一筆啓上 死神殿

文字数 4,991文字

 忘年会の帰りだった。
 年末は営業マンにとって辛い時期だ。
 手帳には忘年会の予定がびっしり、今週はこれで四日連続、今月十三回目の忘年会だ、しかも今日の忘年会は大事な得先のものだったから一次会で『これで失礼します』とも言えず、二次会まで付き合わされた、さすがに堪える。
(ちょっと休もう……)
 俺のアパートは駅から結構歩く、途中にある小さな公園のベンチに腰掛けた。
 寝不足の日が続いているのでいつにも増して酒が効いている、俺はついうとうとしてしまい、ベンチに倒れ込みかけた……と俺の腕を掴む者がいる。
「あ……お……いけね、ついうとうとしちまった……あんた支えてくれたんだな? ありがとさん」
「自分が死んだのにも気が付かないとは暢気な男だ」
「は? 何を言ってるんだ? 俺はただ……」
「うとうとしただけ……か? 違うな、お前はここで寝込んじまって凍え死んだんだよ」
「ああ? んなわけあるかよ、ほら、オーバーコートまで着込んでるんだぜ」
「知らんよ、そんなことは、いくら着こんでたって体調が悪けりゃこんなこともあるさ」
「……そうかなぁ……ちっとも死んだ気がしないんだけどな……お前は一体誰だ?」
「……死神だよ……お前を迎えに来た……」
 低い陰気な声……見れば裾を引きずりそうな黒いマントを着込み、深く被ったフードから僅かに覗いている顔は青白い、なかなか雰囲気が出ていてちょっとぞっとしたが……。
「死神? 誰がそんなもん信じるかよ」
「別に信じてもらわんでも構わない、俺は俺の仕事をするだけだ……おい、何してる、早く死ねよ、幽体を引きはがせないじゃないか」
「幽体離脱だぁ? そんな一発芸を売りにしてた芸人がいたっけな……」
「何でもいいから早くしてくれ」
「そう言われてもなぁ……なぁ、やっぱり俺は生きてるんじゃないか?」
「…………お前、田中真一だな?」
「惜しい、ちょっとだけ違うな、俺は田中真二だよ」
「そんなはずは……〇〇町二丁目公園……」
「それも惜しいな、ここは三丁目公園だよ……どうやら人違いらしいな」
「おかしいな……」
 死神……と名乗る男はちょっと狼狽した様子でマントから古ぼけた黒革の手帳を取り出してぱらぱらとめくりだした。
「今日は十二月十八日だな?」
「ああ、やっと正解したな」
「ちっ……お前は明日だった……名前も場所も紛らわしいんで間違えたらしい……」
「ちょっと待て! 今の台詞は聞き捨てならないぜ、それは俺が明日この公園で死ぬってことか?」
 酔いが急激に醒めて行くのを感じた。
「……今のは聴かなかったことにしてくれ……」
「ちょ、ちょっと待て、それは随分だぞ、俺にとっちゃこれ以上の一大事はないぜ……そうだ、明日はアパートに籠ることにするよ、いい加減体もきついしな、会社も休む」
「ふふふ……そんなことで運命を変えられるとでも思ってるのか?」
「ち、違うのか?」
「手帳を書き変えれば済むことだ、なんなら日付だけ今書き変えようか? その方が俺も手間が省けて良いんだが」
「ちょ……ああ……雰囲気に飲まれてちょっとビビっちまったが、考えてみれば死神の存在を信じろって方がおかしいよな」
「別に信じてもらわんでも構わないがな……ほう、二丁目公園ってのはあっちだったか……」
 見ると道路の遥か先に救急車が到着して隊員が走り出してくる……確かあの辺りも公園だったはず……。
「余計な時間を使っちまった……じゃあな、明日また会おう」
「お、おい……わっ」
 死神と名乗る男はふわりと宙に浮き二丁目公園めがけて飛び去った……と間もなくして、半透明で体重と言うものがまるでないように見える男の片腕を掴んで空高く飛び去って行った。
 すっかり酔いも冷めた俺は救急車が着いた公園に走った……すると死神と名乗る男に連れ去られたはずの男がストレッチャーに乗せられていて、その顔には既に生気が感じられず呼吸もしていないようだ……そして公園の立て札に視線を移すと、この寒空の中、冷や水をかけられたような心持ちになった……『〇〇町二丁目公園』……。
 間違いない……あいつは『死神と名乗る男』なんかじゃない、本当に死神だったんだ……。
 
 アパートに帰った俺は鈍い頭をフル回転させた。
 明日、死神が迎えに来る……このままだと死んじまう、何とかならないか……。
 何としても死神を出し抜かなくちゃならない、何か良い手はないか……考えろ、考えるんだ……。
 必死に考えているうちにちょっとしたアイデアが浮かび、俺はパソコンを開いてネットに接続した、このアイデアに使えそうなネタはないか……。
(あった! これだ!)
 俺はプリンターからコピー紙を一枚取り出しペンを走らせた。
 こんな時は手書きの方が生々しい感じが出る……。

「結局アパートに籠ることにしたようだな、まあ、無駄な足掻きだが……」
 次の夜、予告通りに死神がやって来た。
 もちろん玄関もベランダも締め切ってあったが、ふっと浮き出るように部屋に現れたのだ。
 だが、それで却って腹が座った、俺の考えが当たっているかどうかはまだわからない、だが何もしなければ今死ぬだけ、万に一つのチャンスにでも賭けてみる価値はある。
「足掻いてるわけじゃないさ、今日死ぬと分かってて会社に行く奴もいないだろう?」
「まあな、だが彼女に会いに行くとか……おっと、すまんな、お前に彼女はいなかったな、つい忘れていた」
「何とでも言え、俺は今日一日、昔自分がしでかしたことを懺悔してたんだ、もっとも、それくらいで神様が許して下さるとも思ってないがな」
「ほほう、では何故?」
「まあ、心の平穏のため……って言うところかな、ずっと罪の意識に苛まれて来たからな」
「お前が?……一体何をしたと言うんだ?」
 
 やはり……。
 昨夜のことを逐一思い出してみて、こいつが死神であることは認めざるを得なかったが、同時に死神と言うのはそう大した奴らでもないのかもしれないと考えた。
 何しろ、いくら紛らわしいことが重なったと言っても人違いをしたのは事実、死神と言えども何もかもお見通しと言うわけではないと言うことだ……まあ、この死神が特に間抜けなだけかもしれないが……。

「俺が何をしでかしたか……それはそこに書いて置いてあるよ、まあ、遺書代わりみたいなもんだ」
「ほほう……」
 
 ちゃぶ台に置いておいたコピー紙を手にすると死神の顔色が変わった……んじゃないかと思う、元々青白い顔なんで変化は微妙だったが……。
「あ、あれはお前がしでかしたのか?」
「そうだよ」

 十年前、とある山小屋で起きた事件、山小屋の主人を含めて十人が失踪した。
 その辺りにはクマが出没するのでその仕業とも考えられたが、現場にクマの足跡も被毛もなく、警察は殺人事件として捜査しているが、まだ犯人はおろか遺体すらも発見できないでいる。
 俺はその事件に目を付けて、俺がその犯人だと告白する遺書もどきを書いたのだ。
 勿論でまかせだが……。
 ただ、昨夜の様子からしてどうやら死神は遺体から幽体を引きはがして連れて行くらしい、だったら遺体が見つかっていない事件はないものかと探したのだ。

「……善人には見えないが、あんなことをしでかすような凶悪な男にも見えないが……」
「見えるも見えないも、本人が白状してるんだぜ……信じる、信じないは勝手だが、今日死ぬってわかってる人間がそんな嘘をつくとでも思うか?」
「そ、それは確かにそうだな……」
 死神は俺の顔をじっと見つめて来た……あまり気持ちの良い顔ではないが、動転しているのがわかる。
「あの事件じゃ十体もの幽体が未回収なんだ」
 かなり希望が見えて来た……俺は思わず微笑んだが、死神はそれを不敵な笑みと受け取ったらしくちょっと怯んだように見えた。
「ほう、死神もやり損ねることがあるのか」
「どうも勘違いしているようだな、俺たち死神は何も人を殺して回ってるわけじゃない、死ぬと分かっている人間の幽体を迎えに来ているだけだ……だが、死を予見できないことがないとも言えないんだ……」
「ほう? それはどんな?」
「例えば通り魔のような殺しだよ、万能の神も人の心に棲む悪魔が突発的にやらかすことまでは予見できない」
「そうか、神と悪魔じゃ油と水だからな……俺は通り魔じゃないが、まあ似たようなものとも言えるかもな」
「あの事件ではまだ遺体が出ていない」
「知ってるよ、なにしろ俺が隠したんだからな」
「遺体をどこに隠した?」
「もう白骨化してるんじゃないか?」
「それでも構わないんだ、遺体さえ見つかれば幽体を剥がして回収できる……おい、どこに隠したんだ?」
「それをお前に教えてやらなくちゃならない義理はないな」
「ここまで告白しているのに……白状しろ、言え!」
「おいおい、脅しをかけようったって無駄だぜ、どうせ俺は今死ぬんだろう?」
「まぁ……それはそうなんだが……」
「俺はこれ以上バラす気はないね、秘密は墓場まで持って行くさ」
「言っちまった方が気が楽になるんじゃないのか?」
「よっぽど知りたいらしいな」
「あの中の何人かは俺の担当だったんだ、幽体を回収できないと査定に響く」
「知ったことか」
「なぁ……教えてくれよ」
「嫌だね」
「……どうして……」
「まあ、嫌がらせだと思ってくれていいぜ、せめて今日死ぬって運命とやらに一矢報いたいじゃないか」
「そんな……」
「なあ、俺はどうやって死ぬんだ?」
「一応、脳梗塞ってことになってるが……」
「一応ってなんだよ」
「まあ、俺たち死神が人を殺すわけじゃないが、死に方を変えたり時期をずらしたりするくらいの権限は……」
「へぇ、そうなんだ……その手帳に書き込むんだな? 『デスノート』みたいだな」
「いや、あれは創作だな、俺たちが持ってる権限ってのはもっと限定されてる、死神界も人手不足なんで多少はこっちの都合でやりくりしても良いって程度なんだが……」
「脳梗塞って、頭が割れるように痛むんだろ?」
「ああ、そうだな……」
「もうちょっと楽な死に方ってないのかな」
「睡眠薬なら眠っている間に死ねるが……」
「持ってるのか?」
「いや……」
「買ってきてくれたら喋ってもいいぜ」
「あいにく人間界の通貨は持ち合わせてないんだ……」
「ならば交渉不成立だな」
「あ、おい……頼むよ……」
「嫌だね、睡眠薬と交換でないとな」
「交換条件を出せる立場だと思っているのか?」
「それはお互い様だろう?」
「ぐ……だめか?」
「だめだね」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「お前が死んじまうともう遺体の在処を聞けなくなっちまうんだが……」
「幽体ってのは喋れないのか?」
「ああ……それに天使か悪魔の方に管轄が変わっちまうとお手上げだ……」
「なら諦めてくれ」
「ぐぅぅ……仕方ない……」
「どうした? まだ頭はちっとも痛くならないぞ」
「……手帳からお前の名前を消した……」
「どういうことだ?」
「お前はまだ死なない……」
「へえ、そうなのか? だけど、それって拙いんじゃないのか?」
「例外的措置だ……また来る……お前が喋る気になるまで何度でもな」
「ああ、構わないぜ、お茶も出さずに悪かったな」
「人間界の飲み物は口に合わん」
「そうか……なら仕方がないな」
「また来る」
「そりゃまた会うだろうな、人はいつか死ぬんだから」
「……」
 死神は苦り切った表情を浮かべ、現れた時と同様、ふっと消えて行った……。


 と言うわけで俺はまだ生きている。
 あれから死神は何度も現れているが、別に怖くもなんともない、遺体の在処を喋らない限り奴は俺を死なせるわけには行かないんだから。
 そもそも本当に知らないんで喋ることもできないんだが、それは奴には秘密だ。
 まあ、最近は結構打ち解けて来てて俺の部屋でコーヒーなんか飲んで行くようになっているよ、飲み慣れると結構美味いもんだとか言ってね。
 今夜辺りまた現れるかもしれないな、たまにはドリップコーヒーでも用意しておいてやるとしようか……。
 

             (終)

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