第6話

文字数 1,517文字

 高校の夏期補習授業の帰り、友達一人と制服のまま、ハンバーガーショップに行った。
 いつものようにハンバーガーやジュースを買って、それをトレイにのせて店の2階に持って行った。2階の席も高校生や小さな子供を連れた母親でいっぱいだった。音楽と人の声とフライドポテトの匂いが混ざり合っている。
 窓際の空いているテーブルを見つけた。女友達と向かい合わせに座って食べ始めたときに、斜め横に三人グループの客がいて、そのうちの一人が、知っている人だと気がついた。
 家庭教師のTだ。Tは大学生らしい男女と一緒に席についていた。私からは、Tの背中しか見えない。けれど間違いなくTだ。テーブルの上にはハンバーガーやポテトや飲み物があって、Tの向かいには、私から見ると大人そのものの落ち着いた雰囲気の女性と眼鏡をかけた男性が座っていた。
「いただきます。お腹すいたね」
 向かいに座る友達に、私は笑いかけながら、ハンバーガーに齧りついた。
「今日ね、山田先生がね」
 友達がハンバーガーを食べながら、担任の先生の悪口を言い始めた。私はうなずきながら、友達の話を聞いていない。
 私の全神経はTに向いていて、肌で気配を探り耳で言葉を拾った。病理学、臨床実習、耳慣れない言葉が聞こえる。ときおり三人で笑い声を上げる。Tが、高い声で笑うときがあるのだということに、私は驚いた。Tの表情が見たい。
「ポテト食べないの?」
 友達が訊いてくる。
「うん、胃の調子が悪いの。全部あげるから、食べて」
 私はポテトを友達に押し付けた。
 Tの向かいに座っている女性が、Tに笑いかけながら話している。サークル、映画、ねぇ今度一緒に行きましょうよ、話の断片が聞こえた。
 あの女性とTの関係は何なんだろう。あぁ、Tの表情が見たい。同じテーブルにいる眼鏡の男が、女性の肩に手を置く。眼鏡と女性がカップルなのかしら。
 店内には明るい音楽が流れていて、私の前では女友達がずっと担任の先生の悪口を言っていて、私はTの背中を視線の端でとらえている。
 何度も私の勉強部屋で見たTの背中。その背中が楽しそうに笑っている。私が見たことのない背中。胃が気持ち悪い。
「そろそろ帰ろうか」
 友達と席を立った。
 そのとき、Tの向かいに座っていた女性がトイレに入って行くのが見えた。とっさに私も「あ、トイレに行くね」と、2階の階段横のトイレに向かおうとすると「私も私も」と言って友達がついてきた。
 トイレの中には個室が三つあって、どれも使用中だった。このどれかに、あの女性が入っていると思ったとたん、私の口から言葉が出てきた。
「さっき、私の家庭教師がいたの。医学部の学生で、Tって言うんだけど」
 私はTのフルネームを言った。声のボリュームは、トイレの個室の扉を通過できるくらいだ。
「えっ、家庭教師がいたの? かっこいいの?」
 友達が声を張り上げた。
「うーん、見た目はまぁまぁなんだけどね、エッチなの、触るんだよね」
「えぇー、触るってどこを? それ問題でしょ、家庭教師なのに」
 友達が叫んだときに個室のひとつから、あの女性が出てきた。私と友達の顔をじろりと見る。私は目を逸らして、女性が出てきた個室に逃げるように入った。
 気分が悪い。お腹が痛い。トイレに座ると、やはり生理になっていた。赤黒い血が便器の中に落ちた。気分が悪いのは、自分のせいだ。私は私自身が気持ち悪い。
 トイレの壁には『トイレットペーパー以外のものを流さないでください』と張り紙がある。
 私の悪意は、流しても良いのだろうか。私の中にある邪悪などろどろも、赤黒い血と一緒に流れるのだろうか。黒い言葉は、どこに行き着くのだろう。
 私はお腹を抱えて身体を折り曲げた。
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