(三)

文字数 1,063文字

 修一に関して言うと、割とハンサムだしスラッとしてスタイルも悪くない。見た目結構賢そうだし(事実、文枝に言わせると成績も悪くないらしい)、悪魔の話は私も承知の上、目をつぶることにしていたし、欠点など全く無いように見える。でも、彼には短気と云うか、分かり易く言うとキレ易いと云う大きな欠点があった。
 残念ながら、それが今回は悪い方に出てしまったのだ。
 いざこざの原因は親父の不躾な言い回しであり、全面的に家の親父が悪い。修一にとっては『嘘つき』と云うのは禁句だし、それでキレるのは私にも分からないではない。私だって言われたくない単語の一つや二つある。
 だが、そうは言っても、今後これは避けられないことなのだ。親父に謝らせて「二度と言いません」と誓わせることは出来るかも知れない。でも、そしたらそしたで、近所のおばちゃんが言うかも知れない。それを黙らせても、またどこかで誰かが言うだろう。下町ってのはそんなものだ。
 修一にはそういう耐性が全くない。
 それから、これは修一にも、ついでに云うと私もなんだけど、余裕と云うか、そういうものが全くなかった。もう断崖すれすれの壁っぷちカップル。これを逃したら最後、もう後が無い。そんな感じだった。
 デートも、キスもしてないのに、もう結婚まで考えて浮かれている。そんな遊びの無さが、完全に裏目に出てしまった。
 そんな私だもんで、家を出て駆け落ちしようとか、修一ん家に押しかけ女房になろうとか、そんなことも実は考えた。あんな両親捨てて、学校も止めて、二人で暮らしていくんだって。
 でも、私は思いとどまった。冷静に考えたら、上手くいく訳ないことに直ぐに気付く。そもそも私が修一ん家に押しかけることが、彼の家族に認められるかどうかすら当てにならない。
 それに……、結局私は、親父を、お袋を、この家を、この路地を、この街を捨てることが出来ないに違いない。
 私は、修一に謝罪のメールを書いた。謝らなければならないのは間違いない。彼を傷つけたのは確かだ。だが、修一が「お前とは付き合えんわ」と言ったことについて、撤回を求めることはしなかった。出来なかった。
 そういう意味では私も傷ついている。でも、私は修一に逢えたことを幸運だったと思っている。少なくとも、一時でも私を彼女だと思ってくれていたことに、本当に感謝をしているのだ。私はこの思い出だけで生きていける。鰻の匂いでご飯が三杯は食べられるように、この思い出だけで十分に満足な人生だったと人に話すことが出来る。本当に私はそう思う。
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