神聖櫃(執筆者:金城 暁大)

文字数 3,705文字

「お主達が元の世界に帰るには、この世界を支配する、災厄の象徴・神を殺す必要があるのじゃ」

「神を殺す……」


 シオンが呟いた言葉に、オウルニムスは頷いた。


「そんな事、出来たらとっくにやってるさ」

「あ。俺もああまで圧倒されると、希望は薄いと思う」

「……ほう。お主が竜化の力を使ったのはこの時じゃったか」

「ええ。それで勝てると思ったのですが、結果は惨敗でした」

「奴は化け物だ。トウラのあの時の傷を見ただけでも分かる。とても同じ次元の強さじゃねぇ」


 その話を聞き、オウルニムスは顎鬚を撫でた。


「そうじゃろうの。普通に戦ってはお主達に勝ち目はない。じゃが、勝つ方法はある」

「勝つ方法?」

「何だそれは?」


 シュートとトウラが目を鋭くさせる。


「“神聖櫃(しんせいひつ)”を使うのじゃ」

神聖櫃(しんせいひつ)?」

「太古の昔、まだ今の神がこの世界を統治する以前の話じゃ。旧神がこの世界の人々に、繁栄の印として授けた箱のことじゃ」

「驚いたな。この世界にも神は“聖櫃(せいひつ)”を与えていたのか」

「シュートさん、知っているんですか? “聖櫃(せいひつ)”っていうのを」

「ああ、でもそれを言う前に、まずは俺達の世界でのメシア、モーゼについて教えないといけない」

「ねぇシオン。メシアって、分かる?」

 シェロがまたシオンに耳打ちする。
 メシア。モーゼ。……単語の響きは聞いた事がある気がする。しかしそれが何を意味しているのかまでは思い出せない。
 シオンが首を横に振ると、トウラから助け船が出された。

「メシアっつーのは“救世主”。モーゼっつーのは、ユダヤ教の信仰者を、エジプトっつー国から逃がす為に海を割った奴のこと。……だよな、シュート?」

救世主(メシア)を“奴”とは言うな、トウラ。
 ……まあいい。そのモーゼが、神と契約した際に授かった十の制約・十戒(じっかい)が刻まれた2枚の石板を納めたとされている、黄金の箱のことを“聖櫃(せいひつ)”というんだ。伝承によると、その箱には、石板と共に神と意思を交わす力が納められているらしい。
 長い間、イスラエル王国のエルサレム神殿で崇められていたんだが、その国が滅びてからは行方知れず。現代の考古学者達の間で研究対象になっている代物だ」

「なるほど。お主達の世界の聖櫃(せいひつ)はそういう扱いなんじゃな」

「違うのか? ここの聖櫃(せいひつ)は?」

 オウルニムスが頷く。

「この世界の聖櫃(せいひつ)は、恐らく古の神が、神の暴走を止める為に与えたものだと儂は踏んでおる。――今の神は災厄を起こすものとされておるからの、聖櫃(せいひつ)が、儂ら人の未来を紡ぐ力を約束し、繁栄の象徴となったのじゃろう、とな」

「つまり、今の神にとって“神聖櫃(しんせいひつ)”は、俺達の手に有ってほしくない代物なんだな」

「その通りじゃ。神聖櫃(しんせいひつ)には、今の神の命――すなわち存在そのものを脅かす力が納められていると、聞いておるからの」

「じゃあ、その聖櫃(せいひつ)を手に入れれば、神を殺す事が出来るんですね」

「確かにそうじゃが、それだけではない」

「と言うと?」


 オウルニムスはふむ、と一言。腰掛に深く座り直した。


「――神に触れる為には、神の次元に行く必要があるんじゃ」

「神の次元?」

「そうじゃ。神の次元、それは二世界とは異なるもう一つの次元の事じゃ。神はそこに居る」

「そこに行く方法はあるんですか?」

「ある。それが、“聖櫃(せいひつ)”と“鍵”の二つが揃った時に、それを手にした者を導くとされている“天の階段”を登り、その先にある“聖門”を潜る事じゃ」

「成る程。手段が分かればこっちのもんだな」

「ああ。つまり俺達は、“神聖櫃(しんせいひつ)”と“ダビデの鍵”を手に入れれば良いんだな! そうすれば、神を直接ぶっ倒しに行ける!」

「待って下さいシュートさん! トウラさん!」

 そう強く声を上げたシオンの表情は、どこが不安げに見える。


「……話してみなさい」


 穏やかな声で応えたオウルニムス。シオンは息を深く吐いた。


「……神の次元は、僕達がいる世界とは全く違う所なんですよね?」

「ああそうじゃよ?」

「もしかして、それって死んで天国に行くって事なんじゃ、ありませんか?」


 するとオウルニムスは首を振った。


「死とは少し違う。似て非なるものじゃ。
 “生昇天(せいしょうてん)”と呼ばれているのじゃがの――つまり、肉体の受肉を保ったまま、昇天するのじゃ」

「……帰って来られるんですか?」

「条件がある」

「何です?」

「神を殺す事じゃ。神を殺せば、この世界の理が、全てあるべき姿に戻る。
 そうすれば、自然とお主達も元の世界に帰れるという訳じゃ」

「つまり、神の次元に行ったきり、この世界には戻って来られない……」

「そういう事じゃな」


 4人は息を飲んだ。
 本当にとんだ事に巻き込まれたんだ、と、シオンは思った。


「もし、俺達が神に殺された時はどうなるんだ?」

 オウルニムスは、問いを投げかけるシュートの目を凝視した。そして、4人を見て僅かに黙る。
 彼の視線は、まるで4人が覚悟を決めているか、確かめている様にも伺えた。

「その時は、お主達は存在そのものが消えてなくなる。人の記憶からも、お主達の事は消え去るのじゃ」


 シオンの背中に何か黒く重いものがのしかかった様な気がした。

 オウルニムスが言った事はつまり、ヒマリの記憶からも、自分の事が消えるという事だ。
 ヒマリだけではない。自分が関わった人間の全てから消え去り、文字通り、「自分は消滅する」。

 4人の間に嫌な沈黙が流れた。
 その沈黙を破ったのはオウルニムスだった。


「鍵と聖櫃(せいひつ)について一つ忠告しておこう」

「……何でしょうか?」

「ダビデの鍵と神聖櫃(しんせいひつ)は、このヒューマニーに確かに存在する。
 そして、その力も一部の者達の間では認知されているのじゃ。“二つを手にした者は、その力でこのヒューマニーを統べることが出来る”とな」

「何ですって?」

「鍵と箱の力は神を殺せるだけではない。何者も服従させる絶対遵守の力も持つのじゃ。
 それはこの世界において、文字通り“神”となるに等しい」


 神。
 もう何度聞いたか分からないが、この世界に来てからシオンの中で、神という概念は変容していた。

 もうその言葉に、今まであったはずの“光”は感じない。


「そして今、この世界で起きている小競り合いの裏には、その箱と鍵が絡んでおる。権力者の誰もが、この二つを探し求めているのじゃ」

「という事は、つまり、聖櫃(せいひつ)と鍵を探す事は、この世界の争いに関わるってことなのね?」

「そうなるのう。じゃが、それを避けるか受け入れるかはお主達次第じゃ」


 4人は再び黙ってしまった。
 もし、そんな戦争に巻き込まれる事になれば、最悪、元の世界に戻るどころか、死ぬかも知れない。
 シオン達は、これから待つ受難を、唯々無抵抗に認める他に出来なかった。


「最後にもう一つ」

 オウルニムスは人差し指を立てた。


「このヒューマニーには、お主達の他にも神の悪戯によって召喚された転生者が大勢いる。皆、お主達の様に様々な試練を持って、あちこちの世界から召喚された者達じゃ。
 ……彼等を仲間にする事じゃ」

「仲間にって……どうやって出会ったら良いんですか?」

「さぁ、それは精霊の導きの向くままじゃのう」


 4人はオウルニムスの投げやりな言葉に、喉まで出かかった何かを飲み込む事にした。

 ――一体どれだけの転生者がいるのだろう。
 けど、今は仲間が1人でも多くいる方が良いはずだった。

 “神に挑む”。それを果たすためには、当然、この人数では心許無い。


「さて、話は終わりじゃ。これからお主達はどうする?」

「そうね。先ずはシャールって村に行くわ。そこでノア・ルクスに協力を仰ごうと思うの。皆、それで良い?」


 シェロの意見に、他の3人は頷いた。


「何よりも先に、トウラの死を回避しないとな」

「ああ。そうして貰えると俺も嬉しい」

「決まりですね」


 一同の意見の一致に、オウルニムスも笑みを浮かべながら顎鬚を撫でた。


「仲が良い事で何よりじゃ。この様子なら、あの時のようになる心配はいらないかのう。ホッホッホ」

「あの時――あ」

 シオンはふと、宿前での喧嘩の事を思い出した。

「ふふっ、確かに。オウルニムスさんがそう言って下さるなら安心ね。そうでしょう? シュート、トウラ」

 
 こう言葉を投げかけられたシュートとトウラは、ばつが悪そうな表情だ。
 窓の外には、夜の帳に満点の星空が広がっていた。
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