4 軍務への希望

文字数 3,397文字

 オーストリア皇帝は、久々に伺候してきた弟、カール大公を、しげしげ眺めた。
 ……随分やつれたな。
 妃のヘンリエッテが亡くなって、そろそろ1年になろうとしている。未だ、弟の心の傷は、癒えていないようだ。

「テシェンに引きこもってばかりいないで、もっと頻繁に、こちらへ顔を出したらどうだ?」

 弟カールは、子どものいない伯母夫婦の養子となった。テシェンは、養父母の領土だったものを、カールが継承したものだ。そのせいか、皇帝のすぐ下のこの弟は、なにかと、長男である皇帝に遠慮していた。
 それが、皇帝には歯がゆい。

 1年前、妃、ヘンリエッテが亡くなった。ヘンリエッテは、プロテスタントだった。厳格なカトリックであるハプスブルク家が、初めて迎えた、異教の配偶者だ。
 それを、快く思わない者は多かった。
 彼女の死に臨み、カプチーナ礼拝堂(ハプスブルク家の墓所)へ埋葬を反対する声が出た。皇帝は、即座に、彼女を受け容れるよう命じた。





「兄上には、感謝しています」
 カールは微笑んだ。無理に笑っているようで、かえって、痛々しい。何を水臭いことを言っているのだと、皇帝は思った。
お前の長女(マリア)も、年頃だろう? ウィーンにいた方が、何かと好都合ではないか」

「いいえ。あの子は、14歳になったばかりです。まだまだ、そのようなことは……」
カールは、ぶるっと身震いした。
「もう少し、手元に置いておきたいのです」

「優しい子に育ったな」
慈愛を込めて、皇帝は言った。
「ありがとうございます。今年は、長男のアルブレヒトも、大佐に任命頂き……おかげで、素晴らしい軍務のスタートを切ることができました」
「後は、本人の努力次第だ」
「はい。兄上(皇帝)のお言葉、しかと、息子に伝えます」

 アルブレヒトの話になると、カールの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
 自慢の息子なのだ。
 父と同じ、軍務への道を志している。

「軍務で思い出しました。今日は、兄上に、お願いがあって参ったのです」
「お前が? 珍しいな」
 意外に思うと同時に、皇帝は嬉しかった。
「言ってみよ」
「はい。フランツのことです」
「フランツ?」

 思いがけない名前が、弟カールの口からこぼれた。確かに(カール大公)は、皇帝の孫のフランツに、軍務の手ほどきなどをしていたが……。

 皇帝の孫、ライヒシュタット公フランツは、12歳の時から、軍務を志していた。本来なら彼は司祭にしたかった。しかし、祖父でありながら同時に育ての父として皇帝は、敢えて本人の意志を尊重した。
 だが、フランツは、ナポレオンの息子だ。軍を預けるには、慎重であるべきだった。
 彼の昇進は、他の皇族に比べ、桁外れに遅かった。たとえば、6歳年下のカールの息子(皇帝の甥)、アルブレヒトは、今年大佐に任命したが、フランツは去年やっと、大尉になったばかりだった。しかもこれが、初めての昇進だった。また、皇族男子なら誰にでも与えられる、金羊毛勲章(ゴールデン・フリース)も授けていない。

 しかしそれも限界だった。本人の強い希望で実務訓練が始まり、それが終われば、いずれかの連隊に所属させなければならない。

 ためらいがちに、カールが口を開く。
「皇帝は、彼を、どこかの駐屯地へ派遣するおつもりだと、聞きました」
「皇族が軍務を始めるのは、プラハからが、定石だからな」
カールの顔は、憂いに沈んでいた。
「フランツには、軍務の才能があります。語弊を恐れずに申し上げれば、さすがは、ナポレオンの息子だ。ですが、いえ、だからこそ、彼には、重大な欠陥があります」
「重大な欠陥だと?」
皇帝は眉を顰めた。

 カールは、皇帝をまっすぐ見つめ言い放った。
「彼は、フランスとは、戦えない」

「いや」
 即座に皇帝は否定した。孫のことなら、よく知っている。
「フランツは、戦うであろう。あの子は、第二のオイゲン公を目指すと言っている。この国(オーストリア)を守るためなら、全世界へ剣を向けるであろう」

 オイゲン公は、元フランスの貴族である。オーストリア軍に入り、最終的には、母国フランス軍とも戦った。

「ですが、兄上。フランツは、父親(ナポレオン)に心酔しております。そこが、オイゲン公と違うところです」
 少し間を開け、だが毅然としてカールは続けた。
「父親に対する批判と反感の中で育ったことが、彼に一層の、ナポレオンに対する親愛と敬意を育んでしまったのです」

皇帝は気色ばんだ。
「あの子に対する教育が、間違っていたというのか?」

「いいえ」
強くカールは否定した。
「他に方法はありませんでした。ただ……子どもの頃から、フランツは、(つよ)い子でした。彼は、フランスの血を、捨てることをしなかった。もう片方の血筋(母方のオートリア)に己を委ねてしまえば、楽に生きられることを知りながら……。融通の効かない、頑固な、そして、誇り高き子です」

「誇りは、王家にとって、何より、大事だ」

「兄上。私は、思うのです。フランツ……この宮廷で、誰より優れた知性を持つ若い世代(プリンス)……そのフランツが、そこまで慕うナポレオンとは、いったい、何者だったのだろう、と」
「ナポレオンはナポレオンだ。ナポレオン以上の、何者でもない」
「ですが、フランツが、あれだけ心酔しているのです。案外ナポレオンは、傑出した人物であったのかもしれません」

「何をバカな!」
即座に大声が否定した。
「あれは、世界の調和を乱した、反逆者だ。戦場でしか生きられない愚か者だ。彼の名の下に、何百万もの人間が死んだ。兵士だけではない。皇族、貴族、そして、罪なき民衆も」
皇帝は立ち上がった。歩き出そうとして、ようやくのところで踏みとどまった。

「彼は、戦地でしか生きられない男でした」
カールが言うと、皇帝は、目を瞋らせた。
「あの男は、まともではない。アウステルリッツの戦いの後、焼け落ちた風車の下で、儂は、痛感した。あれは、まさしく、『陋屋から出てきた男』よ」(※「カール大公の恋」参照下さい)

 どさりと王座に腰を下ろす。

「彼は、大変な人たらしでした」
カールがつぶやく。


 ……「今日は話せてよかった。やはり貴殿は素晴らしい。まさに、有徳の男だな」
 1805年、シェーンブルン宮殿での、ナポレオンとの会見が、カールの脳裏に甦った。
 ナポレオンは、魅力的な男だった。軍人としても、申し分のない、活力に満ちていた。
 ……しかし、あのままナポレオンの掌中に陥っていたら。
 ……自分は、臣下に乗せられて、皇帝()を裏切っていたかもしれない。
 少なくとも、その隙を、カールは、兄の皇帝に不満を抱く者たちに、晒してしまったろう。


「時を経て、その引力が、自分の息子を籠絡するとは。ナポレオンも、さぞや本望でしょう。ですが、それが、フランツを苦しめることになっている」
「フランツが、あの男の血を引いているのだということは、正直、耐え難い。だが、あの子は、儂の孫だ。オーストリアの公爵なのだ」
「彼は、大公ではありません」
「それは……」
苦しそうに、皇帝は唸った。

 フランツは、皇帝の娘(マリー・ルイーゼ)を介して、ハプスブルク家と繋がっている。女系のプリンスには、大公を名乗ることはできない。

 さらにカールは、膝を詰めた。
「フランツは、独り立ちを望んでいます。ですから、軍務における彼の指導には、細心の注意を払う必要があります。本来なら、私自らが、彼を教え導きたいくらいだ。でも、私はすでに、軍を退いてしまった……」

 それが、自分への気遣いだということくらい、兄の皇帝は見抜いていた。
 弟カールが、自分より、遥かに優れた能力を持っていることも。

 1809年、アスペルンでカールは、ナポレオンの不敗神話に傷をつけた。その後、ヴァグラムでの負けを経て、ツナイム(現チェコ、ズデーテン地方)で彼は、フランス軍と休戦協定を結んだ。あのまま戦闘を続けていれば、オーストリアの傷は広がるばかりだったろう。
 しかし、これは、許可を得ずにカールが単独で結んだ協定だった。現場の判断とは、そうしたものだ。迅速さが鍵となる。わかってはいても皇帝は、カールを総司令官から外さざるを得なかった。カールは軍を退き、それどころか、数年後、全ての役職からも身を引いてしまった。
 兄である自分への完全な忠誠を示すために、有能な弟カールは、自ら退いた。

 あれは、弟から自分への、稀有な真心の発露だったと皇帝は思う。ツナイムの戦場には、ナポレオンもいた。休戦協定を手土産に、麾下の軍を率い、彼はそのままナポレオンの懐に飛び込むことだってできたのだ。










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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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