こんな世界に抗って

文字数 6,493文字

目が覚めるとそこには、鳥の声に合わせて踊るように揺れるカーテンがあった。

昨夜は窓を開けたまま眠ってしまったらしい。まだ夏の名残の季節、夜風が気持ち良かったのだ。道理で鳥の声がいつもよりはっきり聞こえるはずだ。

武志はベッドから降り、身支度を整えて階下に降りる。執事が恭しく「おはようございます」と挨拶をするのに右手を軽く挙げて応え、テーブルに向かうと既に父が席に着いていた。


「おはよう。昨夜はよく眠れたようだな」

「うん。父さんは今日は休みじゃないのかい?」

「いや、ちょっと制御機関のコントローラーの調子が悪いみたいでね、放っておくわけにはいかんだろう」


話をしているうちに、執事がテーブルに朝食を運んで来る。コンソメスープのいい香りが、卓上に舞う。


「お前こそ、今日は休みだろう?」

「うん。ちょっと、季節のいいうちに森を散策してみようかなって」

「若者らしくゲームやスポーツでもするのかと思えば。お前が営林を志すなら、父さんは反対せんぞ。森を管理するのも、立派な国の仕事だ」


父はそう言ってくれたが、武志は特段、国の政策に従って森林を管理して行こうなどという意志があるわけではない。ただ、森の空気、木や草、そしてそこに住む小動物達が好きなだけだ。

武志は今年で17歳になる。そろそろ成人に向けて進路を確定しなければならない年ではあるが。

朝食を終えて父を執事達と共に送り出すと、武志は改めて出かける用意をした。

スマホを確認すると、友人からメールが来ていた。心配していた、同級生の慎也が入院することになったらしいという。

慎也は変わっていた。物静かで優しく、人一倍気遣いをする男だった。武志も優しいと言われるが、慎也と比べると、普通だ。

そのうち慎也は、自分が自分でないような気がするなどと言い始めた。憔悴し、痩せ始めた慎也に、周囲はかける言葉も思いつかないまま。そうか、病気だったのか。早く良くなるといいな。

慎也がまた普通に戻って、一緒に森を散策したり出来たらいいなと武志は思った。



タオルと水筒を持って、武志は森に出かけた。途中、友人達とすれ違う。友人達は野球をしに行くようだ。体を鍛えるにはスポーツ、頭を鍛えるにはゲームが推奨されている。森を散策したりする武志は、変わり者に属するだろう。

この季節、森には様々なキノコが顔を出し始める。赤や紫、丸かったり尖っていたり、そんなキノコ達を見るのも楽しみの一つである。食べられるキノコを採って帰ることもあるが、今日は純粋に歩くだけにしようと決めている。

カサカサと頭上で枝の揺れる音がする。枝から枝へ飛び移って遊んでいるのは、縞模様のある小型の猿・シマワロだ。シマワロは人になつきやすい。武志はもう何度もこの森に通っていたから、シマワロも武志の姿を覚えて歓迎してくれているのかもしれない。

散策と言っても、歩ける範囲は決められている。奥に行くとロープの張られている所があり、そこから先へは行ってはいけないとされている。

しかし、禁じられると破りたくなるのは、素直に育った武志でさえ同じこと。以前、一度だけ、ロープをくぐって進んだことがある。

雑木の枝の間から、白い、施設のようなものが見えた。それは民家よりも遥かに大きな、見たこともない建物だった。

金網で囲まれ、監視員らしき男が立っていた。そんな人物が監視しているということは、入ってはならない施設なのだろう。

武志は、その監視員と目が合ってしまう気がして、そして見つかったらただでは済まない気がして、足音さえ忍ばせてそこから退散した。

禁忌を破ったことなど、当然、父には話せない。だからその施設が何なのか、未だもってわからない。



武志はまだ未成年。わからないことがあるのは当然だ。

18歳になると成人と認定され、様々なことが出来るようになる。飲酒もその一つであり、就職・独立、その他いろいろなことが可能になって、世界が一気に広がるという。

その全てを、武志を含め、未成年達は知らない。その中には、何やら秘密めいたものもあるような気がするのだが、それを成人が未成年に語るのも、未成年が知ろうとするのも禁じられているため、誰も語ったり訊いたりしない。

武志が森の奥のその先に見た白い施設が、触れることを禁じられた情報に関するものなのか、それはわからないけれど、武志はそれを調べたりしようとは思わなかった。

常に、情報は国民に開示されている。未成年が知らなくても、成人になれば知り得ることがたくさんあり、それで社会は事足りているし、自分も、納得している。だから、あえて知る必要などないのだ。


カオリノキの枝を折ると、林檎のような香りが立つ。その香りを楽しんでいると、チチチ、と、小鳥の声とも違う、銀色の鳴き声がした。


ナキリスだな、と武志は見当をつける。木々の枝の間に目を凝らすと、鳴き声の主はふさふさした尻尾を躍らせながら、枝を渡っていた。

だが、その小さな脚に、何かの破片らしきものが絡み付いている。破片に絡まった釣り糸のようなものが、ナキリスの脚に絡み付いたらしい。あのままではナキリスの体も傷つけるおそれがあるし、何より危ない。

なんとかして取ってやれないだろうか。武志はナキリスを追った。しかし、人の思惑など知る由も無いナキリスは、追われていると知るや、チチチと鳴いてさらに枝を飛び逃げ始める。

逃げる先はロープの向こう。行ってはいけないと言われているものの、途中までなら以前、侵入している。武志は再びロープをくぐって、森の奥へと入って行った。

逃げるナキリスを見失わないよう、上方を見ながら森の中を走って行く。あまり先に行くな。頼む。お前を助けたいだけなんだ。

ナキリスが急に左の木の枝に飛び移ったので、武志も慌てて左に進路を変えて走った。ところが、


「きゃあ!」


そこに潜んでいたのか、誰かにぶつかった?

しかも、その先は崖になっていた。

武志は見知らぬ誰かと一緒に、崖下に転落した。











…………


…………


目を覚ますと、そこには、見知らぬ人の顔があった。

首が痛む。土の上に這いつくばっている自分に気付く。そうだ。ナキリスを追っている途中、誰か、おそらく目の前で気を失っている人にぶつかり、崖から転落したんだ。

改めて、倒れている人を見る。

これは、誰だ?

見知らぬ人物。いや、それ以上に不思議なのは。

武志は、目の前の人物にうろたえた。

どこかがおかしいわけではない。手足二本ずつ、目も鼻も耳も口も自分と同じ。だけど。

とても柔らかい感じがする。とりわけ、頬や、唇、その目元さえ。

それに、作業着を着ているのだけれど、その袖からのぞく指はなんて細いんだろう。これじゃ機材一つ持ち上げられないんじゃないか。


その人を見つめているうちに、武志は今まで感じたことのない気持ちが湧き起こるのに気づいた。それは心の底、いや体の底から、心臓を突き上げるような思いだ。

なんだろう、この人。それに、花ともハーブとも違う、とてもいい匂いがする。

そう言えば、ぶつかった時にやけに甲高い声を出したな。あの声は、あんなに高くはないけれど、慎也のびっくりした時の声に似ていた。体技の時間、慎也がそんな声を出して教官が眉をひそめ怒鳴りつけていたけれど、そう言えばどうして教官はあの時あんなに怒ったんだろう。

見つめているうちに、薄いまぶたがひくひくと動き、やがてぱちっと目を開けた。目の前の武志に気づくや否や、飛び起きて警戒態勢の鎧を身につけた。

けれど、驚いたのは武志も同じである。思わずのけぞり尻餅をついた武志を見て、見たことのない人物は5パーセントだけ、警戒を解いた。さらに、自分を見つめたままもごもごと口だけを動かしている武志を見て、柔らかそうな人物は言葉を発した。

「あなた……未成年?」

音楽みたいな声だ。いやそれよりも、言葉が通じる。異国人ではないみたいだ。

倒れていたからよくわからなかったけれど、体つきも華奢だ。でも、なぜか胸が出ているみたいだ。

武志があまりに露骨に体を観察するものだから、華奢な人物は胸をガードするように再び警戒態勢を取った。


武志は今まで綺麗なものをいろいろ見て来た。絵や、花や、新緑や美しく作られたロボットや。でもこんなに、興奮するほど綺麗な人間を見たことがない。なんなんだこの人は? 柔らかそうで、いい匂いがして、弱そうで、綺麗。

武志を睨みつけているけれど、その目は明らかに怯えている。小動物に似ていた。怪我をした小動物は、助けてやろうとしてやむを得ず捕まえた時、こんな目を、武志に向ける。

「ぼ、僕は何も、うん、未成年で、で、それで、あ、あなたには危害は加えない、だから、えと、」


その時、遠くで男の声がした。「いたのか!?」「違った! シマワロだ!」

その声を聞くなり、華奢な人物は武志に救いを求めた。「お願い、助けて!」

事情はよくわからない。でも、傷ついた小動物は助けねばならない。それが武志のポリシーだ。武志は立ち上がり、細くて柔らかい人物の手を取って走った。ロープをくぐり、森の安全圏内に戻る。武志の知る獣道を走り、武志が小さい頃から遊んでいた秘密基地に飛び込む。使われなくなったイノシシネコの巣穴を、武志が勝手にいただいて広げた穴だ。入り口に枝葉を散らせば、あっという間に周りからは見えなくなった。


「……ありがとう」

穴の中。暗い闇に、楽器の音色のような声がした。武志が声の主に体を向けると、あからさまに再び警戒態勢を取る気配がした。

「授産しないで。お願い。私、体が弱いの……」

「ジュサン……?」

「……そうか。あなた、未成年だったね」

衣擦れの音。華奢な人物が膝を抱いた音だ。

武志は、勝手に湧き起こって来る得体の知れない気分に戸惑っていた。衝動とも言うべき、ムズムズと突き上げる焦り。それは身体の一部さえ、変化させて苦しい。闇の中で隣り合う人物の匂いが、なぜか武志を興奮させる。そのくせ、この弱っちい存在を、たまらないほど守りたくなる。


「あなたたちって、本当に何も知らないの? 私達のこととか」

華奢な人物が言う。その度、その声の音色に酔う。武志が答えられずにいると、人物はそれを肯定と受け取ってくれたらしい。

「私達は女。あなたたちは男。人には、男と女がいるのよ。成人すると、それを知らされるはずだわ。でも私達女は、あなたたちの社会には直接必要ない。私達は子供を産むためだけに必要な存在だから」

「子供を産む? 産むって、どういう……」

ニワトリは卵を産む。牛や豚は赤ちゃんを産む。確かに産むけれど、人間は別だろう。別なのか? そんなことは知らなくていいと言われた気がする。知らなくていいと言われたことは、知る必要がない。でも、人間は、どうやって産まれる?

「成人すると、優秀な男には授産権が与えられるのよ。授産権が与えられた男は、女に授産することが出来るの。つまり、子供を産ませるのよ。私達女には政府の政策によって生産性が決められるの。現在は一人につき三人を産むように決められているわ。でも三人産んでも優秀な男が産まれなければ、何度でも産まされる。それでも駄目なら生産所行きよ」


「生産所、って、なんですか?」

そう言って武志は、ひどく喉が渇いていることに気づいた。腰に付けたバッグに水筒が入っている。飲みたい。

「食品を加工したり、洋服や小物を作ったり、いろんなものを作るのよ。製品はあなたたちの社会で消費されてるはず。生産性がないと判断された人はみんな、生産所に送られるの。子供を産めなくなったり、病気だったり、男から需要がなかったり、そうした女、それだけじゃなくて、病気になったりして社会からはじき出された男も、生産所に来るわ」

武志の脳裏に、慎也のことが思い浮かんだ。慎也は、大丈夫なのだろうか。戻って来れるのだろうか。

「私は、生まれつき体が弱くて授産になんて耐えられない。だから授産を拒否したいって言ったら、生産所に送られることが決まったの。授産にさえ耐えられないのに、生産労働になんて耐えられるはずがない……あそこでは奴隷みたいに働かされる。もっと作れ、もっと作れって……それに、そこに送られた女達は管理されなくなるから、監視してる男達の慰安にされる……」

「イアン?」

「言いたくない……私ね、さっそく狙われたの。だから、逃げて来たのよ。逃げて隠れてた所に、あなたが走って来てぶつかった……」

そういうことか。それにしても、イアンとは一体……声の震えで、それが怖いことなのだろうと想像がついた。話が途切れた所で、水筒を取り出し水を飲む。恐る恐る「飲む?」と女に訊くと、少しためらった後、「ありがとう」と受け取った。


「君、な、名前はなんていうの?」武志が訊くと、女は、ふ、と笑ったようだった。

「名前なんてあるわけないじゃない。私達は家畜と同じ。子供を産む道具でしかないのよ。私には、SNT675545という番号があるだけ」

「君達に、自由は、ないのか?」

「……あなたたちは人間だから自由でしょ? 私達は女なの。あなたたちとは違う……」

悲しい、悲しすぎる答えだった。だって、同じじゃないか。二本の足で歩いて、言葉も通じて、心だってあって。

「僕たちは……知らな過ぎるんだね、何もかも……従順すぎるんだ。だから、」

だから。だから、どうするというんだ。武志は考える。今、何が出来るのか。自分が何をするべきか。

「君に、」暗い中、そこにいる人に向けて、話す。「君に名前をつけよう」

「名前?」

「そうだ。だって、シマワロだってナキリスだってそういう名前がある。君だけ、なんとかなんとかっていう番号じゃ呼びづらいし、覚えられない。シオン……そうだ、シオンにしよう。これから咲く花で、僕の大好きな花なんだ。今から君を、シオンって呼ぶよ」

「しおん……私なんかに、花の名前つけてくれるの……?」

そう言った後、女……シオンは、嬉しい、と呟いた。


「君だって、君だって同じ、人間じゃないか。僕たちと変わらない、人間じゃないか。何が間違ってるのか、今はまだよくわからないけれど、君たちも僕達みたいに暮らすべきなんだ。だって、同じ人間なんだから」

おそらく、シオンをかくまうことは罪になるのだろう。社会に背くことは、犯罪である。それがわかっていても、武志はシオンを守ってやろうという気持ちを止めることは出来なかった。

自分の進路など未だに曖昧だったくせに、武志は、世界を変えたいと本気で思った。それはあまりに飛躍した考えだったけれど。

そうしなければ、シオンを守ってやれないのだと思った。

そうするしかないのだと思った。


武志はイノシシネコの穴にシオンをかくまい続けた。食料を調達したりしながら、共に闘う仲間を集め始めた。

仲間達は森に「アジト」を作り、シオンを守り続けた。一度、森に成人がやって来てアジトが見つかったけれど、その成人は武志たちの闘いに賛同してくれた。

やがて、武志とシオンを中心とする彼らの組織は、政府の反逆者としてマークされる。

何度も襲撃され、逃げ、その度に仲間を失って行ったけれど、新たな仲間は確実に増えて行った。

武志とシオンが目指すのは、男と女が同じ人間として平等に暮らせる社会だ。同じ人間なんだから、同じく生きる。ただそれだけを、武志もシオンも願っているのだ。

闘いはまだまだ続く。けれど、いつか、夢は叶う。

シオンの手を固く握りながら、武志はそう信じていた。





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