カチカチ山裁判

文字数 3,622文字

ああ……なんということじゃ……。
どうしたんだい、爺さんよ。

そんなに泣いちゃ皺が増えるぜ。

このあたりで悪さをするタヌキがおってな……。

捕まえたは良いのじゃが、言葉巧みに檻から出てしもうたのじゃ。

そうか……残念だったな。

でもそれだけなら、まあ夕飯の献立が変わるくらいだろう。

タヌキも一度罰を食らえばもうこの家には近づかんさ。

それがのう……タヌキときたらワシの嫁に化けて料理を出してきおってな……。

腹いっぱい食わされてからタヌキは言ったのじゃ……。

「それはお前の嫁だ、バカめ!」とな……。

何だと……!
ワシは嫁を失ったばかりかその肉を食らってしもうた……。

こんなに悔しいことはないのじゃ……。

復讐も考えたが、ワシは顔を覚えられているのじゃ……その願いはとても叶うまい。

悔しい……悔しいのじゃ……。

爺さん……。

ああ、オイラに任せな爺さん! 俺がタヌキの奴を懲らしめてやる!

爺さんにタヌキ汁を振る舞ってやるよ!

ありがとう……気持ちは嬉しい、嬉しいのじゃが……。

ワシはもうケモノが信用出来ん。次騙された時は悔しさに泣き死んでしまう。

心中察するよ、爺さん。

大丈夫だ。俺は絶対に戻る。神に誓うよ。

……のうウサギさんよ。

お前さんがタヌキを本当に連れて帰ることが出来なんだら、お前さんをウサギ汁にすると言っても同じことが言えるか?

何っ……?
虫のいいことを言っているのは分かっておる。

じゃがな……ワシはもう本当に裏切られるのが怖いのじゃ。

その誓いを立てられないなら、この爺は放って消えてくれ。ワシは嫁を食った罪で餓え死ぬのが定めだったのじゃ……。

……悲しいことを言うなよ、爺さん。俺は絶対にタヌキを捕まえて戻ってやる。

『俺は必ずタヌキを捕まえて戻る。出来なかった時、俺はウサギ汁になって爺さんに食われてやる』。

神と月のウサギに誓うよ。

すまんな、ウサギさんよ。

ありがとう……よろしく頼んだのじゃ。

 ウサギは駆けた。タヌキを捜して駆け回った。

 走り回ること二時間。それらしきタヌキを見つけると、ウサギは近くに忍び寄った。

やあ、タヌキどん。
あら? ウサギはんやないの。どないしたん?

こっちの方で見るのは珍しいやんか。健康でええことやなあ。

どうや、娘さんらは。今頃はべっぴんさんになってるやろな。

(改めて、なんと口の上手いタヌキなんだコイツは。

 爺さん婆さんが騙されたのも無理はない。

 ただ捕まえるのは容易いが、その前に罰を与える必要があるな)

ああ、こっちの方にいい儲け話があると聞いてね。

タヌキさんもどうだい。儲けは二人で分けるとしようや。

あら、ええんですの?

私などに教えずに一人でやった方が儲けも多いんとちゃいますか。

それでもええんなら、一枚噛ませてもらおかなあ。

ああ、かまわないよ。なにより、一人じゃ骨が折れるんでね。

手伝ってくれるなら捗るというものさ。

そういうことやったらやりましょか。

どんな仕事なんですの?

なに、やることは単純。ここいらの薪はよく燃えると評判でね。

適当に燃えが良さそうな木を拾い集めて山を降りるのが仕事だよ。

ほら、一人でやるより量が集まる。量が集まれば、金も集まるというものさ。

なるほど、頭ええなぁ。

よし、頑張りましょ。

 ウサギの想像に反して、タヌキはよく働いた。

 見物に回って儲けだけ横取りするものと思っていたウサギは感心していたが、変な態度を見せては感づかれる。なにより、口が回る相手である。良い仕事ぶりもペテンの一部であることは考えられた。

 ウサギも薪を拾いながら、持ってきた火打金にぶつけて火花を起こす火打石を探した。ちょうど手頃な黒曜石を見つけたので、ウサギは懐にしまいこんだ。

結構集まったんとちゃいますか。


そうだな、これくらいあれば俺の家族になにか良いものを買って帰ってやれる。

早速ふもとの街まで行こう。

ウサギはんは家族思いやなあ。

私、心を打たれましたわ。薪は私が持って下ります。

ウサギはんは帰りに荷物を持つ元気を残しておくと良い。

本当かい? 助かるよ。
(それ見ろ。薪を一人で持っていって、儲けを総取りするつもりだ。

 だがしかし、欲が仇となったな、タヌキめ。背中がよく燃えるぞ。

 神よ。タヌキの罪を認めるならば、この炎がタヌキの背を焼き荒らしますよう)

 カチカチ、カチカチ……。

 火打ち石の高い音が山に響く。タヌキは訝しげに首をかしげた。

ウサギはん。何か変わった音がしませんやろか。

楽器やあらへんし。高いような、きれいなような音や。

私の耳と違って、ウサギはんの耳は大きいからようわかるんちゃいますか?

おやタヌキさん。この辺りはタヌキさんの方が詳しいと思ったが。

灯台下暗しというやつかな。

なに、この辺りにはああしてカチカチと鳴くカチカチ鳥が居るのですよ。

それがここの別名、カチカチ山にも通じているのさ。

はあ、ウサギはんは物知りやね。

……にしても今日は暑いなぁ。ウサギはんは大丈夫ですか?

(ああ、熱かろう。背中でそれだけ大きな炎が燃えているのだからな)
もうじき夏だからな。それよりタヌキさんは足元を気にした方がいい。

転んでは大怪我だし、二人の仕事がおじゃんになる。

そうやろか? じゃあそうしますわ。
……いやでも尋常じゃなく暑いで。

お日様に何かあったんとちゃうやろか。

……って薪が燃えてる!? 危ないウサギはん! 離れて!

 タヌキは急いで担いでいた薪を下ろし、火元から離れて土を掛け、鎮火を図った。

 ウサギはおや、と思った。神判が正しいとすれば、タヌキは罪なき者ということになってしまう。だが現実に、タヌキに火傷の被害はなかった。

ああ、すまんなぁ……二人で集めた薪がこれじゃ一文にもならへん……。
あ、ああ。そうだな……。
(神が勘違いをしたのかもしれない。

 ……もう一度神判を乞う。もしもタヌキが罪人なれば、この壺の中の毒蛇に噛まれて死んでしまうことだろう)

まあタヌキさんは無事で良かったよ。見たところ火傷はなさそうだが、後で痛むということもある。

この壺に秘伝の塗り薬が入っているんだ。今のうちに塗っておくと良い。

おおきにウサギはん……でもなんかヌルヌルするなあ。軟膏っていうか、動いてるような感触なような……。
って蛇やんか! しかも毒のあるやつやろ、これ!
(今度も無事、か……。どうやらタヌキには本当に罪はないらしいな……)
……なあウサギはん。いくら私が鈍感でも気付きますよ。

何か恨み買うようなことしたやろか。それならちゃんとお詫びさせてくれませんか。

……ああ。こちらこそ詫びさせてもらいたい。

だが、勿論何の理由もなくこんなことをしたわけじゃないんだ。聞いてくれるか。

 ウサギは爺さんの事を話した。タヌキは顔面蒼白になってその話を聞いていた。

 ウサギの確信はより強まった。タヌキは爺さんに悪行を働いてなどいない。

 その話を聞いたタヌキが語った、間違いなく同族がやったことではない、という意見もウサギは信じた。諸悪の根源はどうやらタヌキではなく爺である。

 だが爺のもとに戻れば約束の上にウサギはウサギ汁にされてしまうだろう。一瞬の躊躇、それでもウサギは約束通り爺のもとに戻ることを決めた。

おおウサギさん……タヌキは……!?
す、済まんな……爺さん。あぁ……連れ帰れなかった。

だが俺も男、約束は違えない……よ。俺をウサギ汁にして食ってくれ。

そうか……悪いなウサギ。

面白い道化だったよ。ウサギはタヌキより味は劣るがまあいい。

今夜の夕食が楽しみだな。

 ウサギを殺して爺はウサギ汁を作って食べた。

 その数分後、口から泡を吹いて倒れた。

 ……翌日、家に踏み込んだ村の者が爺が死んでいるのを発見した。

 ウサギは死ぬ前に、村の者たちに言っていたのだった。

 今回の事件のあらまし。これから自分が食われること。そして、自分は毒薬を飲んでから爺に身を差し出すこと。

神様に判断してもらうつもりなんだ。

もし爺さんが俺を騙した、それ以外の罪を犯していたならその毒で爺さんも死ぬように。

だからもし、明日爺さんが死んでいるのを見つけたら爺さんの罪が何なのか、皆で突き止めて欲しい。

それが、俺の最後の望みなんだ。

 村の者が爺の家を調べると、それはそれは沢山の人骨が見つかった。

 骨の形からどうも全て女性、しかも年若い女性のものばかりであることもわかった。

 爺は若い女を生涯何人も嫁に迎え、飽きたら殺害して食う事を繰り返していたのだった。

 ウサギのまさに決死の働きによって、爺の悪行は露見したわけだ。

 村の者たちは女性たちの墓を建て、爺の家は取り壊し、隣村まで繋がる道路にした。

 その道を固める三和土に爺の骨を砕いた粉を混ぜて、隣村との行き来の度に爺が踏まれ、罰せられるようにしたのだ。

「嫁食い爺、嫁食い爺。今でも反省しているか」。そう言いながら村の者はその道を通る。

 その言葉がいつしかその道路のことを指すようになり、その道路は「米久路(よねくじ)」と呼ばれるようになったそうな。

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