第68話

文字数 2,966文字


源三郎江戸日記68

こうやっておけば儲かりますがなと言うと、旦那さんは大阪の人でっかと聞くので、いや生国は四国の伊予の国だよ、元は船頭だと言うと、それはえらい出世ですなと言うので、さる方、
に会ったのが運がついた始まりだと言うと、まるでえびすさんみたいな人ですなと言うので、そういえば魚釣りは名人だそうだと笑ったのです、こんどあわせておくなませと言うので、
大阪にきなさつたらお前を呼ぼうと言ったのです、

2日後に博多からの船が着くと大石と吉田忠座衛門に他3人が加わり、5人で江戸へ下る為に玄海屋に顔を出したのです、大阪で一泊されますか、船の出港準備は出来ておりますと言うと、
これから船にのれば和歌山泊りですかなと大石が聞くので、夜間も走れますと言うと、それなら出立しましょうと言うので、後は番頭に頼み小船で船に乗り移ると、船頭が帆を上げろと、
言うと和歌山へ船は進んでいったのです、

大石がこれはまた帆が斜めになるのですかと言うので、前から風が来ても帆の向きで右斜めに行き次は左斜めにいけばすこし距離を損しますが前に進める工夫がしてあるのですと言うと、
これが源三郎様の知恵で御座るか、しかし今日はくもり空で星は見えませぬが夜中に方角がわかるので御座るかと言うので、これは秘密ですが大石様ならいいでしょうと、総舵手の、
元に連れて行き、

ここは雨が降って来た時は、この横に置いてある油を含ませた布で覆い小屋になります、この総舵手の右下に方位磁石計なるものが取り付けてあります、外からは見えなくなっています、
がこの布をはがすと見えますと言って見せると、なるほどこの針が真北を指すので、回りの目盛りを刻んだ物を合わせれば細かく方角が合わせられるのか、これは凄いと言うとこれも、
源三郎様の知恵に御座います、

なんでも陰陽師では、これに似たものが道具としてあり、鬼門である北を調べてそこを鬼門とするのだそうです、宋から奈良の都に到来したものだそうで、南蛮船には必ずあるそうです、
がこれは禁制品になっているそうです、しかし、陰陽師で使ったいるのだから自分で作るのは抜荷にはならないとの事で、これがあっても千石船では外海を乗り切って南蛮には行く事は、
できませんので幕府も禁止はしないと言うておられましたと言うと、、

どうやって作ったのですかと聞くので、私も詳しくは知りませぬが、この針をつくるのにコツがあるそうです、又陰陽師で使っている物を持ってきても、揺れる船では方位が定まらない、
ので色々と工夫がしてあるのです、源三郎様にお聞きになれば詳しく教えて頂けますよと言うと、源三郎殿は学者ですなとみんなが感心したのです、この船があれば大儲けできますなと、
言うので、

この方位磁針計をつんでいるのは玄海屋と相模屋の船だけです、相模屋には職人が作った物を500両で買って貰っております、今まで16個作りましたので、8000両近くの儲けと言う事に、
なります、材料費は極安いのですよと言うと、早く源三郎殿と知り合えば赤穂藩も儲かり、吉良様へは多くの進物も沢山届けられて、こんなに苦労する事はなかったやも知れませぬと、
言うので、

それは殿様がお許しにならなかったでしょうと言うと、黙ってやる勇気の者がいなかったので御座る、手前がおれば殿には内緒て送り、怒りを買えば腹を切ればいいのでござるよと言う、
と、吉田がそうですな大石様以外には出来ぬ事であったでしょうと言うと、大石がいまさら悔いてもしかたない、何とかみんなが平穏に生きていけるようにしたいものじあなと言ったの、
です、

冷えてきましたので船倉にはいりましょうと言って、畳みの敷いてある部屋に案内すると、それぞれ荷を解き座ったので大石が足は崩しなされと言うので、みんなが足を崩すと、船子、
が膳を運んできて、この船なはかまどもあり、飯も炊け汁も煮れますと言って、山クジラの煮物、イワシの丸干し、取れたてのカツオの刺し身ですと言うと、これはこんな馳走が船で、
食できるとはと言うので、

さあ箸をつけてくだされと言うと、みんながカツオの刺し身を食べて、これは取り立てですな美味い、美味いと喜んだのです、七衛門が大石に酌をすると気は使わんでくだされ、みなも、
手酌でなと言って飲み干したのです、しかしこの船で旅が出来れば楽しゅう御座いますなあと言うので、3隻は荷を運ぶ船ですが、1隻は江戸、駿河、尾張、伊勢、和歌山、大阪を航行し、
て客を主体に乗せています、

女子供、年寄りを優先に載せて、お武家、町人は問いません、伊勢参りに一生に一度は、行きたい人は沢山おります、源三郎様があまり便利にすると、東海道の宿場が寂れてはいかんので、
帰りは病人、女子供、お年寄り以外は陸路を通るように勧めよとの言いつけでして、いくらお武家様でも空きがなければ、お断りしておりますと言うと、なる程それは年寄りや女子供は、
喜ぶ事でしょう、

わしもお伊勢参りはした事はありませぬと言うので、それでは帰りには伊勢に寄らせますので、是非お参りして京都にお戻りなされませと言うと、そうしますかと言うと、みんなが喜ん、
だのです、ところで源三郎殿が高鍋藩の藩士でなく旗本であれば出世なさり幕閣に入り良い政が出来るでありましょに勿体無いと言うので、柳沢様が1000石で旗本して召抱えて、まずは、
町奉行にする、

がどうだと言われたそうですが、そうなれば公方様にも忌憚のない意見を言って、お怒りを買い直ぐに切腹させられるのでとお断りされたのですと言うと、なる程いくら知恵があろうと、
魑魅魍魎の幕閣では政を正すのは不可能と言う事ですな、それで外から間違いを正そうとされているのか、しかし勿体無いと酒を飲み干したのです、みんなも船旅を楽しみ順調に航海し、
て2日後には佃の沖に停泊して、

小船に乗り換えまずは日本橋の天野屋にわらじを脱いだのです、利兵衛が出迎え、お久しいぶりに御座います、回は大変な災難に会われましたようでと言うと、ところで天野屋の赤穂の、
塩の商いはどうなりましたかと聞くと、城をお預かりされている脇坂様が従来通り塩の商いは天野屋に任せると言われました、そのまま、大阪、江戸で商いをしておりますと言うので、
それは良かった、

赤穂藩の改易でとばっちりを受けなければと思うていたので御座ると言うので、脇坂様は浅野のお殿様は気の毒だったと悔しがったおられました、そのお陰で脇坂様のご家老様の姫様と、
大石様の嫡男主税様との縁談がダメになったそうで何と言うていいやらと言うので、済んだ事で御座る今回は、奥方様へのご報告と、幕府に出している、お家再興のお願を多くの方々が、
ご助力されているそうで、

そのお礼に江戸に下り申した、10日は滞在いたしますのでなにとぞ良しなにと言うと、奥の放れが用意して御座います、何日でもご逗留くだされませと言って、みんなを案内したのです、
荷を解くと、奥田孫兵衛、堀部安兵衛いか江戸急進派の面々が集まり、孫兵衛がよくおくだりくだされましたと言うと、あれより半年じあみんなも元気そうじあなと言うと、安兵衛が、
吉良は本所松坂町に屋敷換えになり、

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