第4話

文字数 4,001文字

 そういって不破はまったく手加減なくめちゃくちゃに突きあげてきた。その動きから終わりが近いことがわかるが、それより先に自分が壊れるのではないかと月森は思った。頭を揺さぶられる衝撃と酸欠のせいで意識が朦朧としてくる。自分が人間ではなくただの道具になったような気がした。
 そう、自分は人間として扱われていない。不破は彼を都合のいい性欲処理の道具としか見ていない。もはやそうとしか考えられなかった。
 どうしてこんなことに。
「んんっ」
 喉に向けて生温い体液が放たれる。気持ちが悪い。けれど、どくどくと溢れてくるそれを月森は無理やり飲み下す。不破の言葉どおり、制服を汚すことだけは避けたかったし、かといって吐き出せばつぎになにをされるかわからない。自分の体内におさめるしかなかった。
 欲望を遂げた不破は拘束していた月森の頭を離して自身を引き抜く。自由になった月森はその場にうずくまり激しく咳込んだ。涙と唾液と不破の体液で汚れた顔を手の甲で拭う。
 自分がひどくみじめで情けなくて涙が止まらない。
 嗚咽を漏らす月森を、着衣を整えた不破がじっと見下ろしている気配がした。
「泣いているのか」
 畳に伏せて身体を震わせていた月森は、ふいに顔に触れられてその手を振り払う。
「触るな!おれはずっと、おまえを友人だと思っていた。それなのになんでこんなことをするんだ。嫁だとか、わけのわからないことをいっておれをめちゃくちゃにして、満足か?おれはおまえの道具じゃない」
 飲み込んだ不破のものが喉の奥に張り付いて不快だった。粘液に声帯を塞がれたように力ない声しか出てこない。
 暗闇のなか、月森の荒い息遣いだけが聞こえる。不破の気配がしないことに気付いて月森は顔をあげる。そんなはずはない。不破はまだこの部屋にいるはずだ。
 思わず名を呼びかけたとき。
「私は、おまえを友人だと思ったことはない」
 感情のこもらない冷めた声が告げた。その言葉に月森は凍りつく。
 すべてを否定された。
 今まで信じていたものが、不破のただひとことで音を立てて崩れ落ちる。畳のうえで拳を握りしめて月森は声を絞り出した。
「おまえなんか大嫌いだ」
 耳が痛くなるような沈黙の後。
 襖が開閉する音がして、ふたたびあたりは静寂に包まれた。
 ひとりとり残された月森は身体をまるめて畳に伏せると声を殺して泣いた。
「月森さま」
 自分以外だれもいないはずの部屋で名を呼ばれて月森はびくっと身体を起こす。
「驚かせてしまい申し訳ございません。差し出がましいことを申しあげるつもりはなかったのですが、主のあまりの仕打ちに黙って見ていられなくなりました」
 淡々とした男の声。月森はその声に聞き覚えがあった。
「だれ?」
「主にお仕えしております。影、とお呼びください」
 不破の眷属だ。
「月森さま、私がこのようなことを申しあげるのはおこがましいと重々承知しております。ですが、主は決してあなたを憎く思っているわけではありません」
「なにを」
「主は不器用な方なのです。ああいうふうにしかあなたに接することができないのです」
 影と名乗った男は真摯な声でつづける。闇のなかで互いの姿は見えないはずだが、月森はぐしゃぐしゃになった顔をてのひらで擦った。今の自分はきっとひどい顔をしている。
「おれを慰めるつもりか?」
「そうではありません。私は事実を申しあげているまでです」
 月森は笑った。自分でもぞっとするような嘲笑だと思った。
「聞いていたんだろう?友人だと思ったことはない、そうはっきりといわれた。不破にとっておれは、手近で都合のいい道具だったんだよ」
 自分で口にしてさらにみじめになる。とめどなく込みあげてくる熱く苦いものをぐっとこらえて、突き放すようにいう。
「行けよ。あんたは不破の眷属なんだろう。主を放っておいていいのか」
「私は、月森さまのおそばに控えるようにと命じられております」
「え」
「ですが、ただお見守りするようにというだけで、あなたをお助けすることは固く禁じられております。お役に立てず申し訳ございません。さぞやおつらい思いをなさったことでしょう。おいたわしい」
 月森は言葉に詰まる。
 不破がこの男を自分の許に寄越した真意が掴めない。それに、影の言葉は深いいたわりに満ちていた。同情などいらん、とはねつけるには、その想いはあまりに濁りなく誠実なもので、月森にはこれ以上彼を拒絶することができなかった。
「おれにはもう、不破がわからない」
 ぽつりと本音が零れた。
「月森さまは、主のことを理解したいとお思いですか」
 そう聞き返されて月森は黙り込む。正直にいえば、力ずくで征服されることに慣れてきてからは、不破の内面に思いを巡らすことは諦めていた。幼馴染みでしかも同性の月森をそういう対象とする不破を理解できるとは思えなかったし、理解したいとも思わなかった。
 こわかったのだ。不破の本心を知ることがこわい。
 今だってそうだ。彼の言葉は容易に月森を絶望の底に突き落とす。
 月森には親しい相手が不破しかいない。それは月森の本意ではないが、現実として、今の彼には不破しかいない。その不破から見放されることは、彼に身体を弄ばれるのと同じくらい耐えがたいことだった。
 そして。
『友人だと思ったことはない』
 そういわれてわかった。
 たとえどんな目に遭わされようとも、月森にとっては不破から拒絶されることがなによりの恐怖なのだと。
「不破はずっとおれを友人じゃなく、そういう、欲望のはけ口だと思っていたのかな。たまたまいちばん身近にいた人間だから」
「それは違います。どうか、そのお考えはもうおやめください。決してそのようなことはございません」
 影は辛抱強く月森に諭す。その口調があまりにも切実なので、月森は我知らず笑みを零した。
「あんた、いいやつだな」
 気のせいか、驚いたような気配が伝わってきた。
「そのようなことは。畏れ多いお言葉でございます。ですが、私などより月森さまのほうが、よほどおやさしい」
「え?」
「私のような者を忌避なさらずお相手をしてくださる。それに、主のことを友人だとおっしゃる人間はあなた以外にはおられません」
「それは」
「どうか、主をお見捨てなきようお願い申しあげます。主にはあなたが必要なのです」

 翌朝、月森はいつもより一本早い電車にひとりで乗り込んだ。
 いつもは不破が一緒だが、昨夜のできごとがまだ生々しく彼の胸を圧迫してくる。不破の顔をまともに見られる自信がない。
 影は、今も月森のそばにいるのだろう。気配を消しているのか存在は感じられないが、彼が主の命令に背くとは思えない。
 昨夜、月森が少し落ち着きを取り戻すと、影は非礼を詫びてふたたび気配を消した。彼にとってあのときは非常事態だったのだろう。これまで月森に声をかけてくることはなかったし、そうすることも不破から禁じられているのかもしれない。
 今までのすべてを見られていたと思うと複雑な心境だが、思いがけず与えられたいたわりの言葉が月森の心に深く染みた。同情などいらないと思いつつも、彼の心はやさしい言葉に飢えていた。愚かだとわかっていながらも、それに縋り付くようにして不破にえぐられた痛みを紛らわそうとする自分がいた。

 月森と不破は同じクラスに在籍している。そのため、いやでも顔を合わせることになる。
 教室に入ってきた不破は、無断で先に家を出た月森を一瞥しただけでなにもいわなかった。けれど視線を感じた。授業中、後方の席にいる不破がじっと自分を見ているのがわかる。その視線から逃れるように、月森は休憩時間になると教室を出てあてどなく校内をさまよい歩いた。
「月森」
 背後から足早に近付いてくる靴音。名前を呼ばれた月森は足を止めて振り返る。
 東雲だった。
「遠目にも具合が悪そうに見えたから、つい気になって。どうした?」
 心配そうな顔で見下ろしてくる東雲から思わず目を逸らす。
「なんでもありません」
「なんでもない、という顔じゃないだろう。真っ青だ」
「大丈夫です。放っておいてください」
 後退りする月森の肩を東雲が掴む。はっとして顔をあげると、怒ったような眼差しとぶつかる。
「放っておけるわけがない。きみは自分がどんな顔をしているかわかっているのか。放っておいてくれ、という目じゃない。ほんとうはだれかに縋りたいんだろう?」
 心の中を見透かされるようなまっすぐな瞳。直視できなくてふたたび目を伏せる。東雲は力を緩めて月森の肩を抱くように腕を回すとささやいた。
「おいで」
 うながされるまま、彼に従った。
 連れて行かれた先は昨日の場所だった。図書準備室。
「窮屈かもしれないが、少し休むといい。ここならだれも来ない」
 そういって東雲は毛布を取り出してきてソファに置く。なぜここに毛布が、という疑問が月森の顔に出ていたのか、東雲はいたずらを打ち明けるように声をひそめた。
「ときどきここで仮眠を取るんだ。内緒だよ」
 きまじめにうなずく月森に軽く笑いかけると、彼は腕時計を確認してドアへ向かう。
「残念だけどぼくは授業に行かなくてはいけない。月森はゆっくり休んでいなさい。届けを出しておこう」
「あの」
「なにかな」
「すみません。ご迷惑をおかけして」
「なにが迷惑なものか。ぼくが勝手にやったことだ。それに」
「はい?」
「そういうときには、謝られるよりありがとうといわれたほうがぼくは嬉しい」
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げる月森に目を細めて東雲は笑う。
「きみはほんとうに素直だね。じゃあまたあとで」
 ドアが閉まったあと、鍵をかける音がやけに大きく響いた。
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