第十四話 妖を使役する陰陽師
文字数 3,511文字
ああ、どうかわけはお聞きにならないでくださいませ。
ですが、我が殿 は明らかに変わられたのです。
あの男が来てから、急に。
考え込んでいると思えば怒りだし、室 の中を行ったり来たりとしております。
ああ、どうかお知 恵 を。
なにかよくないことが起きるのでございましょうか。
我が殿は、あの男はどんなことも引き受けてくれると申しております。ええ、それ以上のことはまったく。
どうかこのことは、ご内 密 に。
あの男の名前でございますか? いえ名前までは。ただ、あまりいい感じのしない男でございました。
ただ――そう、陰陽師と申しておりました。
◇
最近どうも、内裏の中が暗い。
見る限り至 って普通なのだが、説明しがたいモノが漂っている。彼は異 能 がある訳ではないが、廷 臣 たちが妙 に怯 えている。御 簾 越 しでは視線が絡 むことはないが、声に力はない。なにかあったかと問えば、ごまかされてしまう。
そんな彼らと接していれば、影響を受けるのも然 りと思うが――。
「主 上 ……?」
今 上 は、口 許 に運びかけていた蝙 蝠 扇 の手を止めた。
視線を運ぶと、中宮・藤 原 瞳 子 の気 遣 わしげな顔があった。
奥 内 裏 (後宮)・弘 徽 殿 ――、庭の片 隅 では先日まで淡 桃 の紫陽花 が、青に色を変えていた。まるでどなたかのようと今上を皮 肉 った中宮もまた、表情を変える。
自分には無理だな――と彼は自 嘲 する。
美しい花(女性)から花へ渡り歩くのはどうしようもないが、人前で表情を変えるなど、とうの昔に忘れてしまった。心を隠すのは、自分も同じだ。
「なにか、お心を病まれることが?」
「私は帝として、ただ座っているだけの存在なのかと思ってね」
「主上は現 人 神 でいらせられます。誰も主上を蔑 ろにするものはおりませぬ」
古くは天 孫 降 臨 から繋 がる血 系 ――、これまでも難しい問題に取り込んできたのは関白・藤原頼房ら廷臣たちである。ゆえに、今上に話が回ってくる頃にはほぼ決定しているもので、彼はそれに最終判断を下すのみ。
今上は開いた扇 越 しに笑った。
「主上?」
「頼房も、そなたと同じことを言ったよ。瞳子」
決して皮肉のお返しではなかったが、さすが頼房の娘である。
だが、そんな彼女の強さに今上は惹 かれたのだ。
「――どなたか陰陽寮から召されては? お心が少しなりとも晴れましょう。主上」
瞳子の勧めに、今上は微 笑 んだ。
「そうするよ。瞳子」
◆◆◆
――どんな依頼も引き受ける、影 の陰陽師がいるらしい。
そんな囁 きを幾 つか拾って、陰陽寮に着いた彼は渋 面 で師の前に立った。
賀茂忠行はそんな直 弟 子 を一 瞥 し、呼んでいた書を書 架 に戻した。
「幽 鬼 騒 ぎが落ち着いたというに、また妙 な噂 が流れ始めたものじゃのう? 晴明」
「貴族たちの間で、どんな依頼を引き受ける影の陰陽師がいるそうです」
「どんな依頼もか……。ろくな依頼ではなかろうの」
忠行は顎 髭 を撫でつつ、長 嘆 した。
陰陽師なら陰陽寮にいるのに、わざわざ外部に依頼する。それもどんな依頼も――となると、その依頼は確かにろくなものではないだろう。
もちろん、陰陽寮に属さぬ『隠れ陰陽師』が何人か王都にいるとは知っていたが、やはり人の心に生まれる闇は、祓 いようがない。祓ってもまた生まれ、次々と増えていく。
内裏にまで持ち込んだその闇は、今上帝を不安にさせたようで、晴明は清涼殿に召された。すぐに祓えの呪法を行うと辞したが。
「師 匠 、ここに来るまで気になる人物とすれ違ったのですが――」
「気になる人物とな?」
その人物は、青い顔で晴明の前からやってきた。ただそれだけならいいのだが、その男から軽く妖 気 が漂っていた。
よほど近づかなければ、陰陽寮の陰陽師でも気づかないほどの。
どおりで、帝の近くまで重い気を運んでいた筈 である。
さすがに見逃せず、晴明は即 座 に懐 から形 代 を引き抜き飛ばした。男の元に飛んでいた形代は男に貼り付くと、するすると纏 っている衣の中に消えていった。
おそらくそれで、男への害はその形代が弾 いてくれるだろう。
「――つまり、何者かがかの御 仁 を呪 詛 していたというのじゃな? 晴明」
「呪詛ならまだいいのですが……」
晴明が感じた妖気は、呪詛のそれではなかった。かの人物は妖 と接 触 したか、それとも意 図 せずに妖に狙われているかだ。
だが問題は、噂になりつつある『影の陰陽師』の存在である。
晴明の心をまたしても、不快でドロドロとしたものが広がり始めた。
実は彼がその陰陽師の存在を知ったのは、この日の二日前まで遡 る。
その夜――、依頼されていた霊 符 の仕上げにかかっていた晴明は、門前に牛車が止まる音を聞いた。刻 限 は戌 の正 刻 (※午後二十時)、人の邸を訪れるには非常識な刻限である。
しかし主 の使いでやって来たという舎人 の男は、何としても晴明を連れてこいと言われてきたという。ご丁 寧 に、牛車まで用意してである。
しかも連れて行かれたのが、嵯 峨 野 の山 荘 である。誰の邸 かもわからぬまま案内されて、呼び出した本人は御 簾 の中だ。
貴族の強引さには慣 れていたつもりだったが、ここまでくると怒りを通り越して呆 れた晴明である。
「――かような場にお越し頂き恐れいります。安倍晴明さまでございましょうか?」
御簾の中から聞こえてきたのは、女の声だ。
「いかにも。かなりのご身分と推 察 いたします」
乗ってきた牛車も檳 榔 毛 車 (※四位以上の貴族が乗る牛車)だったが、室 の中は黒 蒔 絵 の厨 子 棚 に螺 鈿 の唐 櫃 、屏 風 も金 箔 に花 鳥 図 と豪華なものばかりだ。
「訳あり、当家の名は言えませぬ。晴明さま、あなた様は帝も信 を置かれておられると伺 いました。ならば、わが殿に起きましたことに、何 卒 お知 恵 を賜 りたく――」
女は、その男の北 の方 (※正妻)らしい。
ある夜、主 を訪ねて男がやって来たという。主とその男は人を遠ざけた上で話し合いを始め、主はその男が帰ってから様子がおかしくなったという。
その訪ねてきた男というのは、陰陽師だったらしい。
「お話を伺 う限り――……、主どのはかの陰陽師になにかを依頼されたのでは?」
「依頼……と、申しますと……?」
どうやら北の方も、察しているらしい。声が震え始めた。
「呪詛――」
「そ、そんな……っ、ああ、まさかあれは――」
「あれは?」
言 葉 尻 を捉 えた晴明に、北の方はそれ上なにも語ることはなかった。
いったい自分になにをして欲しかったのか、北の方は今度は帰れと晴明に言う。
このことは口 外 するなと、口 止 めした上で。
恐らく、呪詛は行われたのだ。
「忠行さま……っ」
視線を上げた晴明は、陰陽寮に駆け込んでくる寮 官 にその視線を運んだ。
「何事じゃ」
「また、見つかりました……っ。今度は、大宮大路の辻 で大 納 言 さまの――」
その先は聞かなくても、晴明にはわかった。
「師 匠 」
「……いったいどうなっておる……?」
また骸 が見つかった――、瞑 目 する師の横で晴明は嫌な想像が頭に浮かんでいた。
まさか、あれは――。
おそらく晴明を山荘に呼んだあの北の方は、晴明が想像したものと同じことを思ったのだろう。つまり――。
(妖を使い、人を喰わせた……!)
それはもう、人間とはいわない。
その男と同じ陰陽師として括 られると、反 吐 が出る。
もし、想像のままなら――。
(赦 せない……!!)
心の底から湧き上がる義 憤 に、晴明は唇 を噛 んだ。
これまで人が憎いと思ったことはあったが、そんなものとは比べものにならないほど、彼は激 昂 していた。
◆
その男の前で、それはジュッと音を立てて燃えていた。
男が〝式〟として飛ばしたものだったが、返って来るなり燃え上がった。
――気づかれたか……。
依頼が成功していれば返ってくることはなかった〝式〟は、黒く焦 げていく。
「な、なにが起きたのだ……?」
男の背後で、彼の依頼主が慌 て始める。
「誰かに、吾 の呪 が返されました。予想はしておりましたが」
「し、失敗したのか……っ!?」
「そう怯 えていてはことが露 見 しましょうぞ? 二人も始末せよと欲をかくからです」
依頼主は、かなりの身分にある貴族だった。
政敵を呪えという依頼を、男は受けた。
「わ、わしは、あのようなことは頼んでおらぬっ! そ、そなたが勝手に……」
そうだ。彼らは己 が危 うくなると知らぬ損 是 ぬを決め込む。
よくいう。人を呪 わせておいて。
男は、依頼主を見下した。
「消して欲しいと言われたではありませんか? 方法は任 せると」
「ひっ……」
青ざめる依頼主を、男は嗤 った。
「そしてこうも言われた。何が起きても――構わぬと」
ですが、我が
あの男が来てから、急に。
考え込んでいると思えば怒りだし、
ああ、どうかお
なにかよくないことが起きるのでございましょうか。
我が殿は、あの男はどんなことも引き受けてくれると申しております。ええ、それ以上のことはまったく。
どうかこのことは、ご
あの男の名前でございますか? いえ名前までは。ただ、あまりいい感じのしない男でございました。
ただ――そう、陰陽師と申しておりました。
◇
最近どうも、内裏の中が暗い。
見る限り
そんな彼らと接していれば、影響を受けるのも
「
視線を運ぶと、中宮・
自分には無理だな――と彼は
美しい花(女性)から花へ渡り歩くのはどうしようもないが、人前で表情を変えるなど、とうの昔に忘れてしまった。心を隠すのは、自分も同じだ。
「なにか、お心を病まれることが?」
「私は帝として、ただ座っているだけの存在なのかと思ってね」
「主上は
古くは
今上は開いた
「主上?」
「頼房も、そなたと同じことを言ったよ。瞳子」
決して皮肉のお返しではなかったが、さすが頼房の娘である。
だが、そんな彼女の強さに今上は
「――どなたか陰陽寮から召されては? お心が少しなりとも晴れましょう。主上」
瞳子の勧めに、今上は
「そうするよ。瞳子」
◆◆◆
――どんな依頼も引き受ける、
そんな
賀茂忠行はそんな
「
「貴族たちの間で、どんな依頼を引き受ける影の陰陽師がいるそうです」
「どんな依頼もか……。ろくな依頼ではなかろうの」
忠行は
陰陽師なら陰陽寮にいるのに、わざわざ外部に依頼する。それもどんな依頼も――となると、その依頼は確かにろくなものではないだろう。
もちろん、陰陽寮に属さぬ『隠れ陰陽師』が何人か王都にいるとは知っていたが、やはり人の心に生まれる闇は、
内裏にまで持ち込んだその闇は、今上帝を不安にさせたようで、晴明は清涼殿に召された。すぐに祓えの呪法を行うと辞したが。
「
「気になる人物とな?」
その人物は、青い顔で晴明の前からやってきた。ただそれだけならいいのだが、その男から軽く
よほど近づかなければ、陰陽寮の陰陽師でも気づかないほどの。
どおりで、帝の近くまで重い気を運んでいた
さすがに見逃せず、晴明は
おそらくそれで、男への害はその形代が
「――つまり、何者かがかの
「呪詛ならまだいいのですが……」
晴明が感じた妖気は、呪詛のそれではなかった。かの人物は
だが問題は、噂になりつつある『影の陰陽師』の存在である。
晴明の心をまたしても、不快でドロドロとしたものが広がり始めた。
実は彼がその陰陽師の存在を知ったのは、この日の二日前まで
その夜――、依頼されていた
しかし
しかも連れて行かれたのが、
貴族の強引さには
「――かような場にお越し頂き恐れいります。安倍晴明さまでございましょうか?」
御簾の中から聞こえてきたのは、女の声だ。
「いかにも。かなりのご身分と
乗ってきた牛車も
「訳あり、当家の名は言えませぬ。晴明さま、あなた様は帝も
女は、その男の
ある夜、
その訪ねてきた男というのは、陰陽師だったらしい。
「お話を
「依頼……と、申しますと……?」
どうやら北の方も、察しているらしい。声が震え始めた。
「呪詛――」
「そ、そんな……っ、ああ、まさかあれは――」
「あれは?」
いったい自分になにをして欲しかったのか、北の方は今度は帰れと晴明に言う。
このことは
恐らく、呪詛は行われたのだ。
「忠行さま……っ」
視線を上げた晴明は、陰陽寮に駆け込んでくる
「何事じゃ」
「また、見つかりました……っ。今度は、大宮大路の
その先は聞かなくても、晴明にはわかった。
「
「……いったいどうなっておる……?」
また
まさか、あれは――。
おそらく晴明を山荘に呼んだあの北の方は、晴明が想像したものと同じことを思ったのだろう。つまり――。
(妖を使い、人を喰わせた……!)
それはもう、人間とはいわない。
その男と同じ陰陽師として
もし、想像のままなら――。
(
心の底から湧き上がる
これまで人が憎いと思ったことはあったが、そんなものとは比べものにならないほど、彼は
◆
その男の前で、それはジュッと音を立てて燃えていた。
男が〝式〟として飛ばしたものだったが、返って来るなり燃え上がった。
――気づかれたか……。
依頼が成功していれば返ってくることはなかった〝式〟は、黒く
「な、なにが起きたのだ……?」
男の背後で、彼の依頼主が
「誰かに、
「し、失敗したのか……っ!?」
「そう
依頼主は、かなりの身分にある貴族だった。
政敵を呪えという依頼を、男は受けた。
「わ、わしは、あのようなことは頼んでおらぬっ! そ、そなたが勝手に……」
そうだ。彼らは
よくいう。人を
男は、依頼主を見下した。
「消して欲しいと言われたではありませんか? 方法は
「ひっ……」
青ざめる依頼主を、男は
「そしてこうも言われた。何が起きても――構わぬと」