第8話  樹と由瑞 Ⅶ

文字数 2,156文字

由瑞は目を覚ました。
まだ暗い。

自分に背中を向けて眠っている樹の横顔を眺める。
彼女の体にそっと手を伸ばして自分に引き寄せる。
肌と肌が触れ合う。
樹の頭を自分の胸に収め、片手を身体に回す。
そして安心した様に目を閉じる。

樹が由瑞の手に触れた。
由瑞は目を開けて言った。
「起こしちゃった?」
「いいの。・・・まだ暗いね」
樹が言った。
「足は痛くない?」
「大丈夫」
樹はそう言って由瑞を見る。

「この傷はどうしたの?」
由瑞は樹の左手を取って、手首の傷をなぞる。
「・・大学の頃からずっと付き合っていた彼氏が事故で死んでしまって、生きているのが辛くなったの」

「それが陸君?」
「そう。スノボーの帰りに事故に遭って・・。私も意識不明の重態だったけれど、陸は即死だった」
由瑞は驚いた。
「そんな状態だったの?」
「そう」
「すごく愛していたんだね」
「大好きだった。何よりも好きで好きで。私はそこからずっと立ち直れなかった」


「私、小さい頃にお母さんが家を出てしまって・・それでお父さんとお祖母ちゃんと3人で暮らしていたの。お祖母ちゃんが亡くなってから、二人で暮らしていたのだけれど・・お父さんが再婚したの。私はそのお義母さんとあまりうまく行かなかった。・・・お父さんは優しい人なんだけど気が弱い人で、お義母さんが私に辛く当たっても何も言えない人だった。
お義母さんは私が嫌いだったみたい。
・・・私は家に居たくなくて、よく一人で自転車に乗ったり、散歩をしたり、図書館で時間を潰したりした。夕食も一人で部屋で食べたわ。勉強しながら食べるって言って。高校生の時は仲良しの友達の家に良く泊まりに行ったわ。その子は一人っ子だったからお家の人が歓迎してくれたの。私、その友達がいてくれてすごく有難かった」


「大学に入って、すぐに家を出たわ。」
「陸が私を好きになってくれて、私、本当に嬉しかった。初めて私を丸ごと抱えてくれる人に出会ったと思った。私の居場所がやっとできたと思ったわ。彼は私の全てだったの。陸となら何でも乗り越えられると思っていたのに・・・私、独りになってしまって・・」

「・・・辛かったね」
由瑞はそう言った。
「うん。すごく幸せで、すごく悲しかった」
樹はそう言った。


「由瑞さんには好きな人は?」
「うん?・・ああ・・君と同じだ。俺がすごく好きだった人は、もう死んでしまった。・・俺が21歳の時だった。もう7年も前か・・・。俺よりも11歳年上で。従姉だったんだ。朱華って言う名前で。」
「従姉!」
樹は笑った。
「もう従姉は勘弁して欲しい」

「11歳ってさ。今の史有君と小夜子さん。そんな感じだよね。じゃああんな感じ?」
「ああ。そうそう。あんな感じ。・・俺の初恋だよ。
俺がずっと小さい頃から家に居たんだ。朱華は。それで薬草園を管理していて。
ウチの母親の兄の子でね。俺と蘇芳は朱華にずっと面倒を見て貰って育ったんだ。
朱華は女性としては大きい方で、力持ちで、両腕に俺と蘇芳をぶら下げて遊んでくれた。軽々と俺をお姫様抱っこしてくれるんだ。
俺にはあの頃、朱華がすごく大きく見えたよ。
俺、子供の頃は小さくて、小学校ではずっと一番前だったんだ」

樹が笑う。
「嘘みたい」

「朱華は明るくて面白くて本当に好きだった。俺は大きくなったら朱華と結婚するって宣言していたのに・・・。相手にされなかった。小学生だったからな。俺は朱華が嫁に行った時はこの世の終わりかと思う位泣いたよ。」
「何で亡くなったの?」
「病気で・・すごく痩せちゃって・・あれは辛かったな。
俺が大学二年の時に嫁ぎ先から帰って来て。それからずっと亡くなるまでうちにいた。母親と伯母さんが面倒を見ていたのだけれどね」
「あなたも愛しい人を亡くしたのね」
「そう。・・だから君の悲しさはよく分かるよ」
由瑞はそう言った。
「その人があなたの理想の人なのね」
樹は納得した様に言った。

由瑞は樹の胸に顔を埋める。
「でも今は君が好きだ。・・この小さい胸も好きだ。華奢な体も。」
「失礼ね」
樹が笑う。
「お姫様抱っこは出来ないわよ」
「いい。俺がするから」

由瑞は樹の唇に触れる。
「俺は君の唇にすごくそそられた」
「いつの話?」
「あの、田神さんと三人で飲んで、酔っ払った君を送って帰ったあの日。眠っている君を見て。俺、あの時送りオオカミになれば良かったと思った」
「あの時の事はあまり覚えていない」
樹は笑った。
「何て、無防備なバカ女だろうと俺は思ったよ」
由瑞も笑った。

「もう少し眠ろう。・・・君を抱いて眠りたいんだ。このまま眠ってもいい?」
「うん。私も眠い」
「朝、起きたらいなかった、なんて事は無いよね?」
「明日も居ていいんでしょう?」
「明後日もいい。ずっと居てもいい」
「明後日は仕事」
樹がそう言うと由瑞は樹を見て言った。
「君はこんな俺を置いて仕事なんかに行く積りなの?鬼だな」
樹はくすくす笑った。
「行きます。仕事は第一ですから」
由瑞は言った。
「じゃあ、朝送って行く。車で」
「ちょっと。それは無理」
「寧ろ職員室迄送って行ってもいい」
由瑞は目を閉じて言う。
「久し振りにみんなの顔が見たい。みんな驚くだろうな。朝、君を送って行ったら」
由瑞はフフッと笑う。
「絶対に止めてね」
そう言いながら樹も目を閉じた。
「君はいい匂いがする。君の匂いが好きなんだ」
由瑞が眠りながら呟いた。
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