浴衣の君

文字数 1,435文字

「ねえ、今年のチョコ、何がいい?」

 彼女がタブレットを私に向けて来た。
 画面には百貨店のバレンタインの特設サイトが出ている。
 彼女が指先を広げて表示を大きくしてくれた。

「今年はさ、家にいる時間も長いし、一緒に作ろうか」
「いいねえ」

 彼女がタブレットをテーブルに置いた。
 二人とも、来年の誕生日で六十歳になる。
 定年まで残り五年。
 そんな年頃で対応することになったテレワークも、一年もやれば慣れた。
 それに、気持ちは若いつもりでいても満員電車での通勤が、しんどかったんだと知った。
 彼女が二人分のエプロンを取って来る。

「何、作る? あ、万歳して」

 彼女は手早く自分の分を身に着けてから、私にエプロンを着せる。
 背中でボタンを留めた彼女が、私を後ろからギュッとハグして離れた。

「チョコバナナを作ろうかなと」
「いいねえ。ちょうど材料もあるし」

 彼女が手早く材料を準備していく。
 冬なのにバナナを買っていたのは、スーパーで蜜柑の隣にあった黄色が綺麗だったからだ。
 バナナの黄色、蜜柑のオレンジ、林檎の赤。
 最近は、明るい色を見ると元気になれるから好きだ。

「湯煎したチョコをバナナにかければいいだけだと思うんだけど」

 彼女の言葉を聞いて、私は棚に手を伸ばす。
 サイズの違うステンレスのボウルを二つ取り出して、彼女の前に置いた。
 彼女が私を見て口角を上げながら頷く。
 『ありがとう』のサインだ。

「なんか懐かしいね」

 彼女が板チョコを割りながら言った。
 それを聞いて、彼女が私と同じ思い出を辿り始めたことに気付く。

「夏祭の夜ね」
「そうそう」

 それは、彼女との初めてのデートだった。
 二人とも中学三年生。
 一学期の終業式の日、帰り道で告白したのは私だった。
 玉砕しても夏休みの時間が、気まずい関係をどうにかしてくれると思った。
 結果、一緒に夏祭に行くことになったのだ。

「貴女の浴衣、可愛かった」
「本当?」
「もちろん」

 私は胸を張った。
 嘘なんかついてない。
 彼女が私を見て口角を上げながら頷く。
 『わかってる』のサインだ。

「屋台のチョコバナナ、高かったよね」
「うん。意外とした」
「なのに、貴女がおごってくれてさ」

 そう言って、彼女が微笑む。

「告白した側だから、格好つけたのよね?」
「その通りです」

 私は少し口を尖らせながら頷いた。
 彼女が手を伸ばし、私の唇をギュッと摘まむ。
 あひるのようになった私を口を見て、彼女が声をあげて笑った。

「あれから、四十五年か」
「そうだね」

 夏祭の後、受験して同じ高校に行った。
 別の大学、別の会社に行って、一緒に暮らし始めた。
 私の転勤で一回、彼女の転勤で二回の遠距離。
 そうやって過ごしてきて、今だ。

「定年まで働く?」
「そのつもりだけど、今の社会状況だと早期退職できるならした方がいいのかも」
「そうね。そういうのもいいかも」

 会社を離れた後どうするかを、何度か話し合ったことがある。
 彼女も私も、一度大きな病気をしていた。
 一致しているのは、体を大切にする生き方を選びたいということだ。

「とりあえず」
「ん?」
「夏祭、また行きたいね」

 彼女が溶けたチョコをバナナにかけ、串の部分を私に向けた。

「そうだね」

 私はそれを受け取り、花を生ける時に使うオアシスに挿していく。

「行けなくても、浴衣は着ようか」
「それ、いいね」

 彼女が嬉しそうに笑う。
 お互い、皺もシミも増えた。
 だけど、心配なんてない。
 だって、何年経っても、貴女は私の浴衣の君なんだから。



<完> 
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