悪辣な過ち

文字数 1,972文字

 嘆く女に、認証ブレスを外したまま外に出ればその場で撃ち殺されると告げ、春月は彼女の部屋を出た。
 早朝、彼女の部屋を開けたのは、特対課監察係に所属する何者かであり、その人物、あるいは、部屋を荒らした人物が再び彼女に刃を向ける不安はあった。
 だが、何も出来ない自分が居ても意味は無い。春月はそう結論付け、棘の有る言葉を残す事しか出来なかった。
「あぁ、春さん」
「無人機の手配が出来た様ですね……尤も、監察のした事となれば、このドローンも何処まで役に立つか……」
「無いよりゃましだ」
「私の様な物ですね」
 自嘲的な言葉に、兼定は眉を顰める。
「それで、課長には」
「会ってきたが……どうも、脅すところまでは織り込み済みの様子だった。壊された物の補償はすると言っているが、調査をする気はないらしい。おそらく、部屋を荒らしたのが誰か、あの人には見当が付いているんだろう」
 春月は呆れた溜息を吐く。
「それで、研修は」
「デルフォイの判断で、強い力の持ち主だから、鍛え上げろと」
 春月は胸の奥を抉られた様な感覚だった。
「下手に(そむ)けば危険なだけだ……悪いが、春さんの方でなんとかそれらしい事をしてくれ。今俺に何かあれば、他の連中全員に係わる事になる」
「……分かりました」
 全ての感情を呑み下し、春月はそれを受け入れる。
「とは言え、今日の研修は休止で構わん。どうせ二週間しかないんだ、まともな研修成果は望んでないだろう」
「そう、ですね……では、無人機の対応については、兼定君にお任せします」
 言って、春月は部屋の前から遠ざかる。
 兼定は押してきた無人機の電源を入れ、詳細な設定を整える。
 何事も無い事を祈りながら。

 庁舎内は昼食時を迎え、十三階の資料室に人影はなかった。
 春月は個人情報検索用の端末を立ち上げ、記憶を頼りにあの女についての情報を集めようと試みた。
 しかし、本人の情報は見つからず、おそらくは面識があるだろうその父親に関する情報、それどころか、更に上の世代に関する情報は、特別な権限のある人間にしか閲覧出来ない設定がなされていた。
 試しに、自分の身内の情報を調べてみれば、検索結果には候補が表示される。
 彼は思わず首を振った。こんな事があるのか、と。
 そして、端末機を変え、もうひとつの記憶を頼りに、手掛かりを探した。
 すると、意外な物が見つかった。
 フィルムから現像された印画紙の写真が数枚置かれた机の上を、デジタルカメラで撮影したらしい写真を加工した広告用の画像の中にある、一枚の家族写真である。
 きょとんとして母親の前に立つ、山吹色の着物の少女と、腰掛けて穏やかに少女に視線を向ける父親の姿。
 春月は画像を拡大し、少女の後ろに立つ、くすんだ紫色の着物を着た女性の顔に顔面認証のレンズを向ける。案の定、その情報は名前しか出てこなかったが、物は試しと一般の検索をしたところ、その旧姓が判明した。
 彼はその名に目を(みは)り、心当たりを探す。
 そして、遂に見つけるに至った。
 あの女が誰であるかという証拠を。
 
 続けて、彼はあの女を取り巻いていたであろう人間を調べ始めた。
 彼女は岡山県にある深玉市なる街の嘱託職員だったと語っていた事から、調査権限を行使し、職員名簿を検索する。そして、ハンターとして働いていたらしい事から、害獣駆除を担っているはずの生活環境課の名簿を開き、其処にその名前がある事を確かめた。
 彼女の前職が確定した時点で、その上司である生活環境課の課長について調べた結果、名前は犬山正臣(まさおみ)、東京科学大学出身で現在も人類進化学会の会員かつ、市が主催したとある講演会の広報内容から、変異体排斥主義者である事が窺える人物である事が判明した。
 しかし、ただの地方公務員が、何故、警視庁公安部特対課に人間を送り込めるのか、その見当はつかなかった。
 春月はウェストコートの胸元に隠れた名鑑を取り出し、名鑑入れの後ろから小さな記録媒体(メモリーカード)を抜き出す。
 誰にも見つからない事を願いつつ別の端末を立ち上げ、その記録媒体を読み込ませる。
 それは一か八かの賭けだった。
 もし、私的なメールアドレスを使ったやりとりをしていれば、それは分からないのだから。
 だが、彼はその賭けに勝ったようだった。
 犬山があの女を斡旋するに至るまでの経緯が、其処に有ったのだ。
 彼は手早くその情報の写しを記録媒体に落し込む。
 そうしていると、廊下に誰かの雑談の声が響き、静まり返っていた資料室にもそれが届く。
(時間切れ、か)
 データが落し込まれたところで、彼は記録媒体を取り出し、元有った場所へと隠す。そして、立ち上げた全ての端末の電源を落とした。
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