◎迷子のジャック・オー・ランタン(B)

文字数 3,689文字

 夜も深まった午後十時。
 前から仄暗く青い光が近づいてくるのに気づき、リリは足を止めた。
 夜道に突如として現れた、どこか急いだ様子の小柄な子供がやってくる。リリよりうんと年下に思われる、カボチャ頭の子供だった。
 リリはしばらく子供の姿を観察して、心に決めると近づくことにした。
 子供とすれ違うふりをして、声をかける。
「ねえ、あなた」
 すると、驚いたようにカボチャ頭が動いた。
「あ、お姉ちゃんもあたしが見えるんだね!」
 かぼちゃ頭の下から聞こえてきたのは、少女の声だった。舌っ足らずで、いまにも舌を噛みそうなほど早口に、少女は捲し立てる。
「うんとね、さっきもね、お兄ちゃんからチョコレート貰ったんだよ。おいしかったんだぁ。とりっく、おあ、とりーと、だっけ?」
「ごめんなさい。お菓子は持ち歩いていないの」
「あ、いたずらはしないから、安心して!」
「そう、それは良かったわ」
 リリは安堵のため息を吐く。どちらかというと、こういうモノにあったときは緊張してしまうこともあり、少女があまりにもハツラツしているのに、安心したという意味合いの方が強い。
 リリは不老不死だ。死に近いところに生きている彼女は、ひととは違う、この世に彷徨う「幽霊」を見ることができた。
 しかも今日は十月三十一日のハロウィン。あの世とのつながりが強くなる今日、いつもよりひとではないモノをあっちこっちで目にする。そのひとつひとつに手を差し伸べることはできないけれど、こうやって見てしまったモノ(・・・・・・・・)と、少し話をしてみるのはリリの気紛れでもあった。
「それで、あなたは、何をそんなに急いでいるの?」
 訊ねると、少女はボロボロで穴の空いた傘を掲げて、笑顔で言う。
「これから、お父さんを迎えに行くんだ。雨降っているのに傘も持たずに仕事に行ったから、帰ってくるときに困るでしょ?」
「……そうね。それじゃあ、一緒に迎えに行きましょうか。夜は暗いから危ないわ」
「え、いいの? よかったぁ、暗いから、道に迷ってたんだ。お姉ちゃんがいてくれるなら、頼もしいや」
 にへらと、カボチャ頭が笑う。眼と鼻と口のところに空いた穴から、青白い光が瞬いた気がした。
 リリも微笑むと、少女と手をつないで歩きだした。
 他愛無い話をしながら、道を行く。冷たい少女の手に温もりを与えながら、リリはどうしたら彼女が成仏できるのかを考えていた。
 このカボチャ頭の少女は、普通の人には見えるはずのない存在――「幽霊」。自分が死んでしまったことに気づいていない、幼い子供の霊。生前の心残りを果たそうと長い間、この世を彷徨っているのだろう。
 今日はハロウィンだ。
 あの世とつながることができる特別な日。
 少女を、どうしたら成仏させてあげることができるのか、リリは考えていた。
 心残りを果たしてあげるのが手っ取り早いのだけど、この少女の場合そうはいかないだろう。彼女の本物のカボチャでできたジャックオーランタンの被り物は、いまの時代ではなかなか見られない。彼女は恐らく、随分と長い間、この世をひとりで彷徨っているのだ。
 きっと父親に傘を届けに行く途中、事故で亡くなってしまったのだろう。突然のことだったはずだ。
 少女は、自分が死んでいることに気づいていない。
 だからこそやさしく、少女を導いてあげる必要がある。
 深呼吸をしてから、リリは言葉を絞り出す。
「お父さんの職場はどこ?」
「うんとね。うんっと、あれ、ここ、どこ?」
 困ったように唸る少女。
 周りを見渡す余裕ができたからか、少女は自分の見ている景色が、昔と変わっていることに気づいてしまったのだろう。
 リリは、それでもやさしく語りかける。長い人生、こういう時の対処法は毎度異なれど、臨機応変に対応することはある程度可能だった。
「歩きながら、ゆっくりと知っているところを見つければいいわ」
「うん、そうする!」
 しばらく歩くと、少女が声を上げた。
「あ!」
 どうやら知っているところを見つけたようだ。
「あそこ!」
 指を指したところには、もう古ぼけて使われていない雑居ビルがあった。昔は何かの遊技場が入っていたのだろう。壊れた看板が割れて、地面に落ちている。
「あの裏に、お父さんの仕事場があるんだよ!」
「裏?」
「うんっ。お父さんね、ばーで、ばーてんだぁ? やってるんだよ!」
「そう。すごいのね」
「うん。いつも夜遅くまでね、働いてて、すっごいんだぁ。あたしも飲みたいって言っても、飲ませてくれないけどね」
「それは仕方がないわ。バーということは、出しているものはお酒だもの。あなたにはまだ早いわよ」
「お酒って、大人が飲むやつ? それなら、あたしはまだまだ飲めないねー。あ、でも大人になったら、飲めるんだよね?」
「そうね。たくさん飲めるわよ」
「それならいいや。はやく、大人にならないとね!」
「応援しているわ」
「ありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんも、やさしいねぇ」
 ふふっと、カボチャ頭が笑った。人の姿を模っている首から下が、一瞬空気に揺れる。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「あたしって、悪い子だよね」
「どうして?」
 リリは少女を見る。
 カボチャ頭は俯いていた。青白い光は見えない。
「あたしね、思い出したんだ。あの日ね、雨の降っていたの。あたしね、お父さんのバーに行ったの。そうしたらね、危ない男の人が二人、ナイフを構えてお父さんを脅しているのを見ちゃったんだ。そしたらね、体が急激に冷えていって、気づいたらナイフを構えた男の人に飛びかかっていたんだ。お父さんにナイフを向けるな! ってね。お父さんがあたしの名前を呼んでね、そしてね、おどろいた男の人があたしにナイフを向けたの。それに、あたしはぶつかったんだ。きっと、そのときに、あたしは死んじゃったんだよね」
「……そう」
「でね。あたしそのあとのこと覚えないんだけど、ひとつだけ忘れていたことをいま思いだしたんだ。お母さんとお父さんに、まだちゃんとお礼を言えていないって。七年間育ててくれたのに、一言も残せず死んじゃった。どうしてなんだろう。お父さんと、お母さん。きっとあたしのこと怒っているよね。勝手に、死んじゃったんだもん」
「……そんなことないんじゃない」
 言葉を選びながら、リリは言う。
「あなたのお父さんもお母さんも、あなたに感謝しているはずよ」
「どうして、そう思うの?」
「自分たちのもとに産まれてきてくれてありがとうって。親なら当然そう思うわ」
「へー、あたしにはわかんないや」
「子供ができたらわかるわよ。きっと」
 リリは永遠に十四歳の少女の姿のまま、成長することも、死ぬこともないからわからずじまいだけれど。
「お姉ちゃんヘンなのー。まだ子供なのに」
 愛しさも知らないまま、長い間生きている子供だけれど。
「でもね。なんとなく、そう思うわ。あなたは愛されている。そのカボチャの被り物が、それを物語っているわ」
 こんな立派な被り物を与えられている子供が、愛されていないわけがない。
「これね、お母さんが作ってくれたんだ。外は危ないから、これを被っていなさいってね」
「そう。それは良かったわね。大切にするのよ」
「うんっ」
 少女は屈託なく笑う。カボチャを被っていても、リリにはわかった。
 被り物の下から、透けて、嬉しそうに頬を染めて笑う、理知的な顔が覗いていたから。
 少女と一緒に、リリは古びたアパートの横を通り過ぎて、その裏に回っていく。
 壊れて文字も読めない看板が、地面に落ちていた。それを通り越して、立て付けが悪くなりすっかり壊れてしまっている扉を押し、中に入って行く。ドアベルなんてとっくに朽ち果ててないはずなのに、カランコロンという音がどこからか響いた気がした。
『いらっしゃいませ』
 物腰が柔らかく丁寧な男性の声が、聴こえてきた。
 視線を巡らせると、カウンターと思える向こう側に、半透明で下半身がすっかり消えてしまっている男性の幽霊がいた。
 少女が声を上げて喜ぶ。
「お父さん!」
 男性の隣には、やさしい眼差しをした女性もいる。
 リリは気づいた。
 きっとこの二人もまた、心残りを残したまま、成仏することができずにここで漂っていたのだろう。少女が、きてくれると信じて。
 そして長い年月を得て、少女と両親の願いはいまここで叶った。
 夫婦の許に寄った少女が、うれしそうに振り返る。
「お姉ちゃん、ありがと!」
 リリは何も言うことなく、頷くと、眼を瞑った。
 再び瞼を開けると、そこには、ただ朽ち果ててオンボロになった建物があるだけだった。
 リリは背を向けて、ゆっくりと歩きだす。
(慣れているはずだけれど)
 外に出ると、小雨が降っていた。
 傘がないことに気づき、リリは慌てて泊っている宿まで、道を駆け戻る。リリの黒髪を、服を、それから肌を、容赦なく雨は濡らしていった。
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