは何も気にせずにおいで下さい。いらっしゃった時に受付にひと声かけて下されば、一階までお迎えに参ります」

『うん、ありがと。じゃ、あと五分くらいでそっちに着くと思うから。アイツによろしく☆ んじゃね』

 通話が切れると、わたしは彼にスマホを返した。受け取った彼は恨めしそうに、わたしを睨んでいた。
 彼の言いたいことは、わたしにも察しがついていたけれど。

「……なに?」

「『なに?』じゃないでしょう! 僕の意思を無視して、何勝手に決めてるんですか!」

 あえてすっとぼけて見せたわたしに、彼は(あん)(じょう)猛抗議してきた。

「ゴメンね、つい二人だけで話が盛り上がっちゃって」

「盛り上がらなくていいんです! これから一階の受付にも連絡するんでしょう? 会長のお願いはもう、命令と同じなんですよ? 誰も断れないじゃないですか!」

「だからゴメンってば。――もしかして、貴方はお兄さまにいらしてほしくないの?」

 彼がここまでムキになっていた理由が何となく想像できて、わたしはその疑問をぶつけてみた。

「そっ、そんなことはないですけど……。僕はただ、僕にひと言確認を取ってほしかっただけです」

 彼は実兄に職場に来てほしくなかったわけではないらしい。そこで、わたしは彼ら兄弟の仲が決して悪いわけではないのだと分かった。

「それは、わたしの配慮が欠けてたわね。ゴメンなさい。――さて、じゃあ受付に内線かけとくかな」

 再びデスクの上の受話器を上げ、内線番号を押している間に、わたしは彼に言った。

「お客様をおもてなしすることも、会長の大事な仕事なのよ」

「……それは、分かってますけど……」

 彼はまだぶうたれていた。そんな彼に向かってわたしが苦笑いしていると、受付と内線が繋がった。

「――あ、会長の篠沢です。お疲れさまです。あのね、もう少ししたら、秘書の桐島さんのお兄さまっていう方がお見えになるの。……ええ、そう。もうアポは頂いてるから、いらっしゃったら連絡お願い。よろしくね」

 受話器を戻すわたしに、彼はまだ何か言いたげだった。

「……なんか、職場に身内が来るのってちょっとイヤじゃないですか? 授業参観に親が来る……みたいで。別にイヤなわけじゃないんですけど、気まずいというか何というか」

 ……なるほど。彼がお兄さまに会社までいらしてほしくなかった理由はこれだったのかと、わたしにもやっと合点がいった。
 会社ではバリバリ仕事をこなす彼も、ご家族や身内が会社に来れば思わずプライベートな〝素〟の部分が出てしまうかもしれない。そういう面を、わたしには見せたくなかったのだろう。

「そういうものなの? わたしはいつもママと一緒に働いてるようなものだから、あんまりよく分かんないなぁ」

 わたしに限っていえば、母娘で一つの仕事内容を共有しているようなものだったから、会社でも思いっきり素の自分を出しまくっていた。それは母相手にだけではなく、彼に対してもそうだったから、別に見られてイヤだとか、そんな感情はなかったのだ。

「――はい、会長室です。……ええ、今お着きになったのね? 分かりました。じゃあ、今下りますね。ありがとう」

 再び一階受付からの内線電話が入り、悠さんの来社を告げた。

「じゃあわたし、お兄さまをお迎えに行ってくるから。桐島さん、ここでお留守番よろしくね」

「え゛っ!? 会長が行かれるんですか?」

「だってわたし、貴方のお兄さまに一度お会いしたかったんだもの。それに、貴方が行ったらお兄さまとケンカになるかもしれないでしょ?」

「…………うー……、まぁ。ハイ」

 わたしの指摘は図星だったらしい。答えに詰まる彼を尻目に、わたしはウキウキしながら会長室を後にした。

 エレベーターで一階まで下りると、ロビーに置かれているグリーンのソファーから、わたしの靴音に気づいたらしい一人の男性が立ち上がった。
 年齢は三十歳前後で、身長は彼より少し低いくらい。髪は茶色で、カーキ色のジャケットを着てはいるものの、デニムパンツを履いているせいかカジュアルな印象を受けた。

「――こんにちは! 桐島さんのお兄さま……でいらっしゃいますよね? 先ほどはご連絡有難うございます。わたし、〈篠沢グループ〉の会長の篠沢絢乃です」

「こんちは。桐島悠っす☆ おー、キミが絢乃ちゃんかぁ。アイツから話は聞いてたけど、思ってた以上に可愛いじゃん♪」

「どうも……。可愛いだなんて、そんな」

 悠さんは彼とは違ってちょっと軽薄というか、ある意味女性受けはしそうな感じの男性だと思った。だって、初対面のわたしにさえ、軽々しく「可愛い」なんて言っちゃうような人なんだもの。

「そういや、今日は学校の制服じゃないんだね。えっと、いま高二だっけ?」

「はい。今日から春休みに入ったので……。来月から高三です」

「そっか。うん、スーツ姿も大人っぽくていいよ。メイクもしてるから、そのせいかな」

「ありがとうございます。実は、貢さんからはまだ感想聞かせて頂いてないので、嬉しいです」

「……だろうな」

 わたしが思わずグチると、悠さんは事情を知っているようで、肩をすくめた。 

「実はオレね、そのこともあって今日来たのよ。昨日アイツがやらかしたことも聞いてる」

「……えっ? とおっしゃいますと……」

「昨日の夜、アイツから電話かかってきてさ。『兄貴、どうしよう!? 俺、会社クビになるかもしれない!』って。んで、理由訊いたらキミのファーストキス奪ったって白状してさぁ」

「…………はぁ。貢さん、そんなことまでお兄さまに話してたんですか……」

 わたしは穴があったら入りたくなった。というか、悠さんも会社でそんなことをあっけらかんと言わないでほしい。……今となってはもう時効だけれど。

「絢乃ちゃんは、アイツのことクビにする気ないんだろ? オレも『気にすんな』って言ったんだけどさぁ、アイツ頑固だから聞きゃしねえし。だからさ、まだ気まずさ引きずってんじゃねえかって思ったワケよ」

「……多分、それ当たってると思います。彼、今日は普段じゃあり得ない凡ミス連発してますから。……わたしもですけど」

 最後にわたしがボソッと呟くと、悠さんはまた「可愛い」と言って笑った。

「あの、そろそろ上に参りましょうか。会長室は最上階なんです。きっと今ごろ、貢さんがクシャミしてますよ」

「ああ、オレたちが噂してるから?」

「そうです」

 わたしと悠さんはエレベーターの中で、他愛もない会話をしていた。
 彼――ここでは悠さん――の話によれば、兄弟の仲はやっぱり悪くはないらしい。むしろ、仲がよすぎてケンカになるのだと、悠さんはおっしゃっていた。
 もしも不仲だったら、切羽詰まった時に自分の兄や姉に泣きついたりしないだろう(彼が実際に「泣きついた」かどうかは分からないけれど)。

「アイツが今日、絢乃ちゃんの服装とか褒められないのも、照れ臭いの半分不器用なの半分、ってとこじゃないのかな。アイツ、昔っからそうなんだよ。女心分かってねえっつうか、女の子の扱いが苦手っつうのか……。まあそういうことだからさ、絢乃ちゃんもあんま気にすんなよ。あんなヤツだけど、大事にしてやって」

「はい! ありがとうございます」

 さすがは二人きりの兄弟だけあって、彼は実弟の性格を熟知している。この時も、さりげなく弟である貢のことをフォローして下さっていた。いいお兄さまだ。

 悠さんはわたしが一人娘だと聞いたことで、家を継ぐことの大変さについても心を砕いて下さっていた。

「――絢乃ちゃん、後継ぎってやっぱ大変なモンなの? オレも長男だけど、ウチの親はそういうことあんましやいやい言わねぇからさ。言ってもサラリーマン家庭だし?」

「ええ、まぁ……。大変といえば大変ですね。それだけ重い責任が伴うわけですし……。でもわたしは、父の遺言だからというのもありましたけど、自分の意志で継いだっていう部分もありますから。そんなに大変だとは思ってませんよ」

「へえー……、そうなんだぁ。オレよりひと回りも年下なのに、めっちゃ尊敬するわー」

 わたしはここまで褒めちぎられると照れ臭くなり、「いえいえ、そんなことないです!」と謙遜で返した。

「悠さんだって、ステキな夢をお持ちじゃないですか。将来はご自分のお店を出したいって。わたし、貢さんからちゃんと伺ってますよ? ――あ、着きましたね」

 悠さんと話し込んでいるうちに、エレベーターは会長室のある三十四階に到着していた。
 その直前にわたしが言ったことについては、悠さんは「……サンキュ」とはにかみながらお礼を言ってくれた。

「――ここが会長室です。少々お待ちくださいね、今開けますから」

 わたしはIDカードをセンサーにかざして認証させ、ドアノブにてをかけた。

「へぇー……、スゲェな。ここのセキュリティ、めっちゃハイテクじゃん」

「そうでもないと思いますけど。このフロアーの部屋だけ、社内の人間のIDカードをスキャンしないと、ドアのロックが解除できないようになってるんです」

「なるほどねぇ。っていうか、中から開けてもらってもよかったんじゃね?」

「それは、何だか申し訳なくて……。今だって、貢さんには半ば強制的にお留守番してもらってるので……」

「絢乃ちゃん、それってヘタすりゃパワハラだよ?」

「ですよねぇ……。コンプライアンス的にアウトですよね」

 彼が冗談でそんなことを言ったので、わたしは苦笑いした。……実はわたし自身、ちょっと反省していたから。
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登場人物紹介

篠沢絢乃(しのざわあやの)

私立茗桜女子学院・高等部二年A組。

四月三日生まれ、十七歳。O型。

身長一五八センチ、体重四四キロ。胸はDカップ。

趣味は読書・料理。特技はスイーツ作り・英会話。好きな色は淡いピンク。

主人公。高二の一月に『篠沢グループ』の会長だった父・源一(げんいち)をガンで亡くし、父の跡を継いで会長に就任。

小学校から女子校に通っているため、初恋未経験。

大のコーヒー好き。ミルクと砂糖入りを好む。

桐島貢(きりしまみつぐ)

篠沢グループ本社・篠沢商事・秘書室所属。大卒。

五月十日生まれ、二十五歳。A型。

身長一七八センチ、体重六〇キロ。

絢乃が会長に就任する際、本社総務課から秘書室に転属し、会長付秘書になった。マイカー(軽自動車→マークX)を所持している。

恋愛に関しては不器用で、現在も彼女なし。

絢乃と同じくコーヒー党。微糖を好む。スイーツ男子。

中川里歩(なかがわりほ)

私立茗桜女子学院・高等部二年A組。

五月二十四日生まれ、十七歳。B型。

身長一六七センチ、体重五三キロ。胸はCカップ。

初等部からの絢乃の同級生で大親友。バレーボール部に所属し、キャプテンを務めている。

数ヶ月前から交際中の、二歳上の彼氏がいる。

コーヒーは、ミルク多めを好む。

※このアイコンではセーラー服着てますが、本当の制服はブレザーです。

篠沢加奈子(しのざわかなこ)

篠沢グループ会長代行。篠沢家当主。短大卒。

四月五日生まれ、四十三歳。O型。

身長一六〇センチ、体重四五キロ。胸はDカップ。

絢乃の母で、よき理解者。娘が学校に行っている間、代わりに会長の務めを果たしている。

亡き夫で婿養子だった源一とは、見合い結婚だったがオシドリ夫婦だった。

大の紅茶党。ストレートティーを好む。

ちなみに、結婚前は中学校の英語教諭だった。

桐島悠(きりしまひさし)

フリーター。飲食店でのバイトを三ヶ所ほど掛け持ちし、調理師免許を持つ。

六月三十日生まれ、二十九歳。B型。

身長一七六センチ、体重五八キロ。

桐島貢の兄。一人暮らしをしている弟の貢とは違い、実家住まい。高卒でフリーターになった。

貢曰く、かなりの女ったらし……らしい。兄弟仲は決して悪くない様子。

愛煙家である(銘柄はメビウス)。

阿佐間唯(あさまゆい)

私立茗桜女子学院・高等部三年A組。※絢乃、里歩とは三年生から同じクラス。

七月二十四日生まれ、十七歳。B型。

身長一五四センチ、体重四一キロ。胸はBカップ。

三年生で初めて絢乃、里歩のクラスメイトになる。マンガ・アニメ研究部に所属。

男子バレーボールが題材の『ドラゴン・アタッカー』というアニメにハマっている、いわば「オタク少女」。その縁で、バレー部員である里歩と親しくなり、絢乃とも仲良くなった。

一つ年上の大学生・谷口浩介(たにぐちこうすけ)という彼氏ができたばかり。

レモンティーが好き。

村上豪(むらかみごう)

篠沢グループ本社・篠沢商事の代表取締役社長、常務兼任。大卒。四十五歳。

絢乃の父・(旧姓・井上)源一とは同期入社で、同じ営業部だった。源一が会長に就任した際に専務となり、常務を経て社長に。源一亡き後、絢乃の会長就任に際して再び常務を兼任する。

源一とは恋敵でもあったようで、結婚前の源一と加奈子を取り合ったことも。現在は一つ年下の妻と、絢乃よ中学生の娘がひとりいる。

源一の死後は、父親代わりに絢乃を支えている。

コーヒーにこだわりはなく、インスタントでも飲む。

山崎修(やまざきおさむ)

篠沢グループ本社・篠沢商事の人事部長。専務兼任。大卒、五十二歳。

総務課で続いていたパワハラ問題に頭を抱えており、人事部長として責任も感じていた。

真面目でカタブツだと誤解されがちだが、実は情に脆い性格。三歳年下の妻と二十二歳の娘、二十歳の息子がいて、自分の子供たちが篠沢商事に入社してくれることを期待している。

広田妙子(ひろたたえこ)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室長。大卒、四十二歳。秘書室に異動した貢の直属の上司。

入社二十年目、秘書室勤務十年のベテラン。バリバリのキャリアウーマン。職場結婚をしたが、結婚が遅かったためにまだ子供には恵まれていない。

絢乃とは女性同士で気が合う様子。

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