運命の相手

文字数 1,375文字

お一人かしら?

 私がその女性に声をかけられたのは、初めて入ったバーのカウンターだった。


 よく磨かれた、古いウォールナットのカウンターと、シックな照明。

 少し時代がかったドレスを着たその女性は、パーティ帰りと言った雰囲気を身に纏っている。


 数年ぶりに会う予定だった友人との待ち合わせを、体調が悪いと言うSNSのメッセージ一つでキャンセルされた私は、「ええ、今そうなりました」と苦笑いすることになった。

あたしも、さっき一人になったところなの

 マティーニとバーボンで二人の出会いに乾杯したあと、彼女はゆっくりと話し始める。

 その口調は柔らかく、それ以外の雑音は遠くなる。

 私は心地よい音楽を聴いているかのように、ただその声に耳を傾けた。

お互いに好きあっていたはずなのにね。『お前の愛が重い』って、そう言われたわ
あたしは逆だった。二人でいると、心に羽根が生えたみたいに軽くなってね。やっと運命の人に逢えたんだと思ってたのよ

 小さく「よくある話よね」と笑う彼女へ、私は陳腐な慰めの言葉を掛けることしかできなかった。

 それでも彼女は、静かに私の言葉にうなずく。


 最後に魅力的な唇を舌先でなぞった彼女は、カウンターの上に置かれた私の小指へと、細い指を重ねた。

あなたは、あの人とは全然違う。優しい人ね。私……
よぉっ! 奇遇だな!
――パシッ

 彼女の瞳に吸い込まれそうになった私の背中が、何者かにたたかれる。

 その瞬間、バーの照明が急に明るくなったように、私には思われた。


 振り返るとそこに居たのは、芦屋。

 古くからの私の友人の姿だった。

失礼だけど、話は聞かせてもらったよ

 無遠慮に、芦屋は彼女へも声をかける。

 彼女は値踏みするように芦屋を見ると、私の小指の上からすっと手を引いた。

愛が重いなんて言うやつは、所詮運命の相手じゃなかったのさ
運命の相手ってのは前世で失った半身みたいなもんだ。出会ってしまったら、ぴったりと重なり合って離れることが出来ない
お嬢さん、あんたもだよ。体が軽くなったってことは、その男とは重なり合っていない。運命じゃなかったってことさ

 その後も芦屋は一人でぺらぺらとしゃべり、最後には彼女を説得して、追い払うように帰らせてしまった。

 まぁ、彼女は納得していたようだしそれはいい。

 だが、せっかくいい雰囲気になりかけていた私としては、愚痴の一つも言いたくなろうと言うものだった。

まったく、世話の焼けるやつだぜお前は

 芦屋は悪びれた様子もなく額の汗を拭き、バーテンダーにジントニックを注文する。

 スッと差し出されたそれをグイッと飲み干し、もう一杯同じものを頼むと、私に向き直った。

いいか、アレは生霊を飛ばす女だ。感謝されることはあっても、愚痴を言われる筋合いはないぜ
相手に依存して生霊を飛ばすから、相手には女が重く感じ、自分は心が軽くなったように思うのさ
 どうしてそんなことが分かるのかと(いぶか)しむ私に、芦屋はジントニックを飲みながら笑った。
気づいてないのか? お前、顔の周りを女の生霊にわしづかみにされてたんだぜ?
女の声と女の姿以外が遠くに離れたように感じてただろ?
あのまま放っておいたらお前……

 そこで言葉を区切り、芦屋はジントニックを飲み干す。

 その後も芦屋は居酒屋にでもいる様に酒を注文し、私は当然のように支払いを任されたのだった。
――終
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登場人物紹介

芦屋

「私」の古くからの友人。

30を過ぎても定職につくこともなく暮らしている。

時々少し不思議だったり怖い話を持ってきては、「私」に金の無心をしている。

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