彼女の名前は、

文字数 1,001文字

 月曜の夜は、一週間溜まったメールを整理する時間。
 パソコンソフトやファストファッションのDMはゴミ箱行き。
 親兄弟親戚縁者からは滅多に来ないし、彼女なんていなくなって久しい。
 あとは仕事関係と友達関係。

 愛車のディーラーからもメールが来てた。でも、明日は定休日だから後でゆっくり読めばいい。
 そんなこと考えてたら、お店に寄るたびに飲み物を出してくれるディーラーの紅一点を思い出した。いつもコーヒーや紅茶にちょっと洒落たお菓子を添えてくれる三田村さん。下の名前は知らないけど、大人しそうな彼女にはなかなか訊けない。

 いつだったか、お店のPOPを任されている彼女の「作品」を褒めたら、少女のようにはにかんだ。その日のお菓子はいつもと違うと思ったら、実家の両親の手土産だと教えてくれた。

 先週末、オイル交換で寄ったときに僕は一冊の本を預けた。コンテストで落選した自分の短編小説を集めた単行本。留守だった店長には、ちゃんと許可を貰っていた。
「自費出版した本なんです。お客さんに読んでもらってください。もちろん、三田村さんにも……」
 作業を待っている間に彼女は紹介文を添えた小さなPOPを作ってくれ、勧められた車内クリーニングを断ったことを少し後悔した。

 仕分けたメールが急に気になって開いてみたら、差出人は店長だった。
 そこにはこう書かれていた——突然失礼します。いつもお世話になってます。三田村です。個人情報の関係でメアドを知らない私は直接送れないので、代わりに店長に送ってもらいます。

 どうやら僕の小説を気に入ってくれたらしい。ドキドキしながら続きを読むと、一作一作の感想が丁寧に綴られていた。
 読み終えた僕は小さくガッツポーズした。
 文末の署名で初めて知った彼女の名前は、小春。
 すっかり冷たくなった助手席に彼女を乗せる春の日を僕は想う。

 真新しい一冊を取り出して、署名の上に書き添えた。
『三田村小春さま
 素敵なPOPに感想文
 それから美味しいお菓子
 ありがとうございます
 感謝を込めて』

 今週末にこの本を届けよう。
 でも、ディーラーの人にどんな言い訳をしよう?
「エンジンが調子悪い」なんて言ってもすぐバレる。
 ここはストレートに「三田村さんはいますか?」
 スタッフはどんな顔をするだろう?

 時計を見たら24時50分。
 そうだ! その時はこう言おう。
 車内クリーニングをお願いします。

    — 了 —
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