第1話

文字数 1,897文字

「乗ります!」

 エレベーターに慌てて駆け込んだ。

「上ですか?」

「下だよ」

 先に乗っていたおじさんはそう答え、『開く』のボタンを押して待ってくれている。

「すみません!」

 私は急いでエレベーターを降りた。

 エレベーターホールにもう一人、私の他に人がいた。
 恥ずかしい……。
 朝一番の上映を観る時はいつもギリギリになってしまう。

 到着した上りのエレベーターに、二人で乗り込んだ。

「何階ですか?」

 私よりもずっと若い男の子——二十歳ぐらいだろうか。
 とても素敵な声だった。

「5階です」

 そう答えながら数字が並ぶ停止階の表示を見ると、既に5階のボタンが押されていた。

 この子も映画を観に行くんだな。

 目的の階に着き、扉が開く。

「どうぞ」

 当然、青年が先に出ていくと思って後方で待っていると、私を先に降ろしてくれる。

「ありがとうございます」

 エレベーターから降りて一人でチケット売り場に向かいながら、私がもっと若ければこれが恋の始まりだったりするのかなぁなどと思った。

 素敵な声。
 紳士的な態度。

 もし観る映画が同じなら……。
 偶然、席が隣なら……。
 少女漫画的な想像を膨らませた。

 もちろんそんなロマンチックな展開は皆無で、彼がその後どの映画を観たのかもわからない。

 そして年末のスケジュールに無理やり詰め込んだその日の映画はあっぱれなほどハズレだった。

 * * *

 年が明けて最初の映画は、久しぶりに洋画を選んだ。

 券売機に会員カードを入れたら詰まってしまって出て来ない。どうにもならず、スタッフさんを呼んだ。

 カチャカチャと鍵で券売機を開けてカードを取り出し、

「どうぞ」

 と手渡してくれる。

 救出されたカードを受け取りながらその声に私の心が反応した。

 声の主は真顔の青年。

「ありがとうございます」

 私はチケットを買い、新年最初の映画を観た。頭の中で「どうぞ」が駆け巡り、映画の内容はほとんど入ってこない。

 間違いなくあの日と同じ「どうぞ」だった。

 この映画館で働いていたんだ。
 映画を観る楽しみがまた一段上がったな。

 そんなことを考えながら上の空で観た映画が終わり、明るくなった劇場の席を立つ。まばらだった観客は早々と立ち去り、私は一人残った。

 掃除をするためにスタッフさんが入って来る。

 椅子にかけていたコートを羽織り、忘れ物がないか確認していると

「おもしろかったですか?」

 と声がした。
 声の方を見ると彼がいた。

「映画……」

「あっ、あんまり頭に入らなくて……」

 ほうきとちりとりを手にした彼が返答に困っている。

 でもまさかあなたのことを考えていて、などと言えない。

「僕、あと30分ぐらいでバイト終わるんで、よかったらどこかでお話しませんか?」

「えっ?!」

「すみません‼︎ ご迷惑じゃなければ……」

 夢?! まぼろし?!

 なにが起きたのかわからないまま、2階のカフェで彼が来るのを待った。


「すみません。お待たせして」

「いえ……、ぜんぜん……」

 私の前に座り、あの素敵な声で彼が話す。

「こんなこと言ったら気持ち悪がられるかもしれないですけど、実はずっと前からあなたのこと知っていました」

 あんまり驚いて、持っていたコーヒーカップを落としそうになる。

「僕がバイトを始めた頃、まだ慣れなくて……あなたが映画館の会員カードを作りに来たときに僕が対応したんです。登録を失敗してすごく時間がかかってしまって……」

 あ……。そういえばそんなことがあった。

「でも、嫌な顔ひとつせずににこにこして待っていてくれたんです」

「それからもよくひとりで映画を観に来られて、いつもスタッフにやさしく声をかけてくださって……」

「そ……そうかな……」

「上映の間に掃除をするときにも『ありがとう』って」

「それはみんな言うんじゃ……」

「そんなこと言うひとほとんどいません」

「それに……」

「その声が好きなんです」

 ちょ、、ちょっと待って‼︎
 そんなに真っ直ぐ……。

「ありがとうっていう言葉がこんなに人を幸せにするんだなぁって思ったんですけど、それはあなたの声だからこそでもあるんだなって」

 こんなに真っ直ぐ思いを伝えられたらこちらの気持ちをごまかす余裕すらなくなってしまう。

「じ……実は……」

「この間、エレベーターで一緒になったとき」

「私もあなたの声、素敵だなぁって思って……」

「今日、会員カードが詰まってしまってあなたが助けてくれて、ここのスタッフさんだったんだと知って」

「それで、映画が頭に入らなかった……」

「……」

「……」

 私たちは無言でコーヒーをすすった。

『あの……』

 ふたり同時だった。

 そして一緒に笑って、それから……。


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