第6章 幼児の文学

文字数 11,944文字

第5章 幼児の文学
 先に述べた通り、志賀の主人公は精神性の発達が幼児段階にある。しかし、それは主人公だけではない。作品が具現する倫理性も幼児の段階である。志賀の小説はその点で一貫している。言わば、幼児の文学である。

 自己と他者の間が未分化であるのは、『ハムレット』に対する反感として書かれた『クローディアスの日記』の次のような記述からも明らかである。

 其内疲労から自分は不知吸い込まれるように何か考えながら眠りに落ちて行った。自分はそれを夢と現の間で感じながら眠りに落ちて行った。そして未だ全く落ちきらない内に不図妙な声で自分は気がはっとした。眼を開くと何時かランプは消えて闇の中で兄がうめいている。然し其時直ぐ魘されているのだと心附いた。いやに凄い、首でも絞められるような声だ。自分も気味が悪くなった。自分は起してやろうと起きかえって夜着から半分体を出さうとした。その時どうしたのか不意に不思議な想像がふッと浮んだ。自分は驚いた。それは兄の夢の中でその喉を絞めているものは自分に相違ない、こういう想像であった。すると暗い中にまざまざと自分の恐ろしい形相が浮んで来た。自分には同時にその心持まで想い浮んだ。残忍な様子だ。残忍な事をした……もう仕て了ったと思うと殆んど気違いのようになって益々厳しく絞めてかかる、其の自身の様子がはっきりと考えられるのである。(略)
 翌朝が何となく気づかわれたが、兄は魘された事を知らぬ様子で其日の狩の計画などを自分に話していた。自分はそれで安心はした。然し其想像は其後もどうかすると不図憶い出された。其度自分は一種の苦痛を感ぜしめる。

 志賀は、新劇が演じた『ハムレット』に対する反発として、原典にあたらず、『クローディアスの日記』を書いている。クローディアスは一度も兄を殺そうと思ったことはない。しかし、自分の夢ではなく、兄の夢の中で彼を殺したと感じている。ここでは自己と他者の区別がまったくないと同時に、想像が知覚としてとらえられている。自己は自己であり、他者は他者であるという意識の自己同一性と自己連続性が成立する以前の状態にある。

 これをわかりやすくするために、実際に乳児で起きる事態を紹介しよう。いずれも姉のいる二人の乳児がいるとしよう。二人共に自分おのの話をすると、しばしば言い争いに発展する。彼らは姉という概念を理解している。しかし、自分と相手の姉の区別がわからない。お互いに相手の話している姉が自分のそれと思い、違うと言い争いになってしまう。これが自己と他者が未分化の一例である。

 また、セオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』をモチーフにした『范の犯罪』において、主人公は子どもがほんとうは自分と妻との間に産まれたのではないかという想像が知覚と合一する。それで不快になったあげく、ある時、その妻をサーカスのナイフ投げで殺してしまう。

 主人公は裁判官と次のようなやりとりをする。

「私は後で考えてぞっとしました。私はできるだけ自然に驚きもし、多少あわてもし、又悲しんでも見せたのですが、若し一人でも感じの鋭い人が其処にいたら、勿論、私の故とらしい様子を気づかずには置かなかったと思います。私は後でその時の自分の様子を思い浮かべて冷汗を流しました。--私はその晩どうしても自分は無罪にならなければならぬと決心しました。第一にこの兇行には何一つ客観的証拠のないという事が非常に心丈夫に感ぜられました。勿論皆は二人の平常の不和は知っている。だから私は故殺と疑われる事は仕方がない。然し自分が何処までも過失だと我を張って了えばそれまでだ。平常の不和は人々に推察はさすかも知れないが、それが証拠となる事はあるまい。結局自分は証拠不充分で無罪になると思ったのです。其処で、私は静かに出来事を心に繰返しながら、出来るだけ自然にそれが過失と思えるよう申立ての下拵えを腹でして見たのです。ところがその内、何故、あれを自身故殺と思うのだろうか、という疑問が起って来たのです。意前晩殺すという事を考えた、それだけが果して、あれを故殺と自身ででも決める理由になるだろうかと思ったのです。段々に自分ながら分らなくなって来ました。私は急に興奮して来ました。もう凝っとしていられない程興奮して来たのです。愉快でたまらなくなりました。何か大きい声で叫びたいような気がして来ました」
「お前は自分で過失と思えるようになったというのか?」
「いいえ、そうは未だ思えません。只自分にも何方か全く分からなくなったからです。私はもう何もかも正直に云って、それで無罪になれると思ったからです。只今の私にとっては無罪になろうというのが総てです。その目的の為には、自分を欺いて、過失と我を張るよりは、何方か分らないといっても、自分に正直でいられる事のほうが遥かに強いと考えたのです。私はもう過失だとは決して断言しません。そのかわり、故意の仕業だと申す事も決してありません。で、私にはもうどんな場合にも自白という事はなくなったと思えたからです」

 范は妻を殺したが、それは過失でも故意でもなかったとだけ言っている。自分が「無罪」だとも主張していない。主人公のしたことは自分を強いる「気分」に従っただけであり、それ以上の理由づけは不可能である。范は、自分の中でこの犯罪について堂々めぐりを繰り返した結果、面倒になったかのように、「どんな場合にも自白という事はなくなったと思えた」と言って、弁明をやめてしまう。要約すると、前から妻には不快だったが、ナイフをなんとなく投げたら刺さったということになる。不快だからと石を投げたら、そこにたまたま前から気に食わなかった人が通りかかって殺してしまったという話とに違いはない。これのどこが文学作品として書かれなければならないのかはなはだ疑問である。主人公のこうした態度は殺人の意味を理解していると思えず、精神性・倫理性が幼稚である。

 『アメリカの悲劇(An American Tragedy)』(1925)は現実に起きた類似の複数の殺人事件をモデルにしている。貧しい若い男性が裕福な女性と結婚することになる。ところが、彼にはすでに恋人がいる。そこで彼は邪魔になった彼女を殺害する。加害者は自由で平等、自立した個人である被害者を主体ではなく、客体として扱っている。定冠詞ではなく、不定冠詞を付した「アメリカの悲劇」というタイトルの理由は、こういった殺人事件がアメリカ社会特有のものだと言う認識による。事実、河合幹雄の『日本の殺人』によると、日本では起きていない。

 『范の犯罪』の執筆同期がこの小説を読んだことだとはとても信じたtrない。志賀は殺人などなんとなく起きてしまうものだと言いたげである。動機と実行の間に自己抑制の欠落などではなく、なんとなくの気分がある。明らかに社会性の乏しい認知である。

 いずれの小説も翻案した作品と似ても似つかぬものになっている。志賀の倫理性の幼稚さが見えるのはこの作品だけではない。『正義派』や『好人物の夫婦』など挙げればきりがない。志賀矩道徳性発達が幼いことは彼のキリスト教理解からもわかる。

 志賀は、『濁った頭』において、キリスト教との関わりを次のように述べている。

 私は十七歳のときから丁度七年間温順な基督信者だったのです。
 盗む勿れ、殺す勿れ、いつわりのあかしをたつる勿れ。こう云う種々の禁制がありますが、平和な家庭に育った私の身には、こういう掟の大概のものは殆ど何の矛盾も起しませんでした。然し只一つ姦淫する勿れ、この掟だけにはいつもいつも私の暢気な心も苦しめられました。
 基督教に接するまでは私は精神的にも肉体的にも延び延びとした子供でした。運動事が好きで、ベイスボール、テニス、ボート、機械体操、ラックロース、何でも仕ました。水泳では鎌倉から江の島の間を泳いだ事もあります。学校の放課後も雨さえ降らなければ夕方まではきっと運動場で何かしていました。
 この時分は誰も延びる盛りですから年々夏になると単衣は皆あげを下さねば着られないので、母が笑いながらよく愚痴をこぼしたものです。然し学問の方はそれだけに怠けていました。夕方帰って来ると腹が空ききっていますから、六杯でも七杯でも食う。で、部屋に入ればもう何をする元気もない、型ばかりに机には向かっても直ぐ眠って了うと云う有様です。これが当時の日々の生活でした。
 それが基督教に接して以来、全で変って了いました。基督教を信ずるようになった動機と云えば、極く簡単です。自家の書生の一人が大挙伝道という運動のあった時に洗礼を受けたからで、これが動機の総てでしたろう。
 然しそれからの私の日常生活は変って来ました。運動事は総てやめて了いましした。大した理由もありませんがそういう事が如何にも無意味に思われて来たのと、一方にはみんなと云うものと、自分を区別したいような気分も起って来たからです。
 私の往っていた学校は一体に暢気な気風の所でしたが、それでも本郷通を歩いている高等学校生徒の汚い風姿を羨む一団があって、興風会というものを起した事がありました。私も入れる事になって最初の会へ出て見ましたが、その時の決議がこうです。髪の毛を分けてはならぬ。何分以上、カラーを出してはならぬ。学校の往復にはなるべく俥に乗らぬ事。こう云った事です。私はその晩幹事という男に会って退会させて貰うといったのです。校風改良というような事も、今日の決議のような、総て外側から改革して行く求心的の改良法で出来る筈のものではなく、中心に何ものかを注ぎ込んでそれから自然遠心的に改革されるべきものだ。これは或人の社会改良策の演説中にあった句ですが私はそれをいって、遂に脱会して了ったのです。得意でした。これは今まで味った事のない誇でした。当時宗教によって慰安されなければならぬようないたでも何もない私にはこれが宗教から与えられる唯一のありがたい物だったのです。皆の仕ている事が益々馬鹿気て見える。私は学校が済むと直ぐ帰って、色々な本を見るようになりました。伝記、説教集、詩集、こんなものをかなり読みました。以前も読書癖のないと云う方ではなかったのですが、それは皆小説類で、真面目な本は嫌いだったのです。
 暫くはそれでよかったのです。然し間もなく苦痛が起って来ました。性慾の圧迫です。

 あくまでこれは未成年時点でのキリスト教理解であり、成人後もそうだというわではない。主人公にとって内村のキリスト教は禁制としてのみとらえられている。志賀は、後に、内村から離反する。彼にはキリスト教の中で「姦淫」が切実な問題となる。この場合、それは同性愛である。未成年の志賀は性欲のはけ口として同性愛に耽っている。これが禁制ということが主因で、内村から離れている。

 これは、ローレンス・コールバーグの道徳性発達段階理論によると、慣習以前のレベルの第一段階「罰と服従への志向」にあたる。最も初歩の段階で、罰の回避と力への絶対的服従が道徳的価値観である。幼児が叱られるか褒められるかが善悪の基準にしていることを思い起こせばよい。

 志賀は神が禁制を強いるものという認知をその後も保持している。神や運命、運は気まぐれで意地悪という設定で小説を書いている。『清兵衛と瓢箪』や『小僧の神様』などがそうした例である。近代は価値観が個人に委ねられている。だから、いかなる道徳観に基づいて創作しても構わない。けれども、読者はそれを共有しているとは限らない。紙は気まぐれで意地悪なものだという道徳観を持っていたとしても、それを提示するだけでは不十分である。逆説的にでもよいが、その価値観における理想の生き方を示す必要がある。キリスト教は人間に原罪があると説く。けれども、そこでとどまらず、だからこそ、理想を目指してどのように人間はすべきかと教える。ところが、志賀は神が禁制をも強いるものと認知し、それ以上のことを考えていない。先の二作は嫌味さが鼻につき、読後感がよくない。近代の前提から言って、それは文学に値しない。

 バート・レイノルズ監督・主演の『ジ・エンド(The End)』(1978)に見られるブラック・ユーモアは志賀の嫌味よりもはるかにに健康的である。主人公は、難病によって余命僅かと宣告された患者が自殺しようとする。しかし、失敗し、神に自殺はあなたの気をひくためだったと告白して作品は幕を閉じる。この日本劇場未公開の傑作ではフランク・シナトラの『マイ・ウェイ』が最も効果的に使われていることも付け加えておこう。

 神や運命、運の場合とほかの倫理的課題に関して志賀は多少異なる認知を示している。ただし、帰結主義や直観主義、卓越主義といった道徳哲に遠く及ばない相変わらず幼稚である。

 中村光夫が述べているように、一見したところでは、志賀の作品の世界は「青春」、すなわち思春期を描いていると誤解しかねナシ。しかし、反抗期は思春期に限らない。2歳頃に、自己主張が始まり、「イヤイヤ期」と呼ばれる時期を迎える。何でも自分でやろうとし、親の言うことに「イヤ」と反応する。これを「第一次反抗期」と呼ぶ。中村光夫はここを思春期の反抗期と見誤り、「青春」を志賀に読もうとしている。

 つまり、青春とは、なにより新しい自分を見つける年代。そして新しい時代を感ずる年代である。もっとも、感じた時代をドジに表現することがあって、むやみに刃物をふりまわされたらかなわんが、感ずるだけなら若者に分がある。それが青春の十年。自分も時代も固定して考えることはないだろう。
 その青春の時代に青春の自立があるわけだが、それを固定的に考えて、その後の人生を決定すると考えることもあるまい。自立というのは、人生のステージを変えて、新しいステージに立つことだと思う時代も社会も変わるのだから、決まった形が続くとも思えない。それで、なにが青春の自立化というと、家庭という舞台から社会という舞台に移ること。それまでは、親と喧嘩していようと、たとえ親がいなくとも、世界は家庭だった。世界が変われば自分だって変わって当然だ。しかしながらつい、自分の過去を再現してしまう。新しい舞台なのだから、新しい表現でなければなるまいが、本質は変わらないものだ。未来への出発でありながら、未来というものは不確定にゆらぐ。青春のはかなさは、そうした決定と不確定の間にありそうだ。自立という言葉のニュアンスの反対に、青春にはゆらぎのニュアンスがつきまとっていた。
 ことさらに深刻ぶらずとも、ゆらぎながらも青春。
(森毅『青春の自立』)

 志賀には、この青春の「ゆらぎのニュアンス」がまったくない。初期の作品から晩年の作品まで志賀は一貫している。気分に没入し、自分の存在を確保することを描いている。志賀の小説の世界は「気分」によって支配され、「不快」に始まり「調和的な気分」によって終わる。このような狭く閉ざされ自己完結的な世界が志賀の世界である。抽象性が入らないので、志賀の反抗は慣習以前のレベルにとどまる。思春期に見られる字が形成過程の慣習に対する反抗はない。

 それは「亡き夏目先生に捧ぐ」の献辞がつけられた『佐々木の場合』の次の末尾を読めば明らかである。

 佐々木は今その女の心をさえぎっているのは紋切型な道義心と犠牲心とで、それをとり除く事が出来れば問題は解決すると思っているらしい。そしてその道義心と犠牲心に余りに価値を認めない点が、佐々木も可哀想だが、自分には少しも同情出来なかった。自分もそれらをそう高く価づけはしない。然し佐々木はそれを余りに低く見ていると思った。そして仮令消極的な動機からにしろその女が信じた事を堅く握り締めているその強さに自分はいい感じを持った。佐々木には今の自身の位置を誇る気さえ多少ある。それは無理はない。然し佐々木の妻になることが必ずしもその女の幸福を増す事になるとは自分は考えない。佐々木が或幸福を与えるだろう事は佐々木自身が信じている如く確かかも知れない。然し同時にその女が今持っている或幸福を捨てねばならぬことは確かだ。しかも佐々木には女の今持っている幸福が如何なものかは本統に解っていないと云う気がする。
 自分には何と云っていいか解らなかった。眼前に佐々木の苦しそうな様子を見ると佐々木も可哀想だ。実際佐々木はイゴイストではある。然し決して不愉快なイゴイストではない。自分のした事に責任を負おうとして普通なら三四人も子供のあっていい年まで独身でいて、前を忘れず心からの愛を注ごうとしている。それは悪い感じはしない。然し何しろ女がそれを承知しなければそれはそれまでと云うより仕方がないと思った。然しそうも云えなかった。又そう云ったところでその女の従順な弱い性質を知りぬいている佐々木がそう思えないのは無理なかった。しかも自分には感じられない強さの慾情が彼にはある。自分はそれで、何と云っていいか分らなかった。

 これはコールバーグ理論における「道具主義的相対主義への志向である。それは慣習以前のレベルの第2段階で、正しい行為は自己と他者の相互の欲求や利益、効用を満たすもの、すなわちその交換が公正であるものとする道徳観だ。その認知を善く物語る部分がある。「佐々木が或幸福を与えるだろう事は佐々木自身が信じている如く確かかも知れない。然し同時にその女が今持っている或幸福を捨てねばならぬことは確かだ。しかも佐々木には女の今持っている幸福が如何なものかは本統に解っていないと云う気がする」。志賀は「幸福」の交歓が公正であるかどうかに着目している。幼児がおもちゃを貸してくれたので、その子をいい人と言うのとさほど違いがない。これを文学作品の結論として記しているのだから、作者の道徳性の発達段階が幼いと言わざるを得ない。

 漱石の小説には三角関係を扱ったものが少なくない。『こころ』において主人公は友情と愛情の間で葛藤を覚える。だが、この選択は交換に基づいていない。良心に従っていなかったのではないかという自問がある。これは物語を構成する最大の主題である。コールバーグは道徳性の発達段階を慣習以前・慣習・脱慣習の三つに分類している。『こころ』は脱慣習のレベルにある。道徳性の発達において注視することはその理由である。ジレンマ事態ではない。主人公はこの選択について悩み続けている。この小説を読んでいて、そのジレンマに直面した時、自分ならどうしただろうかと考えずにはいられない。非常に倫理的な作品である。

 道徳性の発達段階が幼児並みであることは『大津順吉』の次のような愛をめぐる記述からも強調される。。

 私はいつか、段々に千代を愛するようになって行った。私は不機嫌なときに殊に其事を感じた。不機嫌な時に千代と話をすると、それが直ぐ直る事がよくあったのである。

 『大津順吉』は主人公が女中の千代と結婚しようとするけれども、父の反対にあって別れる羽目になるという小説である。しかし、そのきっかけは話をしていると不機嫌が直るからその女を愛しているという自覚に基づいている。保育園児がお気に入りの保育士に会うと、機嫌がよくなるのと違いはない。しかも、作者は千代の気持ちについてあまり記述しておらず、二人のこととしてこの件を考えていない。ここでの「愛」は極めて空虚である。文学作品において、「愛」という言葉がこれほど無内容で、空しく使われているケースも珍しい。

 中村光夫は、『志賀直哉』において、志賀の小説での恋愛不在を次のように評している。

 こういう極端に男性を中心にしか感受性の働かない作家が男女間の倫理の問題を扱うのは、それ自身無意味なことです。彼がエゴイストだからなどといっても事態は同じことです。なぜならエゴイストにとって倫理的思索の第一歩は相手のエゴをみとめることにあるのですが、志賀直哉には--そして時任謙作にも--男女間の問題を生活に即して考える限り、この一番の前提が欠けているのです。

 志賀の主人公は自己と他者が未分化で精神性・道徳性の発達段階において幼児程度である。このような主人公の作品は抽象的な問題を扱うことは不可能である。

 幼稚な人物なので、問題解決にも精神的・倫理的挌闘がない。『暗夜行路』の主人公はDV夫である。すべての問題を引き起こしているのは彼だ。ところが、主人公は鳥取の大山登山の途中で迎えた曙光を眺め、風景と合一した感覚になり、すべて許そうと思う。「不快」が「調和的気分」」になったから、どうでもよくなったというところだ。

 主人公は、『暗夜行路』後編の十九において、次のような風景との一体感を覚えている。

 疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感じられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んでいくのを感じた。その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、--それに還元される感じが言葉に表現できないほどの快さであった。何の不安もなく、睡い時、睡に落ちて行く感じにも多少似ていた。一方、彼は実際半分睡ったような状態でもあった。大きな自然に溶込むこの感じは彼にとって必ずしも初めての経験ではないが、この陶酔感は初めての経験であった。これまでの場合では溶込むというよりも、それに吸込まれる感じで、或る快感はあっても、同時にそれに抵抗しようとする意志も自然に起るような性質もあるものだった。しかも抵抗し難い感じから不安をも感ずるのであったが、今のはまったくそれとは別だった。彼にはそれに抵抗しようとする気持は全くなかった、そしてなるがままに溶込んで行く快感だけが、何の不安もなく感ぜられるのであった。

 主人公には自分の認知行動への自覚やその正当化を反省的に行うこともない。彼は自己完結し、何も学んでないし、何も変わっていない。「考えてどうにでもなることではない」のではなく、主人公に考える能力がないと言わざるを得ない。「直子を憎もうとは思わない。自分は赦す事が美徳だと思って赦したのではない。直子が憎めないから赦したのである。又、その事に拘泥する結果が二重の不幸を生むことを知っているからだ」。

 確かに、環境や気分が施行に与える影響は否定できない。「気分転換」という言葉があるように、環境を変えて気分をリフレッシュすると、行き詰まりが打開できることはよくある。だから、思い悩んでいる人が雄大な自然の風景に触れて「なんて自分はちっぽけなんだろう」と自己批判して考えを改めることもある。

 アランは、『幸福論』所収の「遠くを見よ」で、「抑うつ患者」に遠くを見ることを勧めているが、それは彼らが「ものを読みすぎる人間」だからであり、これは、「自分の意志で自分を自分に指し向け」、「すべての悪い癖を引き出す」。しかし、志賀の主人公は逆である。ものを読まない人間で、「自分の意志で自分を自分に指し向け」ることがなく、「すべての悪い癖」を気分から引き出す。そういう人間が「遠く」を見ても、自己の相対化につながらない。「ニヒリズムは『徒労!』を観念するだけのことではない(略)。それは手をくだすこと、徹底的に滅ぼすことである……(略)。これは強い精神や意志の状態を必要であり、かかるものには、『判断』による否定に立ちどまっていることは不可能である、--実行による否定がその本性からは生ずる」(ニーチェ『権力への意志』24)。

 志賀の小説に近代批判を読み取ることは、少なくとも、倫理性に関しては無意味である。
前近代は共同体である。その文学は共同体の認める規範に従っている。作者と読者は規範を共通理解として作品を交歓する。その規範はコールバーグ理論の監修のレベルに属する。一方、価値観が個人に委ねられている近代の文学は慣習レベルに対して脱慣習レベルの倫理を提示する。そのため、近代文学は従来の道徳観としばしば衝突する。

 中村光夫は、『志賀直哉』において、『暗夜行路』の主人公は近代社会でなければ生きられないと次のように述べている。

 そして事実、謙作の魅力がその野生あるいは肉体性にあることについては後に述べますが、しかしだからといって、一部の批評家のように謙作を作者が近代人の衰弱に対置した原始人間などと考えるのは、ひいきの引倒しに類するものです。
 謙作の肉感性は、先に述べたようにその生活の抽象力から生まれたものであり、人間がこのように抽象的な存在になり得るというのは、近代社会を背景として初めて可能なことなのです。謙作のように総てを「純粋に俺一人の問題」に還元し、周囲の人間など認めない生活無能力者が、原始社会に生き得るかどうかは考えるまでもありません。こういう「我儘者」などそこに存在を許されませんし、たとえいたにしろ、すぐに餓死か刑死の運命が彼を見舞ったでしょう。

 志賀の主人公は近代社会でなければ生きられない。前近代社会は共同の認める慣習に従わなければならず、彼のような気ままに生きられない。また、原始社会であれば、今日食料が手に入っても明日そうだとは限らず、家族や仲間と協力しなければ食べることもままならない。しかし、志賀の作品に「生活」の「抽象化」はない。幼児の世界に生活感がない。それは中村光夫のような大人にとって生活の現実感を覚えないため、一見すると、「抽象化」に思えてしまう。その誤解から「青春」を見出し、「肉感性」を錯覚する。けれども、中村光夫の認める志賀の主人公の「肉感性」はたんに精神性・道徳性発展の未熟さに過ぎず、魅力はない。

 志賀の小説に比ゆが非常に少ない。比喩は隣接性と類似性に基づく表現である。それは二つの別の対象が隣り合っている、あるいは本卒的に似ているとして扱う。「ごはん」で食事を示すのが前者、油揚げ入りのうどんを「きつねうどん」とするのが後者である。比喩には抽象化が不可欠であり、志賀にこの表現が乏しいとしたら、それが欠けていると考えざるを得ない。

 『暗夜行路』後編の十四は「永年、人と人と人との関係に疲れ切って了った謙作には此所の生活はよかった」というセンテンスから始まるが、それまで読み続けてきた読者には「人と人と人との関係」という言葉に首を傾げたくなる。そこに至るまで、具体的な対他関係に関する記述がまったくなされていない。後編八に「彼は甚く弱々しいみじめな気持になるかと思うと、発作的に癇癪を起こし、食卓の食器を洗いざらい庭の踏石に叩きつけたりした。或時は裁縫鋏で直子の着ている着物を襟から背中まで裁ちきったりした事がある。こんな場合、彼ではその時ぎりの癇癪なのだが、直子は直ぐ源を自身の過失まで持っていき、無言に凝っと、忍んでいるのだ。そしてその気持が反射すると、謙作は一層苛立ち、それ以上の乱暴を働かずにはいられなかった」とあるが、こうしたドメスティック・バイオレンスを志賀は、まさか「人と人と人との関係」と呼んでいるのかと唖然とする。

 すでに述べた通り、主人公のDVはマイナスのストロークである。彼は精神性・道徳性の発達段階が幼児程度であるため、「関係」が抽象的で十分に理解できていない。「関係」に限らず、「放蕩」や「人生」」など唐突に抽象的な単語が登場する。しかし、中野重治が『「暗夜行路」雑談』において指摘しているように、それらは概念として非常に不明確であり、読み手にイメージを喚起させるものではなく、抽象的な語は「逃げの言葉」にすぎない。

 志賀自身は、「あとがき」において、『暗夜行路』の「主題は女の一寸したそういう過失が、--自身もその為め苦しむかも知れないが、--それ以上に案外他人を苦しめる場合があるという事を採りあげて書いた」と言っている。しかし、『暗夜行路』の全編にみられるのは、DV夫の主人公が「不快だ」とただわめいているだけである。「あとがき」から明らかに主人公だけでなく、志賀自身も道徳性が幼稚だいいう自覚がない。

 近代文学の倫理を批判するアプローチにはいくつか考えられる。まず、近代を踏まえた上で、慣習レベルの再検討を示すことである。次に、科学技術の進展などにより現場での新たば倫理が要求される事態に対処することである。さらに、フェミニズムを始め近代の理念をより実現化する際に多様な価値観が衝突し、その間の調停が求められることもある。志賀の小説にはこうした傾向は認められない。近代の理性中心主義への身体や気分による批判も考えすぎである。中村光夫が指摘しているように、志賀の主人公は近代社会でしか生きられない。近代を相対化できないのだから、批判にならない。

 第一に、人々が自分の行動の動機だと言ったり信じたりしているものによって実際に彼らの行為を十分に説明することができる、と考えられて来ましたが、こういう古い幻想にとどめを刺したのがフロイトなのです。(略)第二に、フロイトはマルクスの仕事を補いながら、歴史家に向かって、自分自身を、歴史における自分の地位を、また、彼のテーマや時期の選択、事実の選択や解釈を導いて来た動機--恐らくは、隠れた動機--を、彼の視覚を決定している国家的社会的背景を、彼の過去観を形作っている未来観などを吟味することを勧めて来たのです。
(E・H・カー『歴史とは何か』)

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