第七章 理由

文字数 7,423文字

第七章 理由

とりあえず、布団のカキツバタに入ってみたのはいいものの、とにかくあるものが、聰が想像している「布団屋」とはかなり違っていた。勿論、販売している物はまぎれもなく「布団」なんだけど、、、。

「ここに、書いてあるブランドがとりあえずあるかどうか見てみてよ。」

淳子の指示を受けて、水穂からもらったメモを出す。

「は、はい!」

列記された「失敗布団」の名前が出ているかどうか、売り棚を確認してみるが、あったのは、一つか二つ程度であとはほとんど扱っていないことがわかった。

あるとしたら、東京西川とかそういうものばっかりだ。

「はい、いらっしゃいませ。」

ぽかんとしていると、店長さんだろうか、品の良さそうな白髪頭のおじいさんが、二人を出迎えてくれる。

「はい、ふ、布団が一枚ほしいんですが。」

「どんな布団なんでしょうか。」

頓珍漢な答えでも、変な顔をせずに、笑って受け止めてくれるところは、やっぱり接客も一流のお店である。

「はい、敷布団が一枚ほしいんです。それも、普通に売っているものは全部だめ、ムートンなんかもほこりがたかったら体を悪くするからって言って、使ってないんです。」

「なるほどねえ。じゃあ、今は夏だからいいでしょうけど、冬になったら寒いでしょうね。」

「しょうがないじゃないですか。毛とか羽毛とかそういうものは、一切使えない人だっているでしょうから!」

もう少し、自分の口がうまかったらなあと願わずにはいられない。しかもなんでおじいさんに、冬になったら寒いと言われて、こんなにムキになってしまうんだろう。

「あんまり怒らないでよ。店長さんは、馬鹿にしているわけじゃないわよ。」

隣で、淳子がそう言っている。

「ははは、奥さん思いですな。しかし、奥さんのために、わざわざご主人が一緒に布団を買いに来るなんて、偉いですねえ。」

「夫婦じゃありませんよ、俺たちは!」

どうやら新婚夫婦と勘違いされてしまったらしい。新生活のために布団を買いに来たのだろうと思われているようだ。

「使うのは、彼女じゃなくて、俺たちが働かせてもらっているところの、偉い人なんです。それに、ダニとかほこりとか、そういうものに、ことごとく弱い人で、いろんな布団を使ったけど、失敗してます!」

もうちょっとうまい説明ができないものかなあ。あーあ、俺はどうしてこんなに説明するのがへたくそなんだろう。

「そうかそうか。それじゃあ、ダニで蕁麻疹が出たとか、アトピーが出たとかそういう人なのかな。じゃあですね。この布団なんかはどうでしょう。滋賀の近江というところで作っている、近江真綿というものを使っているんだけど、これは、その中でも有名な工房から昨日入荷したばかりなんです。」

そう言って、おじいさんは、一枚の敷布団を出してきてくれた。生成色の、つやつやに光沢のある敷布団で、明らかに一般的な布団とは違っている。

「おうみまわた?なんですかそれ?」

「滋賀のね、近江というところで作られている伝統的な布団ですよ。絹は蚕の繭から糸をとりますが、生き物ですからね、汚れがあったりして、糸をとれない繭というものもよく出るようなのです。それを、加工して布団の中身にしたものが真綿です。綿とか化繊に比べると、繊維が長いので、ほこりを寄せ付けにくく、清潔度が高いという利点があります。」

確かに、水穂さんには、ほこりを寄せ付けないというのは最高だと思う。ほこりは、彼にとって、凶器にもなりかねない。

ちなみに、これは余談であるが、汚れがあって糸をとれない繭というものは、養蚕をやっていると結構出るようで、江戸時代になると、その繭からも無理やり糸をとる技術が開発された。その糸を使って織った着物が、いわゆる紬というものになる。杉三が愛用している黒大島もこの原理で作られている。まあ、贅沢禁止令で絹の着用が禁止されたときに、なんだ、そんなの不公平じゃないか、俺たちも着たいぜ!と怒ったお百姓が、発明した着物というのが定説になっているが、そうなれば恐るべし、庶民の知恵だろう。

「で、でもこれ、高そう、、、。」

思わず言ってしまうほど、光り輝くその布団。

「あ、ありがとうございます。買っていきます。」

淳子が、ニコッと笑って、当然のようにそういったので、更にびっくりしてしまうのであった。

「ハイわかりました。では、支払いはどういたしますかな?」

「あ、はい、カードでお願いできますか?あ、ちょっと待って。やっぱり現金のほうがいいわ。」

そう言って、彼女は、財布を開けた。

「あら、現金が五万しかないわ。」

それじゃあ、もう一回カードで出すのかなと思ったが、彼女は、何かそれをためらって、カードを出せないでいるようなのだ。一体何だろうと思ったが、きっと有効期限が切れたのだろうと、考え直した。

「いくら、足りないんですか?」

そっと彼女に聞くと、

「二万。」

という。聰はすぐに自分の財布から二万を出して彼女に渡した。二万を失うと、彼にとっては、大きな損失になってしまうのだが、今回は気にしないでいてやろう、と思った。

「ありがとう。後で、銀行からおろして、必ずお返しするわ。」

彼女は、それまでにないオーバーアクションで、そう返答した。よほど困ったことが起きたのだろうか。額には汗がにじみ出ている。

「ああ、気にしないでいいですよ。」

聰はそう言うが、

「いえ、義理は必ずするものよ。今回は本当にごめんなさいね。」

という彼女。何かわけがあるのかな、、、。

「じゃあ、お願いします。こちらに七万ありますので。」

淳子は、おじいさん店主に、七万円を渡した。

「はい、承諾いたしました。では、お釣りを持ってきますので、しばらくお待ちください。」

お金を受け取って、一度事務所へ戻っていくおじいさんの背中を見ながら、彼女は何かほっとしたようだった。まるで、重大な何かを隠しているように。

「あの、何かあったんですか?」

こっそり、聰は聞いてみる。

「大したことじゃないわ。」

淳子は一蹴したが、その顔は、何とかして焦る気持ちを抑えているようだった。

「はい、お釣りね。えーと、1200円のお返しです。領収書はご利用になりますか?」

おじいさんが、お釣りを持ってきてくれた。個人的に買い物をしたわけではなく、教授たちに頼まれた買い物だから、領収書は渡さなければならない。

「はい、彼女は付き添いできてくれただけで、この買い物を頼んだのは俺なんで、領収書は、俺の名義で書いていただいてよろしいですかね。俺は、須藤聰といいます。聰は、あの有名な俳優の、」

「ああ、寺尾聰ね。はいはい、すぐにわかりますよ。じゃあ、須藤聰さんと書いておけばいいのですね。」

「はい、そうして下さい。」

「わかりました。」

おじいさんは、万年筆をとって、領収書を書き始めた。

「それにしても偉いじゃないですか。まだ、お若いのに、誰かに布団なんか買ってやろうなんて、なかなか見かけないですよ。一体どこのお宅なんでしょう。」

「はい、僕たちは、大渕の製鉄所から来ました。僕も彼女も、同じところの利用者なんです。」

「そうですか。大渕となると、ずいぶん遠いですね。わざわざこの店にお越しくださいまして、ありがとうございます。そうなると、移動手段はタクシーかなんかで?」

「ええ、彼女が、帰りのタクシーを予約してくれてあります。」

「そうですか。偉いですなあ。お二人ともそうして役割を分担したりして。とてもお若い方には見られない光景だと思いますよ。きっと、布団をいただいた方も喜ぶでしょう。」

「はい、ずいぶんお世話になってますし、何か差し上げたいなと思ってて。」

淳子も、聰の話に急いで加担した。

「それで、布団のプレゼントですか。」

「そうです。すごくきれいな人で、いい人なんですけど、重い病気でずっと寝てるから。」

「そうですか。それなら、なおさら真綿布団を使ってもらいたいものですな。はい、須藤さんね、こちら領収書です。じゃあ、今日は本当にどうもありがとうございます。」

「私、タクシー呼んできます。」

淳子は、スマートフォンを持って、一旦店の外へ出た。

「本当に、ありがとうございました。親切に布団の説明までしてくださって、本当にうれしいです。俺、正直に言えば、緊張しっぱなしで、もうどうしようもなかったんですけど、親切にいろいろしてくださったから。」

聰も、緊張していたせいか、顔に汗がダラッと落ちてくる。

「いえいえ、お客さんなんですから、当たり前の事ですよ。また、布団が必要になりましたら、どうぞご来店くださいませ。」

「はい、ありがとうございます。」

「ブッチャーさん、タクシー、手配できました。少し混んでいるので、十五分くらいかかるけど、来てくれるそうよ。」

入り口が再び開いて、淳子が再び入ってくる。

「じゃあ、これで帰ります。今日は本当にありがとうございました。」

「はい。また来てください。」

聰が敬礼すると、おじいさんもにこやかに礼をする。そして、品物の布団を持ち上げると、正絹に近い真綿ということもあり、ずっしりと重たい布団だった。これでは、よほどのことがなければ、安物の布団の何十倍も丈夫そうだ。

「ありがとうございました。」

二人は、もう一度敬礼して、店の外へ出て行った。

店の外では、タクシーはまだ到着していなかった。混んでいるから、しばらく待たなければならないことはすぐにわかった。まあ、幸い、空は曇っていて、命に関わる危険な暑さということはなかったので、そのままそこに立っていて平気だった。

「淳子さんは、」

ちょっと聞きたくなって、聰は彼女に聞いてみる。

「何か重大な理由でもあったんですか。」

「理由ってなんの理由?」

彼女はわざとすっとぼけたことを言ったが、

「いや、名前を変えた理由です。あ、失礼だったかな。だ、だって、おかしいじゃないですか。自分の名前を言い間違えたり、ああしてクレジットカードで支払うのをためらったりとかして。俺、感づいたんですよ。淳子さんは、淳子さんじゃなくて、別の名前があるんじゃないかって。」

と、聰は一生懸命自分なりの言葉で質問をしてみる。

「そ、それを聞いてどうするんですか。私の何が知りたいのです?」

「どうもしません。ただ淳子さんという名ではないことはわかりました。そして、本当につらい思いをしていることもわかりました。俺が、何とかできるかというと、そういうことは絶対にありませんが、でも、俺は、あなたの事を、面白がって笑うとか、そういうことは絶対にしません。だから、その、辛かったことをちょっとだけ、話してみてくれませんか。」

軽くため息をついて、彼の顔を見る彼女は、もうばれてしまったかというか、彼の前では嘘は効かないということを知ってしまったようだ。こうなったら、正直に告白するしかないと思った。

「ええ、お話しするわ。私、本当は、佐藤絢子なの。」

「そ、そうですか。事情があって、名前をかえなければいけなかったんですか。俺は、芸能界とかそういう事は全く知らないんですが、もしかしたら、有名な女優さんとかそういう人だったんですかね。それだったらわかりますよ。」

と、聰は返答する。ということは自分の名を知らないのだろうか。富士で佐藤絢子と言えば、あの佐藤絢子かと、一般的な人は感づいてしまう事だろう。

「知らないの?私のこと。」

「はい、知りません。俺はテレビなんて日ごろから見ないんですよ。どうせ、テレビドラマなんて、何も役に立ちませんから。どんなに破天荒な主人公であっても、俺たちにできることは毎日ご飯を食べられるように、一生懸命働くことしかないって、もうわかっているんですから、今更、それを打ち破るようなドラマを見ても何も面白くないんです。」

聰は、自分の事をテレビ女優だと思っているらしい。それにしても、今の発言は、ある人に聞かせてやれば、名言だと思う。

「私、女優でもタレントでもなんでもないわよ。ただ、最近テレビや新聞をにぎわしたことはあるけれど。あなたは、新聞くらいは読むでしょう?」

「いや、読みません。新聞なんて、ただできないことをさもきれいごとのように書くから、好きではないです。雑誌も、ニュースアプリもみんな同じです。他人のつまらない話なんか見て、何が面白いんですか。それをやっている暇があったら、俺は身を粉にして働くべきだと思う。」

「そう。しいて言えば、あなたは、他人の噂話なんて、絶対にしないわね。」

「したって何になるんです。無駄なだけじゃありませんか。さっきも言ったけど、そんなことより、働かないと、生活がままなりませんよ。」

「すごい、かっこいいわ。じゃあ、私が、佐藤絢子と名乗らなくなった理由を話してもいいかしら。」

不意に、彼女はそんな事を言った。

「ああ、いいですよ。どうせ俺は、噂話をしあう相手もいないので。」

その通りの答えを出すと、彼女は本当にうれしそうな顔をした。

「私、捨てられたの。いらない子なの。父も母もずっとそう考えていたみたい。私が、あるサークルで知り合った人がいて、その人が、私を奥さんにほしいと言ったときに、あの二人ったら、すんなりそれを承諾したのよ。それはね、きっと私が病気になって、父と母にさんざん迷惑をかけてしまったから、もう、追い出したかったんでしょうね。でも、彼のほうは、私の気持なんか、全然わかってくれなくて、ただ、うちから出される結納金もらって、多額の借金を返すことに成功したら、私を追い出すつもりだったらしいわ。幸いね、その人のお父さんが名乗り出てくれて、その人を私から、引き離すことはしてくれたんだけど、私は、本気でその人が私を外へ出してくれると思っていたから、ものすごいショックで。もう、半狂乱みたいになっちゃって。一時、精神病院に措置入院になると思われたんだけど、私、それだけは絶対に嫌だったから、父が、青柳先生に相談して、製鉄所にいさせてもらうことになったのよ。でも、私の名前は、すでに新聞やら雑誌やらでさんざん出ているから、そんな者がこっちに来たら、製鉄所を利用している人に、迷惑が掛かってしまうでしょ。だから、先生がそれを避けるための作戦を考えてくれて、私に別の名をつけてくれたのよ。」

「はあ、えーと、そうですか。」

壮絶な身の上話だが、聰はそのくらいの感想しか思いつかなかった。

「い、いやあ、、、。正直に言うと、俺はただの下層市民ですから、そういう人の気持ちはどうしても理解できません。俺からしてみれば、誰かが俺を愛しているとか、そういう事を考えている暇があったら、先ほども言ったけど、今日の米代をどうやって得るのかを考えるほうが先ですよ。だから、誰かに愛されているとか、結納金がどうのこうのとか、そういう事を言われても、何を返答したらいいのかわからないというのが、正直な答えですよ。」

きっと、彼女は傷ついてしまうだろうなと思う。そこは想像できる。でも、自分が持てる感想は、そういうものしかない。

「かえって、そういうことは、うまく形を変えて、絢子さんを励ましてくれることができる男のほうが、いいんじゃありませんか。例えば、水穂さんなんかは、その天才です。あの人であれば、そういう事は、何でもわかってくれるでしょう。今は、ちょっと寝てなくちゃいけないけど、多分、数日で回復すると思いますので、そうしたら、今の事、いっぱいしゃべって、いっぱい聞いてもらってください。きっと、良い、答えを出してくれると思います。」

事実そうである。誰かの悩みを聞くという作業に当たっては、水穂は最も優秀な人材だ。それは、懍さえも認めていた。ただ、水穂自身は、その才能のために、絶えず女性の利用者から、相談を求められて疲れ果ててしまい、卒倒したことはよくあった。

「いいえ、水穂さんには、労咳から治ってもらわないと困りますもの。その大事な時に、私が質問攻めにして、悪化させてしまったら申し訳ないことになるから、それはあえてしません。それより私は、あなたがいい。あなたが今言ってくれた言葉が、一番確実な答えだと思うわ。だって、私だって、自分のご飯だけは自分で作らないといけないってことくらいしっているもの。」

彼女はきっぱりとそういう。なんで俺の答えが模範解答になるんだろうと、聰が首をひねっていると、

「ねえ、一言言わせてくださらない?」

という。

「いやあ、、、。俺は有名な女優さんのような高級な種族の方とは合わせる顔がないほどの、下層市民ですよ。」

正直に自分の思いを伝えた。

「いいえ、こっちを見ていただきたいの。」

不意に、強く言われて、聰は言われたほうを見る。

「あなた、自分のことを、若いころブッチャーと言われていたそうだけど、私、本物のブッチャーを一度だけ見たことあるのよ。アブドゥーラ・ブッチャーの試合。確か、アメリカへ旅行に行った時だったかしらね。もしかしたら、あなた、テレビが嫌いなようだから、本物は見たことはないんじゃないの?」

「はい。ありません。本当に気持ち悪い容姿をしていたレスラーと聞かされたので、見る気がしなくて。」

「そうだと思ったわ。確かに、かっこいい格闘家という感じの人ではなかったわね。でも、すくなくとも試合で見せる顔は、ものすごく真剣そのもので、決してへらへらしてもいないし、相手に対してもきちんとしていて、少なくとも、今いるちゃらちゃらした人ではなかったわよ。その名をもらったと思って、自信を持って!」

「そうなんですか、、、。」

「これでもぴんと来ないかしら。」

ニコッと笑う、佐藤絢子。聰が、また返答ができずに困っていると、

「あなたが好きなの!」

と、聞こえてきた。

同時に、予約をしていたタクシーが、予定より大幅に遅れて入ってきた。
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