一、邪宗真槍
文字数 9,284文字
荒れ果てた廃屋の合間をーー、陰鬱なる隘路を走る。
彼女の纏いし衣服はあまりにお粗末だ。薄汚れた無地の麻地の貫頭衣。今なら最下層の者であっても、もう少し上等なものを纏っているだろう。
足下は皮のサンダル。素足は砂埃で汚れきっている。
少女は駆けながら何度も背後を振り返った。彼女は逃げていた。背後から迫り来る異形の影に怯えながら。夜の帳が降りつつある薄闇の中、異形のシルエットが彼女の瞳に映り込んだ。
男はのしり、のしりとした緩やかな足取りで迫る。必死に駆け走る少女はなぜか男を振り切ることができない。
彼女が角を曲がり、廃屋に隠れ、影の中に身を潜めても、男はどうしてか彼女を見つけ出し、迷うことなく一直線に彼女の隠れ場へと突き進んでくるのだ。
駆けれども隠れども振り切れぬ男の追跡は、むろん少女を慄然とさせたが、それ以上に彼女の心胆を寒からしめたのは、何よりも男の特異な姿にこそあっただろう。
そう、それは陰茎であった。
男の股ぐらから生えだせし恐るべき陰茎なのである。太さこそ並のものと変わらぬが、全長は優に三メートルを超えている。その長大な陰茎を堂々と露出させ、男は高笑いと共に少女へと迫りくるのだ。
その全身から発する性惨の気からしても、男の狙いがレイプにあることは確実だと思われた。でなければ、あのような長大な陰茎を露出したまま少女に迫ることがあるだろうか?
ーーここは、一体どこなの!?
少女には訳が分からない。いつも通りナザレの自宅にいたはずなのに、ふと目を瞬いた瞬間に、目の前の光景が一変したのだ。見たこともない様式の廃屋が立ち並び、人の気配は辺りから一瞬にして消えた。そして、代わりに彼女の目の前にいたのが、あの、長大な陰茎を持つ魔人なのであった。男がその陰茎の先からどろりとした液体を漏らした瞬間に、彼女は悲鳴を上げて、訳も分からぬままに駆け出したのだ。
息が乱れ、足がもつれ、少女は崩れるように倒れ込んだ。ぼろぼろの皮サンダルは片方どこかにすっ飛んでいった。少女は歯を震わせて、瞳に涙を湛えて、恐怖に怯えながら背後を振り返った。
己の陰茎を青眼の如くに構え、滴る切っ先を少女へと向けて、男は酷薄な笑みを浮かべていた。
少女の方は、顔を真っ青に染め上げて、魔人の陰茎を見上げるばかりである。見上げて、神に祈るばかりである。
なぜ? なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか。意味が分からない。何が起こったのかも分からない。何も分からないままに、己はこの異様な陰茎に秘部を貫かれる定めなのか!?
マリアは衝撃のあまり声も出ない。
目の前の巨大な魔羅の男が何を言っているのかは、よく分からなかった。狂人の戯言としか思えない。だが、ともかくも確実なのは、この男の異様なる論理の果てに、己の処女はあえなく散らされようとしていることだった。
魔人は弾かれたように、後ろに跳んだ。刹那ーー、彼の眼前に絢爛なる熱の華が咲き乱れた!
そして、闇の中から、突き刺すような鋭い女の声が響いた。
男一人。女二人。年若き男女の三人が、炎の壁の後ろでマリアを守るように立っていた。
そして、マルキオンの正面からは、先に「下郎」と叱責した声の主がーー、二人の女が黙々と近付いてくる。
マルキオンはこめかみに脂汗を垂らして、憎々しげにその名を口にした。
キアラと並んで歩いていた、少女と言っても良い年頃の若い女が、これまた無造作に手にしたボトルを投げ付けた。
おお、見よ! 魔人の首筋を! 首筋から十字架の先端が突き出て、緑色の血液がピューと溢れているではないか!?
実はこの十字架、先にキアラが投じたものなのである。
マルキオンがかろうじて躱した十字架だが、これはマルキオンを過ぎ去ると、アボリジニの用いる異形の飛去来器(ブーメラン)の如くに空中で回帰し、炎に慌てるマルキオンを背後から襲ったのであった。
クロフォード家長女と四女の、計算され尽くした戦術コンビネーションである。
マルキオンの喉元がブスブスと焦げていく。十字架から放たれる信仰の力が自分の魔界の体を侵食していく感覚を魔人は覚えていた。槍の如き魔羅を持つ魔人は、喉元から血を溢れさせながら悟ったーー。
敵の恐るべき信仰の力を。この日に備えて鍛えたのであろう破邪の武具の威力を。
おそらくは背後でマリアを守護する三人も、同様の破邪の力を備えているに違いない。
全身の信仰の力を込めて聖書を投げつけた。彼女の容貌は先に聖水を操った四女デメトリアと瓜二つである。二人は双子であった。クロフォード家の中でも特に信仰力の強い二人であり、特に姉のエメリアはその慈悲深く自己犠牲的な性格から地元の村民たちの間でも強く慕われていたのである。
そのエメリアでなければ使えぬ必殺の信仰兵器。それが聖書であった。
投げ付けられた聖書は空中で円を描くように急速縦回転しながら、マルキオンへと迫っていく! 並の邪教の徒であれば、この聖書の高速回転に巻き込まれ、全身をズタズタに切り刻まれて果てるだろう。
死に物狂いの特攻である。跳び上がってしまえば、もはや誰にも止められぬ。十字架で全身を打たれようが、さらなる聖水を浴びて燃え上がろうが、マルキオンはもはや止まらぬ。後は重力に惹かれるままに落下し、そして、マリアの秘部を激しく突くだけだ。
とにかく、マリアの処女さえ奪えば、魔人の勝利なのだーー!
だが、あのクロフォード家がーー、この日に備え、アナテマの魔人たちをゲヘナに送り込むためだけに生きてきた彼らが。異端の徒のそのような浅ましい戦術を見抜けないとでも思うだろうか?
彼の体には巨大な斧がずさりと食い込んでいた。その圧倒的な重量がストッピングパワーとなり、空中の彼を地上へ引きずり下ろしたのだ。
そして、オリーヴィアの用いる大斧こそが、対異端用破邪対空信仰兵器"エスピアツィオーネ"であった。この斧には特殊な性質があり、上方へと向けて投げた時にこそ破邪の力が最大化されるのである。四女エメリアの作りし炎の壁を、邪教異端の徒が飛び掛かって越えんとしたならば、オリーヴィアの対空迎撃が炸裂する。
これもまた、鍛え上げられたクロフォード家のコンビネーションであった。
全身を炎で爛れさせ、食い込ませた斧の端から腸を垂れ下がらせ、口と鼻と首からは赤黒い血液を大量失血しながらも、魔人はなおも己の一物を左手で握りしめ、右手を高々と翳した。
それと、魔人の右手手刀が振り下ろされたのが同時だった。
だが、手刀は何を狙った!? あにはからんや、狙いは魔人自身の陰茎だ! 魔人の膂力により、陰茎は根本から立たれた! 激しく血が吹き出す。勃起は充血により引き起こされる。そしてマルキオンの勃起は三メートルに及んでいた。凄まじい出血! 辺りが途端に血霧に満たされる!
マリアの秘部めがけて突撃してくる陰茎槍の前に、彼女は身を投げだしたのだ!
憐れ、エミリア・クロフォードの口内にてマルキオンの陰茎が盛大に射精! 高圧水発生ポンプの如くに溢れ出した白濁液がエミリアの体内を駆け巡り、少女の柔らかき臓腑を白濁の圧力が押し潰す。さらには、彼女の目、耳、鼻、口、尻穴、秘所など、ありとあらゆる人体の穴からピューッとマルキオンの白濁液が飛び出して、そのままエメリアは後ろ向きに倒れ、絶命した!
キアラの投じた止めの十字架を後頭部に深々と食い込ませて。キアラはマルキオンの死を確認すると、なおも茫然自失となっているデメトリアの頬を叩き、マルキオンを聖水により荼毘に付すよう命じた。
それから、変わり果てたエメリアの側へと進んだ。妹の無惨な姿を見下ろし、瞳に焼き付けながら、数秒間、何事かを想い、そして、十字を切った。
とにかく突拍子もない話ばかりである。自分が処女にして懐妊? 生まれた子供が神の子? そして、千五百年後の世界?? 私をレイプしようとする六魔人? 訳が分からない。だが、彼らが自分を命懸けで守ろうとしてくれたことは確かだった。
今はーー彼らを信じるしかなかった。
キアラ以外のクロフォード家の者たち、オリーヴィア、ダリオ、デメトリアたちも、それぞれが複雑な感情を顔に滲ませている。彼らの肉親が、無惨極まる死を遂げたばかりなのだ。それでも彼らはキアラの号令に従い、馬を引き、武具を背負い、旅支度を整えていく。
どれほど旅慣れているのか、数分後には彼らは既にその地を後にし始めた。