001 いにしえの遺跡へ
文字数 1,466文字
うっそうと茂る森の奥深く。
今日、そこで一つの物陰が音を立てて茨の道を掻き分けていた。
「確か、この先なんだ……」
薄暗い闇の中から現れたその男は、独り念じるように呟く。
銀の髪に、淡い木漏れ日が差す。
辺りから動物たちの活動の息吹が聴こえ始める、早朝の森林。
小動物が樹の上でどんぐりを頬張るその影で、肉食鳥が潜む獰猛な気配に脇目も振らず、男は進む。
いまは、男のとなりに一つの慣れ親しんだ気配がある。よく見ればその足元に、これまた一風変わった小さな生き物がいた。
「ご主人様、ボクも知らないところにゃ? ボク、初めて連れられる場所ですにゃ」
「……そうだな。お前は知らぬだろう。お前と出会うよりも、前だから」
男は淡々と返答し、足を止めない。
どうやらヒト語を喋るらしいその生き物は、もこもことした体で獣耳をぴんと立てて周囲を見回している。
「ルナン様。この森、他のところとは少し違うにゃ。……不穏、ボクそんな気がしますにゃ」
懸命に後を付いてくる三毛色の毛玉。金色の瞳と同じ色をした鈴が、首元でまるっこい胴体に当たって音を鳴らす。
ルナンと呼ばれたその男は、不安げな警告を聞き入れるや否や眉間にしわを寄せた。
「やかましい! そんな事はとうの昔に知っておる」
苦しげな怒号。それは叱りつけるような類いのものではなく、喉仏を絞めたような叫び方だった。
「にゃ……?」
「俺はもう、この地に負けるほど弱くはない……一刻も早く、決着を付けなくてはならないんだ」
自分の声音が存外低く発されたことに、ルナン自身が驚いた。大きな感情の波に心が掻き乱されるのを感じる。
――俺は、とんでもないことをしようとしている……。
それでも、最早戻れないのだ。
忘れもしないあの日から、今日という日まで揺らぐことのない信念。それを今更覆すことはできまい。
「ルナン様……」
猫っぽい生き物は内心驚いた。物静かな主が、自分の目の前でこんな風に葛藤を垣間見せることは珍しい。
なにか声を掛けなくては、と尻尾をそわそわさせている猫っぽいそいつを、ルナンは横目で見遣った。
根を詰めた時など気紛れにはなるコイツのことは、案外嫌いではない。己を落ち着かせようと努めて冷静な表情で注意を返した。
「……それからアールズ。俺はお前に名前呼びを許可した覚えは無いぞ?」
「みゃああああっご主人様! すみませんですにゃあぁ!」
涙目のもこもこが条件反射で謝った。要するに今のルナンの顔はめちゃくちゃ怒ってるように見えて、ものすごくおっかない。
そうだった。ご主人様からはいつも名を伏せるように申し付けられているのに!
詰まる所、この猫はどんくさい。
「外で呼んでは不都合だといつも言っておろうがぁあああ!」
主が背中を曲げて大きく右足を振りかぶる動作を見る間も無く、猫──すなわちアールズは綺麗な弧を描いて吹っ飛んだ。
樹の間をすり抜けていく。
「にゃああぁあぁああっんげふっ! いっ……いたいにゃ……!」
背中を打って転がった地面が硬い。
見れば、その頭上には有明の青空が広がっていた。
「へ? にゃんごと!?」
森は唐突に途切れており、乾いた砂の気配を感じる石造りの床がそこにある。
寂れた大きな石碑と、隣には地下へ続くであろう階段。
ここだけが広い空き地のように開けた空間で、異質な空気を放っていた。
「すごいにゃ! 森に遺跡にゃー!」
「着いたか」
一足遅れて木々を潜り抜けて来たルナンは、何者にも遮られない風を感じて目を細める。
黒いマントが翻った。
「五年振りか、ここへ来るのは……」
今日、そこで一つの物陰が音を立てて茨の道を掻き分けていた。
「確か、この先なんだ……」
薄暗い闇の中から現れたその男は、独り念じるように呟く。
銀の髪に、淡い木漏れ日が差す。
辺りから動物たちの活動の息吹が聴こえ始める、早朝の森林。
小動物が樹の上でどんぐりを頬張るその影で、肉食鳥が潜む獰猛な気配に脇目も振らず、男は進む。
いまは、男のとなりに一つの慣れ親しんだ気配がある。よく見ればその足元に、これまた一風変わった小さな生き物がいた。
「ご主人様、ボクも知らないところにゃ? ボク、初めて連れられる場所ですにゃ」
「……そうだな。お前は知らぬだろう。お前と出会うよりも、前だから」
男は淡々と返答し、足を止めない。
どうやらヒト語を喋るらしいその生き物は、もこもことした体で獣耳をぴんと立てて周囲を見回している。
「ルナン様。この森、他のところとは少し違うにゃ。……不穏、ボクそんな気がしますにゃ」
懸命に後を付いてくる三毛色の毛玉。金色の瞳と同じ色をした鈴が、首元でまるっこい胴体に当たって音を鳴らす。
ルナンと呼ばれたその男は、不安げな警告を聞き入れるや否や眉間にしわを寄せた。
「やかましい! そんな事はとうの昔に知っておる」
苦しげな怒号。それは叱りつけるような類いのものではなく、喉仏を絞めたような叫び方だった。
「にゃ……?」
「俺はもう、この地に負けるほど弱くはない……一刻も早く、決着を付けなくてはならないんだ」
自分の声音が存外低く発されたことに、ルナン自身が驚いた。大きな感情の波に心が掻き乱されるのを感じる。
――俺は、とんでもないことをしようとしている……。
それでも、最早戻れないのだ。
忘れもしないあの日から、今日という日まで揺らぐことのない信念。それを今更覆すことはできまい。
「ルナン様……」
猫っぽい生き物は内心驚いた。物静かな主が、自分の目の前でこんな風に葛藤を垣間見せることは珍しい。
なにか声を掛けなくては、と尻尾をそわそわさせている猫っぽいそいつを、ルナンは横目で見遣った。
根を詰めた時など気紛れにはなるコイツのことは、案外嫌いではない。己を落ち着かせようと努めて冷静な表情で注意を返した。
「……それからアールズ。俺はお前に名前呼びを許可した覚えは無いぞ?」
「みゃああああっご主人様! すみませんですにゃあぁ!」
涙目のもこもこが条件反射で謝った。要するに今のルナンの顔はめちゃくちゃ怒ってるように見えて、ものすごくおっかない。
そうだった。ご主人様からはいつも名を伏せるように申し付けられているのに!
詰まる所、この猫はどんくさい。
「外で呼んでは不都合だといつも言っておろうがぁあああ!」
主が背中を曲げて大きく右足を振りかぶる動作を見る間も無く、猫──すなわちアールズは綺麗な弧を描いて吹っ飛んだ。
樹の間をすり抜けていく。
「にゃああぁあぁああっんげふっ! いっ……いたいにゃ……!」
背中を打って転がった地面が硬い。
見れば、その頭上には有明の青空が広がっていた。
「へ? にゃんごと!?」
森は唐突に途切れており、乾いた砂の気配を感じる石造りの床がそこにある。
寂れた大きな石碑と、隣には地下へ続くであろう階段。
ここだけが広い空き地のように開けた空間で、異質な空気を放っていた。
「すごいにゃ! 森に遺跡にゃー!」
「着いたか」
一足遅れて木々を潜り抜けて来たルナンは、何者にも遮られない風を感じて目を細める。
黒いマントが翻った。
「五年振りか、ここへ来るのは……」