3 のっぺらぼう

文字数 1,049文字

「お嬢ちゃん、ひとりなの」
 通路を挟んですぐ横の座席にいたおばさんが、声をかけてきた。知らない人と迂闊(うかつ)にしゃべると危ないから、目を合わせず、聞こえないふりをする。
「あなたは、どこが欠けているのかしら」
 異様に近い気配を感じてふり向くと、目の前に、のっぺらぼうの顔面があった。おばさんが身をのりだしてきているのだが、首がふつうじゃなく長いらしい。
 あたしは悲鳴を呑みこみ、かたまった。

 おばさんは()めまわすようにあたしを見て――目がないのだから、見たと表現していいのか微妙だけれど、いかにもそんなふうに頭を動かしていたのだ――長い首を空中で(かし)げた。
「あらまあ、どこも欠けていないみたいね」
 音もなく首を引っこめて、隣の窓際の席で外を眺めていた男になにやら耳打ちをしている。
 おばさんはパステルカラーのきれいな和服をしゃんと着こなしているのに、男はしょぼくれた焦げ茶のスーツ姿だ。
 男が体をこちらに向けると、四角い顔面に、目と鼻と口が二人分あった。
 鼻は顔の中央とおでこに、縦に二つ重ねたようにあり、口は顔の下半分に、左右に並んで二つある。目は二対が上下二段になっていて、その四つの目を大きく見開き、瞳をきょろきょろ動かして、男はあたしを観察した。
 あたしは金縛りにあったみたいに、動けない。

「欠けのない人は、かわいそうだねぇ」
 男の右の口が、への字に曲がり、しわがれた低い声でしみじみと言った。
「ごめんなさいね、変な意味じゃないのよ」
 今度は男の左の口が、おばさんの声で言い、媚びを売るように口角を上げた。
 同時におばさんが片手をふり、その手を伸ばしてきてあたしの肩を軽くたたいた。男の左の口が発する言葉に、ぴったり合った動きである。
「きっとあなたも、大人になれば、欠けたところが見つかるわ」
 男の左の口が、ことさら明るい調子でつけ足した。

 どうやら男の左の口は、おばさんの用を足している。
 ということは、たぶん、目と鼻もそうなのだろう。
 あたしは、はっとした。
 おばさんの分の目と鼻と口は、もとから男のものだったんだろうか。男はどこかの段階で、奪ったんじゃないだろうか。
 だとしたら、あれが、あたしに期待して要求してくることと、とても似ている匂いがする。
「いいねえ、若い人は」
 左右の口で声をそろえ、男は四つの目を弓なりにして(ずる)そうに笑んだ。
 おばさんは、ゆで卵みたいな顔面に、笑い(じわ)を寄せている。
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